「皇室草創」 ―― 両陛下が、今、思いの丈を込めて始動する

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1  「人生脚本」を革命的に「再定義」した魂が打ち震えていた
 
 
有能な親から、有能な子供が生まれる。
 
必ずしも当たっているとは言えないが、教育熱心な分だけ、「オーバーケア」(過保護)の性向を否定できないが、子供の自立性を剝奪(はくだつ)する「過干渉」と切れている有能な親から、有能な子供が生まれる蓋然性(がいぜんせい)を敢えて書けば、その子供は相当の確率で有能になるだろう
 
然るに、その子供が成人して、希望の職業に就き、希望の職務を担当し、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の日々を6年間近く、不満なく継続させている渦中で、そ職務の継続が艱難(かんなん)になる不測の事態が生じたら、件(くだん)の人物の人生脚本」は、決定的な狂いを生じ、渾沌(こんとん)を極めるかも知れない。
 
破綻の危機に陥り、大幅な「脚本」の書き換えを迫られ、そのために、これまで、些少(さしょう)の修正を加えつつ、推移してきた人生の「計画」が、灰燼に帰す(かいじんにきす)かも知れないのだ。
 
ここで言う「人生脚本」とは、カナダ出身の精神科医エリック・バーン「交流分析理論」の中核的概念で、幼少期に、無意識のうちに描いた「自分の人生設計図」のこと。
 
そのエリック・バーンの「交流分析理論」を私なりに解釈すれば、人間は、両親からの影響を大きく受けながら、自らの「生脚本」に準拠し、それを自覚することなく、無意識的に書き換えながら生きていて、意識内のフィルターによって、社会との「最適適応」を具現するように、「再定義」しつつ、呼吸を繋いでいくという風に説明できる。
 
従って、両親や周囲の〈状況〉から大きな影響を受けて作られたであろう、自らの「人生脚本」が破綻の危機に陥り、そこで生まれた環境の激変呑み込まれ、「最適適応」を具現するために、それが「決意」にまで跳躍するには、革命的な「再定義」「人生脚本」を歪めて理解し直す)が内側から求められざるを得ないだろう。
 
だから悩む。
 
深く悩む。
 
 
革命的な遷移とは、「次代の皇室を担う皇太子妃」になること。
 
桁違い(けたちがい)で、途轍(とてつ)もない変容だった。
 
言うまでもなく、「人生脚本」の「再定義」を果たしたは、「皇后雅子」、即ち、当時、現役外交官の小和田雅子(おわだまさこ/以下、すべて敬称略)。
 
かくて、「バイリンガル」(二言語話者)、「トリリンガル」(三言語話者)を超えて、「マルチリンガル」(四言語以上の話者)の域に達した「皇太子妃雅子」が誕生するに至る。(注1)
 
「並外れて、有能な子供」「並外れて、有能な親」の名は、小和田恆(おわだひさし)。
国連大使・外務事務次官を務めた経歴を持つ外交官である。(因みに、事務次官とは、各省庁の官僚の最高の地位で、国務大臣を補佐)
 
教師の次男として、コシヒカリの産地として有名な、新潟県北部の中核都市・新発田市(しばたし)に生まれ、長女・雅子の「人生脚本」の起点のイミテーション(模倣)になるかのように、東京大学在学中に外交官領事官試験に合格し、外務省に入省し、入省後にケンブリッジ大学に留学する。
 
爾来(じらい)、有能な人物の常で、外務省で昇進を重ねていくが、印象深いのは、欧米の外交官からの評価が高く、その能力が世界中に知られていたこと。
 
その有能な凄腕(すごうで)ぶりは、省内で、「カミソリ小和田」という渾名(あだ名)を付けられていた。
 
その一方、Wikipediaによると、官僚たちは「有能なだけにあまりに細かいところに気がつきすぎるため、部下としては仕えにくい上司であった」と語っている。
 
ここで、社会心理学・三隅二不二(みすみじゅうじ)の有名な「理論」(リーダーシップ理論)に言及したい。
 
「PM理論」とは、集団成員が組織目的を達成するための機能を、「職務遂行機能」(P型)と「集団維持機能」(M型)に峻別(しゅんべつ)し、(P)機能と(M型)機能を組み合わせて4類型化したもので、それぞれ、PM型機能の高い順から言えば、PM型⇒Pm⇒pM型⇒pm型という順列になる。
 
