タクシードライバー('76) マーティン・スコセッシ <「英雄譚」という逆転ドラマの虚構の終焉>

 ポルノ映画を見せて呆気なく破綻したベッツィとの関係を修復すべく、トラヴィス・ビックルは執拗に電話をかけ、謝罪する。

   「この間は、君の気分を壊して悪かった。別な映画に連れて行けば良かったんだ。機嫌を直してくれ。君は働き虫に喰いつかれ、気が立ってるんだ」

  なお妄想言語を繋ぐ男の精神構造には、当然の如く、相手の心理を深く斟酌した言語を紡ぎ出せない。

  拒絶された男は、遂にパランタインの選挙事務所に乗り込むが、追い出される始末だった。

  ベッツィから全く相手にされない男は、怒号を上げた。

  「君のような人間は死んで、地獄に堕ちろ!」

  それは、「終わりなき日常性の空洞感」を埋めるに足る決定的な転機を必要とするトラヴィスが、全てを失った瞬間だった。

  「やはり彼女も冷たくて、よそよそしい人間だった。そんな奴が沢山いる。女にも・・・」

  この一連の「失恋譚」の顛末は、以上の日記のモノローグでも判然とするように、異常なクライマックスに流れていく伏線として、本作の最も重要な場面であるだろう。

  全てを失ったと感受するトラヴィスは、ドライバーの先輩に自分の思いの一端を打ち明けた。

  「完全に落ち込んだ。ここから飛び出して、何かやりたいと思っている」

  この言葉が包含するネガティブな意味が理解できない年配のドライバーは、慰めにもならない言葉を返した。

  「どうせ俺たちは負け犬だ。何ができる?」

  この言葉に、トラヴィスはもう反応する術を失った。

  「こんなバカげた話は初めてだ」
 
  年配のドライバーは、色々、トラヴィスのためにアドバイスを送るが、「お前が何を考えているのか、さっぱり分らん」と嘆息するばかり。

  「俺にも分らない」

  トラヴィスの嘆息の深さは、誰にも推し量れない世界の中にあった。

  「どこにいても、俺には淋しさがつきまとう。逃げ場はない。俺は孤独だ」

  日記に綴る男のモノローグが、いよいよ沸点に達しつつあった。

  一切は、男にとって了解困難な、女の拒絶という深刻な攻撃性を受けたことに淵源する。

  男はこの絶望的な空洞感を埋めるために、遥かに大きなテーマを自らに課し、それを実践検証していくことによってしか自己有能感を確認できない際(きわ)にまで追い詰められていたのだ。

   タクシードライバーのトラヴィスが、裏のルートを介して、拳銃を購入したのは殆ど必然的であった。

  彼の精神世界が、既に、「悪の巣窟」を一掃するという妄想心理の魔物との親和性が身体化する方向への、その狭隘な出口を抉(こ)じ開ける条件を加速させてしまっていたのである。


  「また人生の転機が来た。だが、時は規則正しく過ぎて行く。漠然とした毎日が、長い鎖のように続く。しかし、突然、それが変わった」

  男の内側に深々と横臥(おうが)する黒々とした情念は、遂に狭隘な出口を抉じ開けてしまったのである。

  マグナム、38口径、コルト25、ワルサーの4丁の拳銃、加えて、メキシコ製ホルスター(拳銃をつり下げるための革ケース)を手に入れたトラヴィスは、かつて彼がベトナム戦争に派遣された海兵隊の前線兵士であったように、今また一人の「戦士」として、自らを雄々しく立ち上げていくのだ。

  「なまった体を鍛え直すため、きつい訓練を開始する。毎朝、腕立て伏せを50回、懸垂も50回。薬の乱用や粗食は止め、健康の回復に努めて、全身の筋肉を強化する」

  これは、「戦士」として自らを立ち上げた男の、自己改造のマニフェスト

  鏡に向かって、銃の早撃ち訓練を繰り返しながら、男は思い切り感情を込めて、仮想危機トレーニングと思しき独言を繋いでいく。

  「俺はここだ、やってみろ。やれって言うんだ、やれよ。止めとけ、バカ。俺に用か?どうなんだ?誰に言ってるんだ、俺か?俺しかおらん。一体、誰と話してるんだ?」

  「頭の中で、計画は進んでいた。真の力。他の者はそれを元通りにできない」
 
  男のモノローグは、もう後戻りできないポイント・オブ・ノーリターンの際(きわ)にまで、自らを押し出していた。

  その際で、男の戦闘宣言が吐き出されていったのだ。

  「よく聞け、ボンクラども。もう、これ以上我慢できん。分ったか、屑ども。これ以上、我慢できん。あらゆる悪徳と不正に立ち向かう男がいる。絶対に許さん。俺さ・・・」

 
(人生論的映画評論/「タクシードライバー('76)  マーティン・スコセッシ  <「英雄譚」という逆転ドラマの虚構の終焉>」より抜粋http://zilge.blogspot.com/2009/11/76.html