土喰らう十二ヵ月('22)   「今日」という一日を丁寧に生きていく

1  「ここに住まないか?毎日、うまいもの喰えるぞ」「ありがとう。ちょっと考えさせて」

  

 

 

信州の山奥で畑作の自給自足の生活をする作家・ツトムの元に、担当編集者の真知子が車を走らせ向かっている。

 

立春〉一年のはじまり(2月3日、2月4日頃)

 

ツトムが雪室から採ってきたサトイモを洗っていると、真知子のツトムを呼ぶ声がする。

 

ツトムは真知子を、干し柿と点(た)てた抹茶で迎え、続いて、年末につけた白菜と囲炉裏で焼いたサトイモ、熱燗を振舞い、原稿の催促をかわそうとする。

 

「タイトルだけでもちょうだい」と、原稿用紙を渡されたツトムが書いたのは、「土を喰らう一二ヵ月」。

 

啓蟄・けいちつ〉生き物が目覚める(3月6日~3月20日頃)

 

「信州の山奥、菅村(すげむら)での僕の暮らしが、女性編集者の目にとまり、山での日日々を連載することとなった。禅寺で9歳から習った精進料理を作り、それを書いてみようというのである。料理は素人。畑も自己流。13歳で禅寺を脱走した僕に、どこまでできるか分からぬが、実践してみることにした」(ツトムのモノローグ、以下モノローグ)

 

書斎から道元和尚(曹洞宗の開祖)の『典座教訓(てんざきょうくん)』という心得書(こころえしょ)を引っ張り出し、原稿を書き始める。

 

「台所番である典座(てんぞ)は、米を洗ったり、野菜などを調(ととの)えたりする時、直接、自分の手でやらねばならぬ、その材料を親しく見つめ、細かいところまで行き届いた心で扱わねばならぬ。一瞬とて怠けてはいけない。一つは見ていたが、一つは見逃していたということがあってはならない。すべて調理し支度するにあたって、凡人の目で見てはならない。物によって心を変え、人によって言葉を改めるのは、道心のあるもののすることではない、とまことに厳しい」(モノローグ)

 

【典座教訓とは、禅寺での食の作法を説いた書のこと】

 

原稿を書いていると、竈(かまど)で炊いているご飯が吹きこぼれ、慌てて土間へ行き、玄関を出て、目の前の雪に埋もれたほうれん草を引き抜く。

 

「僕がいた禅寺では、『献立は畑と相談するんや』と言われた。何もない台所から絞り出すのが精進で、典座によって台所と畑が結びついていなければならぬ。わずかな畑と相談することは旬を食べることであり、すなわち土を喰らうことだと言葉はなくても教えられた…ほうれん草の根元は、まことに洗いにくく、小僧の僕は面倒な根元を切り捨てた。それを見つけた和尚さんは、怒るふうもでもなく、『一番うまいとこを捨ててしもたらあかんがな』と拾われた」(モノローグ)

 

「ごめん」と愛犬のさんしょに、焦げたご飯を差し出す。

 

紅梅がほころび、スイセンの足元にツクシが顔を出し、ツバメが軒下の巣に飛んで来る。

 

澄んだせせらぎに、メダカが泳ぎ、草原にはタンポポが咲いている。

 

清明・せいめい〉万物が春を謳歌する(4月5日〜4月19日頃)

 

ツトムは身支度をし、川に水セリを採取しに行く。

 

山菜取りの師匠の大工に、庇(ひさし)を修繕してもらい、河原で摘み取ったタラの芽を焼き、振舞うツトム。

 

「うめぇな」と言って、出された味噌につけて食べる大工。

「うちの親父は、ご飯と味噌だけ持って山仕事に行って、昼になると山菜を採って焼いて喰ってた。まあ、貧乏人の知恵だな」

「昔の人はうめぇもん喰ってたんだな」

 

立夏〉菖蒲湯で邪気を祓う(5月5日から5月6日頃)

 

家の掃除をし、妻・八重子の遺影に線香をあげた後、北アルプスを望む畦道を、さんしょを連れ散策するツトム。

 

「妻・八重子の母は変わり者で、息子夫婦との折り合いが悪く、一人で畑を耕し、暮らしている」(モノローグ)

 

ポツンと立つ荒屋(あばらや)に義母・チエを訪ね、朝飯を共にする。

 

八重子の墓をまだ作っていないツトムに、チエが催促する。

 

「死んでから13年だぞ。早く作ってやれ。いつまでも置いとくのは、よくねぇよ」

「はい」

 

味噌をもらいに来たツトムは、「あと、わしゃいらねぇから」と言われ、樽ごともらって家へ帰る。

 

小満〉生命が満ち満ちる(5月19日〜5月21日頃)

 