これで判然とするように、(P型)機能と(M型)機能のいずれも大きいPM型が、組織目的を達成するための機能として最も高く、反対に、機能のいずれも小さいpm型が、目標達成能力が最も低いということになる。
 
以上、この「PM理論」に準拠すれば、小和田恆の場合、外務省内での「職務遂行機能」(P型)が最も高い評価を受けていたと思われる。
 
しかし、「カミソリ小和田」という微妙な渾名が示すように、省内組織での目標達成機能を考慮した時、「部下としては仕えにくい上司であった」と語った先の官僚たちの、率直な反応を受け入れれば、小和田恆をリーダーとする職務の評価は、Pm型に近いのではないだろうか。
 
良かれ悪しかれ、そんな「並外れて、有能な親」の長女雅子は、自らの「人生脚本」に導かれるように、「マルチリンガル」の「並外れて、有能な外交官」になり、昇進を重ねていく人生が予約されていた。
 
しかし、彼女の人生に、革命的な遷移(せんい)が起こった。
 
前述したように、「皇太子妃雅子」の誕生が、「並外れて、有能な外交官」の「人生脚本」の「再定義」を強いて、その人格が、「世俗世界」と乖離する「異世界」の懐(ふところ)の中枢に吸収されていく。
 
その時、「皇太子妃雅子」は、「皇室」という「異世界」の世界で求められ、国民から期待される「職務」の遂行を、PM型的イメージのうちに果たし得たか。
 
これ、切っ先鋭く、「マルチリンガル」の成人女性に問われることになったのだ。
 
「異文化衝突」が招来する様々な軋轢(あつれき)によって、随所に波風が立ち、彼女の自我がセルフコントロール能力を失い、不安定で、波乱に満ちた「非日常の日常」の日々が待機していると言い切れなかったのが、以(もっ)て言い難い、私の余情を生んだのか。
 
一切は、自らのアンビション(強い願望)が崩れた衝撃に起因す
 
それは、「並外れて、有能な外交官」・小和田雅子が、「皇太子妃雅子」に遷移した時、決定的に炙(あぶ)り出されていくのだ。
 
今や、「人生脚本」を革命的に「再定義」した魂が打ち震えていた。
 
(注1)皇室問題や論壇時事などを中心に扱うニュースサイト「論壇net」によると、「皇后雅子さまは「『5カ国語』を操り、その知性は『アラブ王族』をも魅了」したと言う。直近のニュースとして興味深いのは、初対面のメラニ夫人(トランプ夫人)に対して行ったチークキスは、チークキスの文化を有する東欧スロベニア出身の夫人の笑みを引き出し、高いレベルの外交技術を表現する新皇后に対し、「このような何気ない所作一つとっても、その振る舞いから気品や知性が溢れる出る雅子さま。この様な振る舞いは、美智子さま紀子さまでは到底できなかったでしょう。雅子さまだけが自然にできたことです。(略)日本が誇る皇后の実力」と発信した。但し、国際基準の外交技術に長(た)ける新皇后の、「人生脚本」の体現でしかない、至極(しごく)普通の表現に馴染まない日本人にとって、エリート流の「手前味噌」のパフォーマンスと見る向きもあるだろう。私は、その根柢に、「皆、同じ」という「平等信仰」を崩される事態を厭悪(えんお)する日本人の、自国に「異文化」を持ち込む「マルチリンガル」(多言語話者)への差別が伏在(ふくざい)していると考えてい


時代の風景「『皇室草創』 ―― 両陛下が、今、思いの丈を込めて始動する」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2019/07/blog-post.html

