「丸刈り」にされた女 ―― 尊厳を奪回する「覚悟の帰郷」

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1  「性的な対独協力者」に対する「丸刈り」という狂気の沙汰
 
 
第二次世界大戦期のドイツとフランスにおいて、女性に対して行なわれた「丸刈り」という凄惨な現象がある。
 
髪を刈るという行為自体は男女に拘らず、古代からあった。
 
古代からあった「丸刈り」は、なぜ行われたのか。
 
その理由は千差万別である。
 
「聖」と「俗」との区別であったり(僧侶の剃髪・ていはつ)、個人の無名化・衛生上の目的であったり(軍隊の規律の強化)、奴隷制度の産物であったり(古代からナチの強制収容所に至るまでの普遍的な陋習・ろうしゅう)、全身の体毛を剃られ、丸裸にされる悲惨さを曝(さら)す「魔女狩り」であったり(近世のヨーロッパ諸国で猛威)、等々。
 
トランス状態(変性意識状態)に潜り込み、霊の世界を仕切る宗教現象・「シャーマニズム」の影響下、「悪魔」と契約を結んだと恐れられ、時に男性をも含む「魔女」が丸裸にされたのは、「媚薬」(びやく・恋情を起こさせる薬)の所持を確認するためである。
 
しかし、ここで看過できないのは、女性のみに行われた「丸刈り」の事例が、古代から継続的に認められていたという事実の重みである。
 
その大部分は、女性の「不道徳」に対するペナルティとして行われていたのである。
 
例えば、古ゲルマン(ドイツ・北欧のゲルマン語派に属する諸部族)では、姦通の罪を犯した妻は、罰として夫によって近親の前で髪を剃られ、これも丸裸にされた挙句、村落共同体から追放されたと言われる。
 
丸刈りにされた女たち」(Adobe PDF)によると、新約聖書には、神聖な礼拝の場で、頭髪を被りもので隠すことをしない女性の髪は刈られるべきと記されている。
 
然るに、第二次世界大戦期の二つの地域(独仏)で行なわれた丸刈りは、個人や集落単位の暴力の枠を超越した規模であった。
 
特に、フランスにおいて顕著だった「丸刈り」の事例は、以下の報告で判然とするように目を覆いたくなるものだった。
 
「1944年夏、フランス解放の喜びに湧く人々の渦の中心には、丸刈りにされた『ドイツ人兵士と性的関係を持った』とされるフランス人女性がいた。彼女らは、占領中の不品行な行為に対する制裁として、見せしめとされた。髪を刈られただけでなく、その剥き出しになった頭皮と肉体に鉤十字(かぎじゅうじ・ナチスが採用)をペイントされ、服や下着を剥ぎ取られ、通りを引き回されるという非道な暴力の形まで存在した。
 
ドイツ人兵士と性的関係を持ったとされたフランス人女性たちは、1944年夏の解放時にフランスのほとんど全ての地域で、丸刈りという暴力の標的となった。
 
(略)フランス解放の時に髪を刈られた女性たちは、社会に訴えるどころか、名乗り出ることすら不可能に近い立場であり続けている。拘留され髪を刈られる直前にあまりの恐怖から自殺した女性や、丸刈りにされた後に絶望から自殺した女性は少なくないといわれている」(Adobe PDF丸刈りにされた女たち」―第二次世界大戦時の独仏比較・平稲晶子)
 
狂気の沙汰のリアリティが、読む者の衝迫(しょうはく)を削り取り、想像力の限界を突き抜けていくようだった。
 
特に、「髪を刈られた女性たちは、社会に訴えるどころか、名乗り出ることすら不可能に近い立場であり続けている」という一文は、胸に応えるほど痛烈だ。
 
「無法な粛清」と呼ばれたリンチの嵐が炸裂した中で、ドイツ占領下にドイツ人兵士と性的交渉したとされる女性、即ち、2万人に及ぶ「性的な対独協力者」に対しては、容赦ない丸刈りの犠牲者数となったと言われ、絶句する。
 
