黒衣の刺客(‘15)  ホウ・シャオシェン <「今、ここから」、暗殺者の人生の時間が変換されていく>

イメージ 11  政治に翻弄され続ける暗殺者の悲哀と新たな旅の物語
 
 
 
8世紀の中国は、第9代皇帝・玄宗(げんそう)の出現で絶頂期を迎えたと言われる唐王朝の時代だった。
 
しかし、多くの場合、絶頂期は衰退期の始まりになる。
 
辺境防衛の目的で設置された強大な軍事力を持った「節度使」(地方軍団の統率者/「藩鎮」は「節度使」の統治地域)が、軍権以外にも、民政権・財政権も持ち始めたことで、従来の統治制度である中央集権的な統治制度の「律令制」が機能不全に陥り、やがて崩壊・消滅するに至る。
 
この現実は、大帝国を築き上げた唐の衰退期の始まりを意味する。
 
節度使安禄山らによる、「安史の乱」と呼ばれる反乱が起こったのが755年。
 
以降、地方各地で荘園(地方豪族による土地の私有)が加速し、節度使朱全忠の「黄巣の乱」(こうそう/875年)に象徴される農民反乱も連鎖することで、唐王朝の権威は完全に失墜するに至る。
 
これが、本作の歴史的背景にある。
 
この節度使が権力を振りかざすようになったカオスの時代に、本作のヒロイン・聶隠娘(ニエ・インニャン/以後、隠娘)が、凄腕(すごうで)の暗殺者として、児童期から成人期もの長い期間、山に住む女性道士(道教では坤道=こんどう、とも呼ばれる)に預けられ、修行を積んだ「成果」が開示されるモノクロのシーンから開かれる。
 
「あの男、実の父を毒殺し、兄弟さえ殺す。罪にまみれた官僚。人知れず、首を斬れ」
 
この物騒な言葉を放ったのが、女性道士の嘉信(ジャーシン)。
 
「あの男」とは、当時、最強の「藩鎮」(はんちん)を統治する節度使のこと。
 
その節度使の暗殺を、弟子の隠娘に命じるのである。
 
しかし、節度使の暗殺に頓挫する隠娘。
 
「幼子が可愛く、ためらいました」
 
これが、凄腕の暗殺者でありながら、節度使の暗殺にしくじった理由だった。
 
「そういうときは、まず、相手の愛する者を殺し、次に相手を殺す」
 
嘉信はそう言って、次に、魏博(ウェイボー/現在の河北南部、山東北部)の節度使・田季安(ティエン・ジィアン/以後、季安)の暗殺を命じるのだ。
 
カラーに変換される「黒衣の刺客」の物語は、ここから開かれる。
 
長い修行が終わった隠娘(インニャン)は、嘉信に導かれ、魏博にある豊かな生家に帰還し、両親との再会を果たす。
 
そこで語られたのは、唐王朝に嫁ぎ、季安の養母の嘉誠公主(ジャーチャンこうしゅ/公主とは皇帝の娘)の仲立ちによって、隠娘と季安(ジィアン)が婚約していたという事実。
 
因みに、隠娘を嘉信に預けたのは、嘉信と双子の姉妹の関係にある、この嘉誠公主である。
 
隠娘に、身の危険が迫っていると察知したからである。
 
ともあれ、隠娘と季安の婚約は、「魏博と朝廷の平和」、即ち、地方権力を占有している節度使と、唐の中央政府との和解のための政略結婚を目途にしたものだった。
 
その婚約の証として、「玉玦」(ぎょっけつ/全体が円形で、真ん中に丸い穴がある、儀礼に用いられた装飾品)の半分ずつが、隠娘と季安に託されるに至るが、しかし、先帝の死後、季安の田家が元家と同盟を結ぶために、隠娘の聶(ニエ)家を裏切ったことによって、二人の結婚は破談になったという経緯があった。
 
今更のように、その話を母・聶田氏(ニエ・テェンシ)から聞かされ、嗚咽する隠娘。
 
既にこの時点で、母から贈られた華やかな衣装に馴染めず、隠娘は暗殺者の記号である黒衣に着替えていた。
 
かくて、季安の暗殺を遂行するために、季安の豪奢な邸内に潜入するが、またしても、暗殺は頓挫する。
 
季安の側室・瑚姫(フージィ)と愛し合っている目の前に現れ、格闘になるが、相手に致命傷を与えることなく去っていくのだ。
 
敢えて、「玉玦」を置いていったことで、黒衣の相手が隠娘であることを確信する季安。
 
「隠娘を犠牲にした」
 
瑚姫に語る季安の言葉である。
 
それを、薄衣の陰で聞く隠娘。
 
映画のテーマを深く印象づける、悲哀を極めるシーンである。
 
魏博の節度使・季安の重臣である父・聶鋒(ニエ・フォン)と母は、娘の隠娘の身を案じる手立てとは言え、道士に預けた行為を悔いるのだ。
 
主家・季安の暗殺目的で魏博に帰還して来たことで、自分の立場が悪化する事態に不安を覚えるのである。
 
更に、隠娘の伯父・田興(テェンシン)が、朝廷寄りの行為に季安の怒りを買って、臨清(りんせい/現在の山東省にある大運河に面した交通の要衝)に左遷されることになった。
 