心の風景「『覚悟の一撃』 ―― 人生論」より

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突入するにも覚悟がいるが、突入しない人生の覚悟というのもある。覚悟なき者は、何をやってもやらなくても、既に決定的なところで負けている。その精神が必要であると括った者が、それを必要とするに足る時間の分だけ、自らを鼓舞し続けるために、「逃避拒絶」のバリアを自分の内側に設定する。それを私は、「覚悟」と呼ぶ。できれば、その内側に「胆力」を付随(ふずい)させる必要がある。「恐怖支配力」こそ、「胆力」という概念の本質であるからだ。
 
覚悟こそが言葉を分娩し、そこに血流を吹き込んでいく。「自由の使い方」を喪失した時代の浮薄さが垂れ流す、ジャンクな言葉の氾濫 ―― もうそこには、「教育」という概念に命を吹き込むリアリティは復元しないのか。
 
「赦せない」という感情ラインと、「赦してはならない」という道徳ラインが結合すると、しばしば、最強の「憎悪の共同体」を作り出す。これを法の論理で突破するのが困難になるとき、そこに死体の山が重なっていく。人間の歴史は、この類(たぐ)いの厄介な現象を内包するから、私たちの精神の僅かの進化が目立たなくなるのだ。私たちの脳には、社会心理学のフィールドで言う、「感情予測」がネガティブなものに振れやすい、「インパクト・バイアス」という感情ラインが伏在しているので、どうしても、このラインをブレイクスルーし切れないのだ。然るに、そのような目立たいものでも守り続ける根気があるかどうか、それは知性のフィールドである。
 
「絶対の自由」への旅人には、相当の覚悟が求められる。第一に、路傍で死体になること。第二に、その死体が迷惑なる物体として処理されるであろうこと。そして第三に、一切がほぼ意志的に、一ヶ月もすれば忘れ去られてしまうこと。この三つである。即ち、一人の旅人から完全に人格性が剥(は)ぎ取られ、生物学的に処理されること。このことへの途轍もない覚悟である。それは、「絶対の自由」=「絶対孤独」に最近接した者が宿命的に負う十字架であるだろう。それでも貴方は、「絶対の自由」への旅に向かうのか。
 
「親愛」「信頼」・「礼節」・「援助」・「依存」・「共有」 ―― 以上の六つの要件こそが、「友情」を構成する因子であると、私は考えている。いずれも、重厚に脈絡し合って形成された心理的コンテクストであり、これら全ての要件が適度に均衡し合って形成された関係様態 ―― それを私は「友情」と呼んでいる。
 
「秘密の共有」と「仮想敵の創出とその共有」 ―― これが、「友情」を「同志」に変えさせていくときの中枢的な情感コードとなる。
 
「愛」・「思いやり」「優しさ」 ―― 勝手に読まれ、物語含みで増幅的にイメージされていく。無自覚なまま、これらの言葉の氾濫に馴致(じゅんち)していくと、それが本来的に具備していた「言語的価値」が独り歩きし、虚構性だけが宙を舞い、いつしか、「慣習的記号」の枠に押し込められていく。「慣習的記号」でしかない言葉が、互換性を有しないゲームとして変換され、良くも悪くも、メディアで存分に消費され、遊ばれていくのである。
 
「天才の法則」「天才もどきの法則」・「スモール・ステップ(SS)の法則」そして、「法則にもならない無原則な生き方」。人生のスタイルには、この四つがあると思われる。
その腕力と、本来的な「激情的習得欲求」(ある女性脳科学者の「天才」の定義)に任せて、イノベーションを達成した巨大企業が、破壊的技術を持つ後発の新興企業の発展に興味を示すことがなく、自らの改革を疎(おろそ)かにすると、フィルムカメラデジタルカメラに置き去りにされたように、あっさりと抜かれてしまう「イノベーションのジレンマ」の凄みは、一際(ひときわ)目立つ。「激情的習得欲求」を推進力にして「イノベーションのジレンマ」を克服し、大目標に向かって直進する天才と、その多くの追随者・「天才もどきの法則」の突破力と切れて、SS者の快楽は、日々の自己完結感の達成にある。一つ一つの達成感の累積に生きられる、SS者のもう一つの強みは、目標を自在に変更できることだ。目標の達成が苛酷だったら、「今、このとき」の可能な目標に切り換えて、とにかく、一つ抜け出すのである。実現可能な目標への地道な行程を継続し切ったその向うに、より開かれた未来が待っていて、振り返ったら、軌跡がラインとなって浮かんでいる。少なくとも、この生き方は、優先順位をミスリードしない堅実性において群を抜。「無原則な生き方」で手に入れる、短期集中型の一過的な悦楽も悪くはないが、本物のSS者が一番強く、しなやかで、クレバーな生き方の選択ではないだろうか。
 
