1 「人間らしさ」とは世界に上手く適応できること ―― クロマニヨン人の狡猾なまでの生き延び戦略
アフリカ大陸東部から死海に至るまで、南北に縦断するプレート境界となる 大地溝帯・グレート・リフト・バレーこそが「人類生誕の地」と呼ばれていた、揺るぎようがなかった仮説が崩されていく。
そして、グレート・リフト・バレーの東部一帯が乾燥化し、森林の衰退を招来した結果、サバンナの誕生と化していったとき、ヒトの祖先が樹上生活を放棄し、地上に降り立つことで、人類史上の画期点となる直立二足歩行にシフトしたという「太古のロマン」の、その拠って立つ基盤が呆気なく自壊する。
「人類生誕の地」であったはずの東アフリカ人類起源説が、グレート・リフト・バレーとは無縁の中央アフリカのチャド北部での、サヘラントロプス(トゥーマイ猿人)の発見という、コペルニクス的転回の破壊力を包含する仮説が提示されたのである。
初期の猿人たちが、アフリカ東部以外の地域で生活していた事実が判明したのである。
フランスの人類学者・イブ・コパンが提示していた、人類生誕と直立二足歩行の発動に大きく関与した「サバンナ説」(イーストサイドストーリー)を、現在、支持する研究者が殆どいないという事実の重さに頭を垂れるしかない。
かくて、20年ほど前に書いた私の、「太古のロマン」溢れる「サバンナ説」に関わる拙稿は、今や、クズ同然の駄文と化してしまった次第である。(提唱者のイブ・コパンは自らの仮説を撤回)
然るに、この「サバンナ説」の否定は、地球上のヒトの祖先=「アフリカ単一起源説」を必ずしも否定する論拠になっていない。
では、現生人類の祖先が、いつ、アフリカから「旅立ち」をしたのかという「出アフリカ」の回数については、依然として不分明であるが、近年話題になる、「ミトコンドリア・イブ」(ラッキー・マザー/人類の母系のルーツになる共通の女系祖先)の存在によって、現生人類が14~20万年前に共通の祖先を有することが解析されているので、「太古のロマン」への物語はなお継続力を持っているということか。
更に、二足歩行をしていた証拠の残り、サヘラントロプスに次ぎ2番目に古い、オロリンの化石がケニアで発見され、二足歩行をしていた証拠となっている。
そして、もう一つの重要な仮説の修正に関わる点について書いておこう。
それは、DNAなど生命現象の実体を分子レベルで解明する分子生物学と、骨考古学からのアプローチの結果、私たち人類の祖先が、「猿人」→「原人」→「旧人」→「新人」という流れで進化してきたと説明されていた、化石生物の存在が予測されるのにも拘らず、未発見だった中間形の化石にまつわる「ミッシングリンク」という、従来の「何となくロマン」の雰囲気の漂っていた仮説すらも崩されたという事実である。
厳密に言えば、人類の歴史が、そのように直線的な進化を系統的に辿っていくという仮説が否定されたのである。
考えてみれば、自明の理であったと言っていい。
これは化石から検証されている。
1本の分りやすい系統図などは存在せず、無数に絡み合った分岐や交配の複雑な交叉によって現在に至っているが、その内実も、それらの分岐や交配の結果、現世人類に繋がることなく絶滅した種が少なからず存在するという、極めて影響力の大きな仮説による修正である。
多岐にわたる学問の結晶である、こうした研究成果に真摯に向き合うとき、後期旧石器時代(4万〜1万3千年前)に属するクロマニヨン人がネアンデルタール人から枝別れしたのではなく、太古の時代に共通の祖先の原人から枝分かれしたという事実をも認知せねばならないだろう。
これは、現在に至っても全く不分明である。
両者の異種交配の可能性を提示した仮説があり、現世人類の中にネアンデルタール人のDNAが組み込まれていると言うのだ。
「両種の間に、これほど複雑な関係が存在したとは、2、3年前には予想もしなかった」
