銀座化粧('51)  成瀬巳喜男  <「女」という名の商品価値の攻防>

 これは、戦後間もない頃の銀座のバーに勤める、一人のホステスの物語。

 映像のテーマは、彼女の中に内在する「女」と「母」という二つの意識様態が微妙に交錯し、揺動しつつも、後者の牽引力が前者のエロス的世界を制御する感情の流れ方を精緻にフォローしたものだが、そこに、成瀬特有のユーモアと哀感を込めて見事に描き切った映像表現の構築に成功したところが、本作を秀作に足るものとして評価の定まった所以であるだろう。

 彼女の名は雪子。

 戦中に羽振りの良かった藤村の愛人となり、彼との子供を儲けている。

 子供の名は春雄。

 戦後直後の、物のない時代で育った子供たちの共通の特徴であるように、春雄もまた極めて闊達(かったつ)な子で、一日中、表で遊び回る元気さに溢れている。

 今はすっかり甲斐性を失くした藤村が、雪子の元におもねる態度よろしく頻繁に訪ねて来るが、その目的は様々に理由をつけた小金のせびりである。

 多くの場合、情の深い雪子から金銭を手に入れる男は、自分を父と知らない春雄に、その中から僅かばかりの小遣いを渡して、自己満足するような小さな世界で呼吸を繋いでいる。

 この描写が映像のファーストシーンとして印象的に導入されていたが、円環的な日常世界を描く成瀬巳喜男は、本作のラストシーンにおいて、小金をせびり損ねた藤村が春雄に小遣いを渡せずに退散する描写を、滑稽気味に添えていた。

 そんな甲斐性のない男を、既に「女」の視線で捕捉する対象として継続できなくなっている雪子が、それでも男の訪問を拒まないのは、若い頃に世話になった報恩の感情が存在するからである。

 雪子が、かつてのホステス仲間の静江に、自らの思いを語っているシーンがあった。

 「私が藤村と手を切ったのは、あの人が落ち目になったからじゃないのよ。春雄のこと、それからあの人の奥さんや子供さんのこと、色々考えた末のことなのよ」
 「じゃ、何で寄せつけてんの?」と静江。
 「ほら、あなただって知ってるでしょ。春雄を産んだ後、私が病院で死にそうになってたときのこと。あのとき、あの人に助けてもらった恩だけは、どうしても忘れることができないのよ」

 このような感情を抱懐する雪子の人格イメージは、「律儀な女」という言葉が相応しいだろう。

 「律儀な女」は同時に、「身持ちが良い女」でもあった。

 雪子が勤めるバーのマダムから、経営の維持のために20万円の金策が必要であると打ち明けられ、ホステス稼業で身過ぎ世過ぎを繋ぐため、彼女なりに思案していた折、静江からの紹介で、雪子に思いを寄せる菅野という成金(?)を紹介されたときのこと。

 その資産家の男と会った雪子が、男に無理やり倉庫の中に誘い込まれ、有無を言わせず、男の性欲が襲いかかって来たとき、彼女の取った行動は毅然としたものだった。

 「見損なわないで。私そんな女じゃありません」

 そんな啖呵を切って、雪子は倉庫の中で男を突き飛ばすや、倉庫の重い扉を自ら抉(こ)じ開け、足早に走り去っていったのだ。

 その描写には、「ホステスを舐めるな」という正当な感情の噴き上げの内に、一つの凛とした人格的表現が含まれていて、如何にも成瀬映画の定番的な女性像が立ち上げられていた。


(人生論的映画評論/銀座化粧('51)  成瀬巳喜男  <「女」という名の商品価値の攻防>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2009/10/51.html