「良心」とは、或いは、内に向かった攻撃性である。そ攻撃性を実感し、自己了解することで、人は「良心」という甘美な蜜の味に一時(いっとき)酔い痴れる。自虐することで得られる快楽に際限はない。イエス然り、聖フランチェスコ然り、トルストイ然り、ガンジー然り、「私小説の極北」・嘉村磯多(かむらいそた)然りである。際限のない自虐の展開は、大抵、周囲の人間を巻き込んでいく。「良心」の呵責に苦しむ自己を他者に認知してもらいたいのだ。人は自分を不断に告発し、断罪し、苛め抜くことによって、「ここまで責めたから赦しを与えよう」という浄化の観念に束の間、潜り込んでいく。それを私たちは「良心」と呼んでいるが、そこに、「自虐のナルシズム」という感情ラインが重厚に絡んでいる心理的文脈を誰が否定できようか。
 
他人から見えないところに出口を確保したあと、人は己を巧妙に責め立てていく。抑制的で、計算された攻撃性に快楽が随伴するとき、それを「良心」と呼ぶことに私は躊躇(ちゅうちょ)しない。何のことはない。「自己嫌悪」とは裏返された自己陶酔なのである。
 
「やってはならないこと」と「やって欲しくないこと」を峻別(しゅんべつ)できない者に、相応の権力を与えてしまうこと。そこから人間の悲劇の多くが生まれる。
 
自分のことを少しでも知る者から見透かされることの恐怖感 ―― それが虚栄心の本質である。
 
私たちは程ほどに愚かであるか、殆ど、丸ごと愚かであるか、そして稀に、その愚かさが僅かなために目立たない程度に愚かであるか、大抵、この三つのうちのいずれかに誰もが収まってしまうのではないか。
 
役割が人間を規定することを否定しないということは、人間は役割によって決定されるという命題を肯定することと同義ではない。そこに人間の、人間としての自由の幅がある。この自由の幅が人間をサイボーグにさせないのである。
 
人間は、役割によって全てが決定されてしまうに足る、完全無欠な能力性など全く持ち合わせていない。人間は、人間を支配し切る能力を持ってしまうほど完全な存在ではないということだ。いつもどこかで、人間は人間を支配し切れずに、怠惰を晒す。これは、人間の支配欲や征服感情の際限のなさとも矛盾しない。どれほど人間を支配しようとも、支配し切れぬもどかしさが生き残されて、余裕なき躁急(そうきゅう)の感情の起伏が露わになるばかりと化す。支配の戦線から離脱してしまう不徹底さを克服し得るほど、私たちの自我は堅固ではない。人間の自我の能力など、高々、そのレベルなのだ。私たちは相手の心までをも征服し切れないからである。ここに、人間の自由の幅が生まれる。この幅が人間を生かし、ばせるのだ。支配の戦線から離脱し得る相対性を生かし、自由の幅で遊ぶ余裕がある者が、重大な危機の頂点を極めた「人生の達人」かも知れない。
 
日常性の裂け目の中からぬくもり(安らぎ)が作られる。「ぬくもり継続感」を、私たちは「幸福」と呼ぶ。この継続感は、適量の心地良さで収めておかないと痛い目に遭う。少な過ぎるぬくもりより、過剰なぬくもりの方が、性質(たち)が悪いのだ。ぬくもりで保護され過ぎた人生には、ぬくもりの意識すら生まれない。「幸福」の実感も殆ど曖昧になってしまうに違いない。「想像の快楽」=「プロセスの快楽」で遊ぶ余地が少ない、幸福感度の希薄さ。人間的なものから遠ざかっていく怖さ、そこにある。
 
