コーヒーをめぐる冒険(‘12)  ヤン・オーレ・ゲルスター<依存的なモラトリアムが壊れ、魂の呻きを吐き出す「現在性」が動き出していく>

イメージ 11  「周りが変に思えて、違和感があるんだ。だけど分ってきた。問題なのは他人じゃなくて、自分なんだと・・・」
 
 
 
「コーヒー、いれようか?」
「遅刻しそうなんだ」
「今夜の予定は?」
「今夜は無理だ」
「何で?」
「忙しいんだ」
「何があるの?」
 
恋人の質問に何も答えないニコ・フィッシャー(以下、ニコ)との、素っ気ない会話から開かれた物語は、その恋人のアパートを追い出された主人公の大学中退の若者・ニコの1日を追っていく。
 
他のアパートの一室に移ったニコが、慌てて「運転適性診断室」に走って行く。
 
飲酒運転で免停状態になっていたニコは、面接官に「大学中退の理由は?」、「両親との関係は?」、「恋人は?」、更には、「身長に劣等感を感じてるのか?」、「同姓愛かな?」などという意想外の発問を受け、そのストレスで反問するが、「情緒不安定」と看做(みな)され、免停取り消しが解除されないという意に沿わない結果に終わる。
 
まさに、「優越的地位」を濫用することで、ストレスフルの状態になっていたのはニコではなく、件の面接官の方だったというこのオチはいい。
 
恋人のアパートで飲めなかったコーヒーを飲むためにカフェに立ち寄ったニコは、女性店員がそれとなく勧めるコロンビアを注文したために、3ユーロ40(2015年12月26日段階で1ユーロは約132円)の代金に足りず、「今日だけ特別に」と乞うが、ホームレス扱いされるに至る。
 
ATMで金を引き出そうとしても、カードが吸い込まれてしまう始末。
 
ATMの傍らに眠る正真正銘のホームレスに投げ銭した金を取り戻そうとするが、若い女の子に目撃され、結局、ホームレスの紙コップに戻してしまう。
 
ベタな描写だが、ホームレス繋がりで物語の安定度は保持されている。
 
ここまで観てきて、オフビートタッチのコメディであることが想像し得るが、ニコの1日が、決してコメディの範疇に収まらないトラジコメディ(悲喜劇)の様相を含むことが、後半に入って明瞭に映像提示されていく。
 
ともあれ、アパートに移った来たばかりのニコの部屋に、2階に住むカールという名の男が、挨拶代わりにミートボールを手土産に持って来て、迷惑がるニコの事情とは無縁に、一方的にプライバシーを喋り続ける。
 
乳がんで全部摘出したよ」
 
カールの妻の深刻な状態を話しながら、「地下にこもるようになった。どうすればいいんだ」と言って、嗚咽を洩らすのだ。
 
親友のマッツェからの電話での誘いに、自ら望むように応じたのは、このカールの一件があったからだろう。
 
「この町はクソだらけだ。散歩に行くと、クソの匂いがするんだ。頭痛が悪化するよ」
 
マッツェが運転する乗用車内で、いきなり、こんな下品な言葉を彼から浴びせられるニコ。
 
二人で入ったバーガーショップでもコーヒーが飲めないニコは、ミネラルウォーターを注文するが、ここで彼は、昔の同級生のユリカと13年ぶりに再会する。
 
デブリカ」と仇名されていたほど肥満女子だったユリカは、「あなたが好きだったの。いじめられたけど」という告白を笑いながら吐露した後で、「自殺未遂もしたの。それで両親が全寮制に入れたの」などと軽口で話すのだ。
 
一気に空気が沈む。
 
その空気を変換させたのは、終始、笑みを絶やさないユリカだった。
 
寮の仲間で構成される劇団に所属するユリカは、この夜のパフォーマンスにニコを誘う。
 
消極的なニコと切れ、「俺も役者だ」と言うマッツェが乗り気になって、これで決まった。  
 
二人が、マッツェの友人の俳優が主演する映画の撮影現場を訪れたのは、その直後だった。
 
ユダヤ人娘と恋に陥るナチスの将校を演じる男を真剣に凝視し、思いを巡らすニコがいた。
 
そのとき、父から電話が入る。
 
父からの誘いで、ゴルフ場で会い、その気がないのに自らもゴルフをするニコ。
 
ATMにのカードを吸われた件を話し、父に金の無心をするニコに、既に大学を中退した事実を知っていた父からの反応は、口座の解約という厳しい現実だった。
 
金を無心する思惑が、学費の援助の打ち切りという最悪の結果になってしまったのである。
 
落胆し、沈み込むニコ。
 
手元不如意(てもとふにょい)になっったニコは、駅の自動販売機の故障で切符が買えず、無賃乗車で電車に乗るが、駅員にも見えない二人の検札官に身分証明書の提示を求められ、相手の隙をついて逃走し、何とかベルリンの街に戻って来る。
 