結局、父・聶鋒(ニエ・フォン)は、田興の臨清への左遷の護衛を、季安から命じられるに至った。
 
旅に出る一行の後を、元家が送り込んだ刺客たちが追っていく。
 
正確な情報の映像提示はなかったが、彼らは、元家から嫁いだ季安の正妻・元氏(ユェンシ)の放った刺客であると思われる。
 
かくて、刺客との斬り合いになり、多くの死者を出す一行。
 
一行を助ける隠娘も斬り合いになり、暗殺者としての仕事を遂行する。
 
襲撃で捕えられた際に、傷を負った父を介助する隠娘。
 
しかし、その隠娘も、女刺客との決闘で、相手の仮面を斬り、斃しながらも、自らも深傷(ふかで)を負ってしまう。
 
幸いにも、隠娘は鏡磨きの日本青年によって救われるに至る。(国際動乱の中で、唐の律令を参考にした、天皇中心の中央集権国家の体制=「大宝律令」施行直前の701年前後に、国号が「倭国」から「日本」に改称されたと言われる)
 
不思議な因縁で、この日本青年は、隠娘の父を含む旅の一行を救済したばかりだった。
 
その際、窮地に陥った日本青年を救ったのが隠娘だったのだ。
 
後述するが、このエピソードは、日本青年の温かな心に触れることで、政治に翻弄され続ける隠娘の孤独な運命を強調するシーンであるとのこと。
 
かくて、父とのリトリート(隠れ家=辺境の山村の逗留場所と思われる)で、日本青年の治療を受ける隠娘。
 
「嘉誠様は琴を奏で、青鷺と鏡の話をなさった。青鷺は嘉誠様。朝廷から、独りで魏博に嫁ぎ、孤独な鳥だった」
 
隠娘が、温かな心を持つ日本青年に吐露した、感情含みの唯一の言語表現である。
 
その意味は、唐王朝に嫁いでいた、今は亡き嘉誠(ジャーチャン)公主が、琴を弾きながら語った、以下の言葉に対応するもの。
 
「王が試すと、青鷺は己を見て、悲しげに鳴き、一夜踊り続け、息絶えた」
 
簡単に言えば、政治に翻弄された嘉誠の苦悩の吐露である。
 
それは同様に、政治に翻弄され続ける隠娘自身の悲哀とオーバーラップするのだろう。
 
隠娘の話を真摯に聞く日本青年の素姓は全く映像提示されていないので、言及は避ける。
 
そんな折、季安の妾・瑚姫(フージィ)が廊下で倒れ込み、傷の癒えた隠娘が彼女を救うエピソードが挿入される。
 
「瑚姫はご懐妊です」
 
忍び込んだ隠娘と剣を交えた季安に、一言添えて、その場を去っていく隠娘。
 
瑚姫事件の背景には、既に、瑚姫の懐妊を知っていた季安の正妻・元氏(ユェンシ)が、呪術師を利用して、側室を亡き者にしようとする陰謀が渦巻いていた。
 
一切を知った季安が、部下に命じて呪術師を殺害する。
 
政治権力の闘争に疲弊し切った季安の相貌が映し出され、物語は終焉に向かっていく。
 
そして今、隠娘は自分を凄腕の暗殺者に育てた嘉信(ジャーシン)の元を訪れるのだ。
 
「季安を殺しても、世継ぎは幼く、魏博の混乱は必定。故に果たせず」
 
包み隠さず、隠娘は季安の暗殺に頓挫した事実を報告するが、ここでも情愛が絡んでいた。
 
「剣の道、近親の情、聖人の憂いなし。汝、術は既に成るも、情、未だ断てず」
 
冒頭での嘉信の言葉が、表現を変えてリピートされる。
 
何も変わらなかった弟子に襲いかかる師匠。
 
最初で最後の師弟対決である。
 
一瞬にして、勝敗は決する。
 
今や、凄腕の弟子に敵う者など誰もいないのだ。
 
日本青年のもとに戻って来る隠娘。
 
走り寄り、嬉々として迎える日本青年。
 
その日本青年を新羅に送るために、隠娘は新たな旅に出る。
 
新羅に行く理由は、青年が日本への帰還を意味すると想像できるので、なお、日本に残る妻の元への帰還であると考えられるが、隠娘との関係を含めて、その辺りについても、一切、映像は何も語らない。(8世紀には、新羅との国交関係が悪化し、新羅と日本との関係は緊張が生じていて、新羅との国交は消極化するものの、民間の商人たちの往来は可能だった)
 
最後まで説明台詞を切り取り、オーバーな感情表現を排除した映像は、魂が震えるようなBGMに使用したラストシーンに結ばれていくのだ。
 
 
 
人生論的映画評論・続黒衣の刺客(‘15)  ホウ・シャオシェン 「今、ここから」、暗殺者の人生の時間が変換されていく>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2016/03/15.html