所得の上昇は、必ずしもウェルビーイング(良好な状態)の上昇もたらさない。「ぬくもりの継続感」が確保されていなければ、「幸福」実感を手に入れられないだろう。これを、「幸福」のパラドックスと言う。未知なるフラッシュクラッシュ(瞬時の急落)を怖れる人間にとって、偏(ひとえ)に、ウェルビーイングの変異の落差を繰り返すことなく「ぬくもりの継続感」安定的に自給できれば、それ以上の至福はない。
 
タブーを越えても、吐き出したいだけのモチーフが崩れれば、大抵、予定調和の世界に入っていく。情愛をベースに結ばれた関係とはそういうものだ。
 
母の甘えと子供の甘えが程好(ほどよ)く混淆(こんこう)されていて、何某(なにがし)かの衝突を収拾するであろう、和解向かう関係の経験的なスキルの存在が、適度に混淆された甘えを存分に生かしきっている。衝突は必ず、和解という予定調和に流れ込まねばならない。だから、衝突にも技術論が必要である。衝突の技術は、和解の不自然さを解消するのだ。母と子の、殆ど日常的な諍(いさか)いのゲームもまた、経験的な技術の勝利であった。
 
普通の教育を受けた大人の自我に、少なからず、「あの素晴らしかった子供の世界に戻りたい」という願望が伏在するのは、第一に、自我の一貫性を保持したいという志向性であり、第二に、大人社会のストレス処理のためだろう。その意味で私たちの「退行」は、大抵、「部分退行」であり、「方法的退行」である。いつでも、日常性に還ってくる確かな航路が確保されていることによって、私たちは非日常的な「退行」を許容するのだ。
 
「妬まず、恥じず、過剰に走らず」 ―― これを私は「分相応の人生命題」と命名し、肝に銘じているが、実際の所、「過剰の抑制」が一番難しい。大脳辺縁系扁桃核から前頭葉に走る「A10(エーテン)神経」=「快楽神経」は、多量のドーパミンを分泌しているが、肝心の前頭葉に「オートレセプター」という抑制系がないと言われるので、フィードバッグ機能が充分に作動せず、いつでも、ドーパミンが過剰に分泌されてしまうのか。それ故に、自己実現のプロセスの中で、どうしても「過剰の抑制」が成就しないのだろう
 
「分相応の人生命題」の日常的検証は、いつも少しずつ、チクセントミハイが言う「フロー体験」(最適経験)の中枢からずれていって、脆弱な自我だけが置き去りにされてしまうのだ。それでもなお、自前の哲学に継続性を持たせたいと括る意識だけは安楽死していないようだから、せいぜい、内側の中枢で「覚悟の一撃」を再生産していくことである。
 
プレッシャーとは、「絶対に失敗してはならない」という意識と、「もしかしたら失敗するかも知れない」という、二つの矛盾した意識が同居するような心理状態である。そのため、固有の身体が記憶した高度な技術が、ゲームの中で心地良き流れを作り出せない不自然さを露呈してしまうのだ。この二つの矛盾した意識が自我の統括能力を衰弱させ、均衡を失った命令系統の混乱が、恐らく、神経伝達を無秩序にさせることで、身体が習得したスキルを澱(よど)みなく表出させる機能を阻害してしまうのではないか。
 
「健康」・「老化」・「生活の質の低下」・「孤独」―― この四つのキーワードは、近代社会に呼吸を繋ぐ者の恐怖感と言っていい。この恐怖が老境期に集中的に襲ってくるのだ。貴方はそれに耐えられるか。老境期こそ、「防衛体力」と「行動体力」の相対的強化が切に求められる、人生最大の正念場である。老境期は「生きがい」よりも、「居がい」の方が決定的に重要であるとも言われる。老境期に人生の頂点をもっていけるかどうか、そこに全てがかかっている。エリック・エリクソンの妻・ジョウンが、8段階に分けた夫のライフサイクルの9段階目に、主観的満足感に浸ることが可能な「老年的超越」の獲得を設定したのは、よく知られている。「老年的超越」の獲得こそ、人生最大の正念場・「老境期」の最高到達点であると思いたい。
 