マッツェと会い、今度は、マルセルという名のマッツェの年少の友人の家に立ち寄るニコには、彼らが興じるドラッグに全く関心を示さず、電動マッサージ機で安らぐマルセルの祖母と、束の間の癒しの時間を持つ。
 
物事に耽溺することを好まない、ニコの性格が透けて見えるシーンである。
 
かくて、ユリカらが演じる前衛劇に遅刻してしまうが、過去のトラウマを払拭したかのような、ユリカのパフォーマンスに圧倒されるニコとマッツェ。
 
ところが、途中で観劇する二人に対して、脚本と振付を担当するラルフによって辛辣な批判を受ける。
 
「我々の芸術は難解だ。確かに主流派とは違うが、嫌いなのに来たのか?金も払わず、招待券で遅刻して、我々の初演をあざ笑う。我々は小劇場の世界に新風を吹き込みたいんだ」
 
如何にも、個人主義が徹底し、議論好きで、自己主張の強い「ドイツ人気質」の如き男のマシンガントークを浴びて、そのような気質と真逆なニコには、ナルシストの独演会としか受け止められないのだろう。
 
それでも、その表現の内実が意味不明ながらも、ユリカのパフォーマンスに感動するニコは、彼女と会話する時間を持つ。
 
「舞台に立って、注目されるのが好きなのよ。人前で自分をさらすと、客が変に思おうと、それが快感になるの」
「良かったよ。勇気があるよ。本当さ。僕にはとてもできない」
「消極的になったのね」
「昔は違った?」
「自分に自信を持ってたわ」
 
このユリカの指摘に対して、明らかにニコの情動は揺さぶられている。
 
「周りが変に思えて、違和感があるんだ。だけど分ってきた。問題なのは他人じゃなくて、自分なんだと・・・」
 
この映画の中で、初めて、自分の感情を自然に吐露するニコがそこにいる。
 
そんな二人が占有する特別な時間の中に、三人の酔っ払いが絡んで来て、無視するニコと切れ、ユリカは彼らの幼稚さを指弾したことで、ニコを巻き込む喧嘩になるが、早々に退散して一件落着。
 
「無視すれれば、連中は立ち去ったはずだ」
 
鼻を殴られたニコをトイレで治療するユリカが、ニコのこの言葉に逆上する。
 
「私は何度、他人の言葉を無視してきたか。あなたたちの言葉を。どんな気持ちだと思う?思春期に80キロもあって、デブリカだとか、ゾウ女だとか・・・あなたに分る?」
 
「分らない」と答えたニコの一言に、今度は嗚咽含みで反応する。
 
「傷つくわ。乗り越えるのに苦労した。だから、もう無視はしないの」
 
謝罪するニコを許したユリカはニコを求めていくが、それに応じつつも、「違和感があるんだ」というニコの一言が、再びユリカを逆上させる。
 
ヒステリーを起こしそうになったユリカを目の当たりにして、ニコはその場を去っていく。
 
「太った女が好き」というタブーの言辞をユリカから強いられたニコが、違和感を覚えるのは当然だった。
 
ユリカにとって、この言葉を、自分をいじめた相手に言わせることで、相手を屈服させ、自らの「優越的地位」を確認したいのだ。
 
このエピソードは、ユリカの心的外傷が、彼女の内側で克服されていない現実を端的に表現するものだった。
 
バーに立ち寄ったニコが、一人の老人に絡まれたのは、その直後のこと。
 
 
人生論的映画評論・続コーヒーをめぐる冒険(‘12)  ヤン・オーレ・ゲルスター<依存的なモラトリアムが壊れ、魂の呻きを吐き出す「現在性」が動き出していく>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/01/12.html