これは、イギリスにあるロンドン自然史博物館の古人類学者・クリス・ストリンガー氏の言葉。(ナショナルジオグラフィック ニュース/2012年10月15日)
正直、私の限られた想像力の範疇では、芸術的(洞窟壁画のアート性)にも技術的(石器作りの名人)にも優れた能力を示すばかりか、集団のパワーを存分に発揮してマンモスを仕留めるほどに、狩猟用の殺傷性の高い武器(投擲兵器や弓矢)を作る能力を有するクロマニヨン人が、両種間の餌場争いを通して、生産用具を含めて、技術的進化の脆弱なネアンデルタール人を持続的に殺傷していたというイメージが消えなかった。
この発声器官の脆弱性は、コミュニケーション能力の劣化を決定づける証左になっていて、狩猟・採集という生存・適応戦略の広がりの足枷になっていたと思われる。
コミュニケーション能力こそ、生存・適応戦略の中枢機能であるが故に、言語記号を巧みに操作する進化の怠惰を示すネアンデルタール人のこの致命的瑕疵が、彼らの壊滅的な終焉を予約してしまったのではないか。
要するに、群れを作りながらも、その限定的な空間の中で、集団の仲間に適切な意思伝達ができなかったネアンデルタール人と、好奇心旺盛で、逞しい生存適応能力によって厳しい氷河期を生き抜いたクロマニヨン人との能力との決定的差異は、外部世界に上手く適応できる能力の優劣となって顕在化したのである。
2万数千年前に絶滅したと言われる(原因不明だが、ネイチャー誌は4万年前説を主張)ネアンデルタール人の場合、環境の劇的変動によって、クロマニヨン人との食糧確保の能力の優劣が、生き死にの極限状況下で露呈してしまったと私は考えている。
また、ショーヴェ洞窟壁画を紹介した映画「世界最古の洞窟壁画3D 忘れられた夢の記憶」の中で語られた、ニコラス・コナード考古学者によると、以下の通り。
既に4万年前に、楽器や装身具、神話が存在していたこと。
彼らが信じる宗教的概念では、人が動物に変身するのだ。
「ヴィーナス像」に象徴されるように、性表現を表わす像には、再生、多産(妊娠女性の像)、性的能力がシンボライズしているが、それは、現代の人間と共通する基本的な表現である。
1856年に発見された、高度の人類であるネアンデルタール人もまだ生きていて、進化の過程で2種類のヒトの生存競争があったが、彼らはこれほどの遺物を残していない。
アルプスが氷河で覆われていた氷河時代の中で、トナカイやマンモスが歩き回り、非常に寒かったが、人々は、現在のイヌイットの服装と同じように、トナカイの毛皮の服を着て、靴もトナカイの革と毛を纏(まと)っていた。
注目すべきは、クロマニヨン人は、そんな環境下で発見した5音階の笛を作り、それを吹いていたという事実である。
従って、芸術的にも技術的にも優れた能力を示すところから、クロマニヨン人は現生人類とほぼ同類の人類であると考えられている、ということ。
語り手は、前述したジャン=ミシェル・ジュネスト氏。
ショーヴェ洞窟調査プロジェクト責任者である。
氏は、生存適応能力こそ、「人間らしさ」と呼んでいる。
「人間らしさとは、世界に上手く適応できること。人間の世界は、外の世界に適合する必要があります。風景や他の生き物、動物、他の人間のグループ。彼らとコミュニケートし、更にその記憶を刻み込む。ある特定の非常に固いものの上に、例えば壁や、木片や骨に。これがクロマニヨン人の発明です。動物や人間の“像”が発明されることによって、未来への伝達が可能になったのです。過去の記憶を情報として伝えるには、“像”は、どんな伝達手段よりずっといい方法です」
このメッセージは、私にとって、本作のインタビューを通して最も合点がいくものだった。
心の風景 苛酷な氷河時代を生き抜き、優れた洞窟壁画を残したクロマニヨン人の、その誇るべき強さと表現力 よりhttp://www.freezilx2g.com/2017/06/blog-post_1.html