日常性は、ほんの少し更新されていくことで、自在に変形を遂げていく。それが日常性の基盤に組み込まれて、新しい秩序を紡ぎ出す。そこからまた新しい出口を見つけ出して、人々は漫(そぞ)ろ歩いて止まなくなるのである。
 
私たちの内側では、常にイメージだけが勝手に動き回っている。しかし、事態は全く変わっていない。事態に向うイメージの差異によって、不安の測定値が揺れ動くのだ。イメージを変えるのは、事態から受け取る選択的情報の重量感の落差にある。不安であればあるほど情報の信憑性が低下するから、情報もまた、イメージの束の中に収斂されてしまうのである。
 
「恥じらいながら偽善に酔う」 ―― このスタンスを崩さないことだ。束の間酔って、暫(しばら)く恥じらい、そしてまた、昨日もまたそうであったような日常を、自らの律動で動いていくことである。酩酊を一定の流れの中で遊ばせて、その流れの中で清算し、その一部を明日の熱量に繋いでいけば、殆ど自己完結的ではないか。人は酔うときも、その酔いに見合っただけの「自己管理」が必要なである。
 
河を渡ったことがない者に、河の向うの快楽は手に入らない。河を渡ったことのない者に、そこで得た快楽の代償の不幸にも捕捉されない。快楽を手に入れたいが、不幸には捕捉されたくない。そんな虫のいい者は永久に河を渡れない。せいぜい、河の向うの快楽を想像して愉悦するだけだ。河を渡れない者にとって、「想像の快楽」こそ、最強の快楽なのだから。その決断も、時として、誇り得る勇気であるに違いない。
 
覚悟なしに河を渡るものがあまりに多い。当然、報いを受ける。大抵、本人は、その報いを自分の内側の深い所で受け止めない。だから多くの場合、人のせいにする。人のせいにするから、いつだって、貧困なる人生のリピーターになるのだ。
 
見てしまわない限り、そこには何もない。大抵の不幸は、見てしまった後からやって来る。初めのうちは輝きの微笑を放っていたものが、やがて色褪せ、遂には煉獄(れんごく)の淵に立ち竦(すく)む。立ち竦んだとき、人生の何が見えたか、何が見えなかったか、あまりに多様である。それでも湿度の高い時間を濃縮したような、決定的な人生のゲートがそこから開かれるなら、貴方は決して高い買い物をしなかった。見てしまった限り、貴方はそこを突き抜けていくしかない。見てしまった限り、貴方はもう戻れない。見てしまうことに、如何に覚悟が必要だったか。大抵の人がそのことを知るのは、いつも見てしまった後なのだ。
 
仮想敵を持たない青春が最も憐れである。その暴走を喰い止めてくれる壁もない。微温ゾーンをゲームが駆けていく。骨格の脆弱な他愛ないゲームと化した青春が、其処彼処(そこかしこ)に舞い踊る。仮想敵にならねばならない何ものかが、ゲームを煽動するのだ。かくして、言語の切っ先が苛烈(かれつ)に先導した一切の青春論は息絶えた。人生論も息絶えた。そこに、過剰なまでに「察し」を乞う、ネオテニー幼形成熟/幼生の特徴を残したまま性的に成熟し、繁殖する)の如き、予定調和的な依存型のゲームだけが生き残された。
 
青春の尖(とが)りには二種類ある。一つは、「自己主張」であるが故の尖り(「自己顕示」)であり、もう一つは、「自己防衛」としての尖りである。前者の尖りは青春そのものの尖りであり、まだ固まっていない漂泊(ひょうはく)する青春が、その内側に蓄えてきた熱量が噴き上がっていくときの、「怒りのナルシズム」である。それは青春が初めて、その怒りを身体化させていくに足る適正サイズの敵と出会って、その前線で展開されるゲーム感覚の銃撃戦を消費する快楽である。従ってそれは、そこで分娩された快楽を存分に味わっていく過程で、自我を固有な形に彫像していく運動に収斂されていくので、その運動が極端に規範を逸脱しない限り、一種の通過儀礼としての一定の社会的認知を享受すると言っていい。青春を鍛えるには、それが鍛えられるに相応しい敵対物が求められるからである。多くの場合、敵対物の存在しない青春ほど、哀れを極めるものはないのだ。漂泊する青春を過剰に把握し、その浮薄なる「既得権」を必要以上に守る社会が一番劣悪なのである。
 
