認知症罹患者の辛さの本質は、「約束された喪失感」を意識することの恐怖にある

イメージ 1

1  「癌ならよかった。癌だったら恥ずかしくない。癌なら皆で、ピンクリボンをつけて、募金活動をするから、感じなくて済むわ」
 
 
 
 
 
日常生活に破綻をきたさない軽度認知障害(MCI)と切れ、ニューロン(脳の神経細胞)の脱落(人の脳の委縮は20~30歳をピークに減少に転じる)によって発生する認知症には、中核症状と周辺症状(BPSD)と呼称される二大症状がある。
 
中核症状とは、記銘・保持・想起によって成る記憶に関わる、「記憶障害」(エピソード記憶=出来事の記憶、意味記憶=一般常識の記憶、手続き記憶=身体で覚えた記憶)と、「見当識障害」(人・場所・時間が分らない)と、「認知機能障害」(失行=掃除や着替えなどの合目的な行動ができない、失認=感覚認知ができない、実行機能障害=スーパーに行っても違う食材を買って来てしまう)などの深刻な症状のこと。
 
周辺症状(BPSD)とは、幻覚・妄想・徘徊・異食・睡眠障害抑鬱・不安・暴言・暴力・失禁・排尿障害・セクハラなどの症状のことで、中核症状と峻別される。
 
症状の現出は人様々だが、根本的な治療法が存在しない認知症に罹患した身内を在宅介護する困難さは、今さら説明するまでもないだろう。
 
「癌ならよかった。癌だったら恥ずかしくない。癌なら皆で、ピンクリボンをつけて、募金活動をするから、感じなくて済むわ」
 
これは、映画「アリスのままで」のヒロインのアリスが、食事会を忘れたことで出席しなかった不満を言う夫に対して反応する言葉だが、このシーンは限りなく重いものだった。
 
このエピソードほど、認知症に罹患した者の辛さと、それを介護する身内との、罹患の「共有」の難しさを表現するシーンはない。
 
「癌ならよかった」とまで言わしめる認知症罹患者の内面に入ることが、殆ど絶望的であるからだ。
 
思うに、遺伝子変異に起因する悪性腫瘍(癌)の罹患者の辛さの本質が、「約束された死」の終末期の苦痛に持っていかれるのに対して、認知症罹患者の辛さの本質は、「約束された喪失感」に持っていかれると言える。
 
前者は、「約束された死」に対する闘争様態が可能であり、「奇跡の復元」の可能性も否定できない。
 
また、末期癌の罹患者が、同じ辛さを抱える罹患者とのコミュニケーションによって、癒される「利得」もある。
 
そればかりではない。
 
自殺幇助と共に、スイスで合法化された「ターミナルセデーション」(終末期の耐えがたき苦痛を緩和するために鎮静剤を服用)という、とっておきの方略がある末期癌の罹患者に対して、認知症罹患者の「約束された喪失感」の辛さは、自己の尊厳をも守れない状態に押し込まれてしまう恐怖がある。
 
これが、何より辛いのだ。
 
認知症罹患者の辛さの本質は、「約束された喪失感」を意識することの恐怖にあると言える。
 
「俺が俺じゃなくなる」
 
これは、映画「明日の記憶」(堤幸彦監督)の中で、MRIの検査の結果、主治医から若年性アルツハイマー病を告知された際に、主演の渡辺謙が妻に漏らした言葉である。
 
脳の神経細胞が委縮し、最終的に死滅してしまうという、由々しき生物学的現象によって惹起される知的能力の確実な、且つ、致命的低下 ―― それは、渡辺謙が嗚咽の中で吐き出した、「俺が俺じゃなくなる」という事態が現実化する圧倒的恐怖以外の何ものでもないだろう。
 
「だったらさ、あんた、ゆっくり死ぬんだって言ってくれよ」
 
若年性アルツハイマーの進行が早いという事実を学習済みの渡辺謙が、主治医に向かって叫んだ言葉だが、まさに「約束された喪失感」を意識する恐怖こそ、認知症罹患者の辛さの本質であることが判然とする。
 
―― 映画「アリスのままで」に戻る。
 
「人生を捧げて来たことが、何もかも消える!」
 
アリスは、こう叫んだ。
 
「悪い日は、自分が誰だか分らなくなる。私は常に知性によって自己規定してきたわ。今は、目の前にぶら下がっている言葉に手が届かない感じ。次は何を失うのかしら」
 
娘に、本音を漏らすアリス。
 
「自分が自分でなくなる」ことは、アイデンティティークライシスを意味する。
 
だからアリスは、自らが提示した質問に一つでも答えられなくなったら、“水で全部飲め”と書いてある「蝶」というフォルダを開き、自死という、究極の選択肢を担保にしたのだが、映画では、認知症の悪化によって、ミステークで自殺未遂に振れていくシーンが描かれていた。
 
ともあれ、これは安楽死を望む心理と同じである。(因みに、アメリカでは、オレゴン、ワシントン、モンタナ、バーモント、カリフォルニア州安楽死が認められているが、その対象は、末期患者が医師の処方で命を絶つ権利を法制化するもの)
 
アリスの認知症が、脳卒中によって、神経細胞が決定的ダメージを被弾する脳血管性認知症とも異なる若年性アルツハイマー病であった現実の非情さは、恐らく、私たちの想像の範疇を超えている。
 
他人の同情が全く効かない、絶望的な世界に持っていかれてしまうのである。
 
だから、「約束された喪失感」を意識する恐怖に震えるばかりなのだ。
 
だから、余計、切ないのだ。




心の風景 認知症罹患者の辛さの本質は、「約束された喪失感」を意識することの恐怖にある よりhttp://www.freezilx2g.com/2017/07/blog-post_13.html