竹林へタケノコを堀りに行き、禅寺で過ごした少年時代を思い出す。

 

「人間は不思議な動物で、匂いや味覚で、そんでもない暦(こよみ)の引き出しが開く。口に入れるものが、土から出た以上、心深く暦を経て、土地の絆が味覚に絡みついている」(モノローグ)

 

タケノコを炊いていると、真知子がやって来た。

 

炊きたてのタケノコをテーブルへ運び、噛(かぶ)り付く二人。

 

真知子が畑の種まきをしている間、長い竿でヤマバトを追い払うツトム。

 

「去年、目が出ないと思ったら、撒いた種を全部ヤマバトに食べられちゃってさ」

 

そう言っている傍から、ヤマバトが畑にやって来て、休む間もなく追い払うツトムを見て、笑う真知子。

 

芒種〉雨露の恵みをうける。(6月6日〜6月20日頃)

 

梅の木に実がなり、拾ったウメで梅干しを作る。

 

アカジソを摘み、塩で揉んで灰汁(あく)を取り、ウメの酒に馴染ませ、瓶に入れて漬ける。

 

小暑〉梅雨が明け、太陽が照る(7月7日〜7月21日頃)

 

子供の頃過ごした寺の住職の娘・文子が訪ねて来て、60年前に母が嫁いだ時に、父と一緒に母が漬けたという梅干しを持って来た。

 

「もしツトムさんに会(お)うたら、おすそ分けしてあげなさい」と言って死んだという。

 

夜、その梅干を口にし、味わうツトムは、「作った人が亡くなった後も生き続けている梅干し」の味に涙する。

 

立秋ひぐらしが鳴く(8月7日〜8月22日頃)

 

畑のナスやキュウリを収穫し、糠床に漬ける。

 

処暑穀物が実る(8月23日〜9月6日頃)

 

ゴマを採っていると、突然、八重子の弟夫婦がやって来た。

 

年金の件で連絡がつかないチエの様子を見てきて欲しいと、依頼されるのだ。

 

「ほら、ツトムさん、お義母さんと仲良しでしたでしょ」と妻の美香。

 

「お願いします」と義弟の隆が頭を下げ、そそくさと帰って行く。

 

ツトムがチエを訪ねると、チエは小さな荒屋で逝去してていた。

 

「弟夫婦は家が狭いので、葬式は僕のうちでやってくれと言う…」(モノローグ)

 

真知子が弔問の挨拶をすると、ツトムは通夜振る舞いを作るから手伝ってくれと頼む。

 

「付き合いのない人だから、村の人は来ない。親戚が数人だろう」

 

ツトムは、真知子に採りたてのゴマの皮を擦り取り、天日干し(てんぴぼし)するよう指示し、写真屋に遺影の写真を手配するなど、葬式の準備に忙しく動き回る。

 

大工が立派な祭壇を作り、写真屋がチエの大きな遺影を運び込んだ。

 

弔問に多くの村人が訪れ、通夜振る舞いの数が足りないと、ツトムは畑に野菜を採りに行き、真知子と二人で追加の料理を作っていると、美香がお寺さんは呼んでないのでお経を頼むと呼びに来た。

 

料理は真知子に任せ、ツトムが焼香の間、般若心経を唱えると、村の女性らが祭壇に味噌を備え、別れを哀しむ姿もあった。

 

通夜振る舞いのゴマ豆腐が美味しく、どうやって作ったかと聞かれたツトムは、「ごまをすりつぶして、葛で固めたのです」と答えていく。

 

「小さい時に京都のお寺にいて、毎日、精進料理を作っていました」

 

最後に弔問客14人で念仏講が執り行われ、ツトムは村の人たちにチエが仕込んだ味噌の料理を振舞うのである。

 

【念仏講とは、死者の往生のために念仏を唱えること】

 

隆が挨拶すると、村の女性たちに囲まれる。

 

「チエさんは偉(えれ)え人たったでぇ」

「わしらのみそは、チエさんのおかげだでぇ」

「おめぇ、頼りないけど、分かってるかやぁ?」

 

義弟夫婦にチエの骨壺を無理やり渡されたツトムは、家に持ち帰り、八重子の骨壺の隣に置く。

 

葬儀が終わり、安堵したところで、ツトムは真知子に「ここに住まないか?」と訊く。

 

「いいの?そんなこと言って」

「毎日、うまいもの喰えるぞ」

「それはいいなぁ。でも、仕事どうしよう」

「ここから通えばいいじゃないか」

「ちょっと、遠いなぁ」

「できるよ」

「ありがとう。ちょっと考えさせて」

 

親しき二人が最近接した瞬間だった。

 

 

人生論的映画評論・続: 土喰らう十二ヵ月('22)   「今日」という一日を丁寧に生きていく  中江裕司 より