守るべき者がその身に負った過大な重量感が、そんな青春をしばしば苛酷にする。そこには、ゲームが支配するガス抜きのルールが存在せず、青春の尖りは険阻(けんそ)な表情を崩せないでいるに違いない。それ以上追い詰めてしまうと、青春という液状の自我が、社会のどのような隙間からも、一気に流れ去ってしまいかねないような充分な危うさを抱え込んでいる。従って、その自我が必死に防衛しようとするものに、許容値を越えた劇薬が含まれていない限り、社会はその尖りに、むしろ同情的であっていい。潮目の辺りで、我が身を乗せる流れにしがみつく青春にこそ、救命ボートの一艘(いっそう)くらいは差し向けられてもいいのだ。しかし、そんな青春に限って、我が身を守るはずの攻撃的な棘(とげ)によって、しばしば、痛々しいまでに自傷してしまうのである。青春の自己運動の難しさが、そこにある。
 
偏見とは、特定なものへの過剰なる価値付与である。価値の比重が増幅される分、公平な観念が自壊している。想像力の均衡が自壊している。その分、教養のレベルも自壊しているだろう。
 
自分が嫌う相手を自分と一緒に嫌い、自分と一緒に襲ってくれる者を人は「仲間」と呼び、「味方」とも呼び、しばしば、「同志」と呼びさえもする。この「仲間」たちと共有する一体感は、感情が上気している分だけ格別である。社会心理学で言う所の、構成員を引き付けるパワー=「集団凝集性」の異様な高揚の中で、リスキーシフト(集団の中では言動が極端になりやすいこと)が其処彼処(そこかしこ)で顕在化し、もうそれは、極上の快楽以外の何ものでもないのだ。
 
「確信は嘘より危険な真理の敵である」 ―― これは、「人間的なあまりに人間的な」の中のニーチェの言葉である。「確信は絶対的な真実を所有しているという信仰である」ともニーチェは書いているが、それが信仰であるが故に、確信という幻想が快楽になるのだ。例えば、人がその心の中で大きなストレスを抱えていたとする。そのストレスは自分にのみ内在すると確信できるものなら、基本的に自分の力でそれを処理していく必要が出てくる。ところが、そのストレスが自分にのみ内在するものではなく、自分を取り巻く環境に棲(す)む者たちに共通するものがあると感じ、且つ、そのストレスを惹起させる因子が外部環境に大いに求められると感じたとき、人はそこに、しばしば、他者との「負の共同体」と呼べる意識の幻想空間を作り出す。そのとき、自分の中の特定的イメージがその幻想空間に流れ込んで、それらのイメージが一見、整合性を持った文脈に組織化されることで、そこに集合した意識のうちに「確信幻想」が胚胎されてしまうのである。
 


心の風景「『覚悟の一撃』 ―― 人生論」よりhttps://www.freezilx2g.com/2019/07/blog-post_12.html

「時間」の心理学

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1  「内的時間」の懐の此処彼処に、「タスク」への問題意識を詰め込んでいく
 
 
「自由」とは何か。
「生きる」とは何か。
「人生」とは何か。
「人間」とは何か、等々。

唐突に聞かれても、軽々(けいけい)に答えられない人生の難問について、多くの同世代の若者たちと同じように、真剣に考える時期が、私にもあった。
 
 
それに腹が立った。
 
胡乱(うろん)なレトリックで捲(まく)し立て、機先を制したつもりになる厚顔さでピンチを脱しても、「答えられるようで、答えられない現実」に腹が立つのは、内側で増すばかりだった。
 