思うに、のちに社会党政権を樹立(コアビタシオン保革共存)し、フランス共和国の第21代大統領となるフランソワ・ミッテランは、ド・ゴールの臨時政府(フランス共和国臨時政府)に参加する前は、「コラボラシオン」(対独協力)のスタンスで、フィリップ・ペタンが首班を務める親独政府である「ヴィシー政権」(ユダヤ人の大量検挙に関与)で積極的な活動を推進した事例でも分かるように、占領中、ドイツの占領下にあって、侵略者に対する嫌がらせやサボタージュ程度の「受動的レジスタンス運動」は、一部のゲリラ活動(南仏に本拠を置いた「マキ」など)を除けば、終戦間際の「駆け込みレジスタンス」で多少の鬱憤(うっぷん)を晴らすことしかできなかった。
 
だから、肝心のアイデンティティを保持し得ず、ドイツ軍に徹底的に甚振(いたぶ)られた屈辱を持つ少なくないフランス男性の、エクストリーム(極度)に膨らんだ鬱屈(うっくつ)した歯痒(はがゆ)い感情が、弱い立場の女性に向けられるのは必至だったのである。
 
 
2  魂の中枢が疼き、打ち震えている
 
 
私は今、一人の「性的な対独協力者」が被弾した女性のことを鮮明に想起する。
 
実話でも、「丸刈り」が荒れ狂ったフランスが舞台でもないが、トップ画像で分かるように、50代になった今でも、「イタリアの宝石」とまで持て囃(はや)される、モニカベルッチの代表作・「マレーナ」のことである。
 
本人の意思とは無縁に、あまりに蠱惑的(こわくてき)な姿態を放つマレーナの美しさが、イタリア半島の南部に位置し、地中海に浮かぶシチリア島・カステルクルト(架空の町)に住む男たちの視線を奪い、虜(とりこ)にする反面、町中の女たちからは嫉妬の特定敵対者になり、悪感情を抱かれていた。
 
加えて、ラテン語教師の娘であるマレーナの蠱惑的(こわくてき)な姿態が、テストステロンの分泌で、「精通」(射精)する少年たちの「思春期スパート」の心身の劇的変化と重なっていたから、マレーナの存在は、まるで「媚薬」のように、異性感情を引き起こす特別な「何もの」かだった。
 
マレーナに情夫がいる」
 
この根拠のない噂が、女たちの悪意の根柢にある。
 
しかし、一貫して、マレーナに恋するドラマの主人公・レナートのナレーションで語られるので、肝心のマレーナの肉声が観る者に届けられることが殆どない。
 
それ故に、必要以上に、美しき「マレーナ」のフェロモンが放つ威力が増していく。
 
広場でのファシスト党の集会で、マレーナの夫・ニノの戦死が報告され、彼女の人生が一変する。
 
女たちの悪意の膨張とは相反(あいはん)して、マレーナは愛する夫の死に衝撃を受け、ベッドに横たわり、咽(むせ)び泣いていた。
 
その事実を、レナートだけが知っている。
 
なぜなら、「思春期スパート」を奔走しているレナートは、この時期、「善意」の少年ストーカーと化していた。
 
少年の憧憬対象が、「心に残るのは、あの少年の日に愛した女(ひと)だけ」と言わしめる、マレーナのような美女なら尚更のこと。
 
但し、レナートのストーキング行為は過剰であり、これは映画的に仮構された設定であると解釈すべきだろう。
 
そんな少年が、マレーナの家の中を、壁穴から覗くというストーキング行為に振れていた。
 
愛する夫のフォトスタンドを抱き締め、甘いメロディに合わせて、一人で踊るマレーナ
 
爾来(じらい)、未亡人となったマレーナに、以前にも増して、町の人々の好奇の視線が集中したのは言うまでもない。
 
だから、マレーナに対する噂の大半が、悪意に満ちたものになっていく。
 
喪服に身を包むマレーナへの悪口を吐き出す者に投石し、自転車で疾走するレナート。
 
13歳にも満たない少年には、この程度のことしかできないのだ。
 
遺族年金を減らされるという厳しい状況下で、生活の糧を失った未亡人ができることは限定的だった。


時代の風景  「 『丸刈り』にされた女 ―― 尊厳を奪回する「覚悟の帰郷」」よりhttp://zilgg.blogspot.jp/2018/05/blog-post.html