年相応の、技巧を駆使しての「状況脱出」という「現象」それ自身が、堪(たま)らないのである。
 
私は何も知らないのだ。
 
しばしば、非武装の「空気」の後押しで饒舌(じょうぜつ)になるが、その饒舌充填(じゅうてん)する知性の欠如は隠し切れなかっ
 
一切が根源的で、厄介な「懸案」「タスク」なる。
 
ペンディング(保留)にする外になかった。
 
この類(たぐ)いの「タスク」が増えていく辺りが、不備不足を露呈する青春期の泣き処(なきどころ)なのだろうが、それを打ち遣(や)る懦弱(だじゃく)さに腹が立つのだ
 
累加される一方の「タスク」を片付けていかなければ、青春期が中空(ちゅうくう)に浮遊し、何某(なにがし)かの活動に挺身(ていしん)ていても、至要(しよう)たる人格総体の自律性・自立性・主体性・能動性が脆弱になり、隊伍(たいご)の外縁(がいえん)から弾かれて、いつしか、「進軍不能」の状態になっていた。
 
そんなが、「矛盾撞着」(むじゅんどうちゃく)の臨界点にまで押し込まれ、「進軍」を断ち切ったのは、それ以外に、厄介な「懸案」の「タスク」片付ける方略がなかったからである。
 
あらん限り時間を、「タスク」処理、即ち、「教養漬け」の日々に、自らメリ込ませる。
 
流れの中で決断した。
 
20代の初めの時だった。
 
青春期一時(いっとき)を、相応の目的意識を持って、「モラトリアム」の時間に変換したの
 
没我(ぼつが)と言えば、聞こえが良い当時の私には、それ以外の選択肢がなった。
 
気取りなく、「絶対孤独」と括った「教養漬け」の日々は、2年間続いた。
 
あっという間だった。
 
「時間」が足りない。
 
そう思った。
 
時間大切さ。
 
それを実感した。
 
思えば、道徳的理想の実現のため、守るべき徳目を定め、それを日常的に遂行していった、18世紀アメリカのオールラウンドプレーヤーとして知られる、ベンジャミン・フランクリンの自伝には、広く世に知れ渡った、「時間を空費するなかれ」(「時は金なり」)という徳目があり、これだけが、今でも、私の脳裏に焼き付いている。
 
功成り名遂げたマルチ人間の胡散(うさん)臭い説教と言うより、「𠮟咤激励」という意味合いで受容したからだろう。
 
「𠮟咤激励」と言えば、18世紀アメリカの思想家・エマーソンほど、私を鼓舞した歴史的人物はいない。
 
「絶対孤独」と括った「教養漬け」の日々の中で、最大の「啓蒙家」と言っていいかも知れない。
 
「自己を信頼して生きよ」
 
この言葉は勤勉で、徹底的な合理主義精神を有し、近代的人間像を体現したフランクリンが言い放っても、大して心に響かないが、エマーソンは違った。
 
26歳で牧師になっても、教会の形式主義に反発し、本来の自由信仰の故に牧師の職を迷いなく捨て、ヨーロッパ旅行に打って出るような独立独歩の行動的思索者。
 
「トランセンデンタリズム」(「超越主義」という理想主義運動)を指導し、自らの拠って立つ思想の基盤を独自の個人主義に据え、理想主義的な生き方を求め続けた男の表現の営為は、劣化が目立ち、ビンテージものの「エマソン選集」に読み耽っていた時期の、最強の活力源となった。
 
「自己信頼」 ―― 「エマソン選集 第2巻 精神について」(日本教文社)を貫流する基本的概念である。
 
一再(いっさい)ならず、攻め込んでくる軽鬱状態に陥(おちい)っていた時など、「自己信頼」という、特段に珍しくもない言葉が、私の精気を復元させる牽引力となっていた。
 
屈強な自我有し、「個人の無限の可能性」を主唱したエマーソンこそ、「アメリカ」という国民国家の知的体現者だった。
 
私には、とうてい届き得ない、屈強な自我を「武器」にする男の「一言一句」(いちごんいっく)が、「絶対孤独」の境地に潜り込んだつもりで、ヌケヌケと「欲望自然主義」と程良く折り合いをつけながら、「教養漬け」の日々を繋いでいった青春期の極点だったようにも思われる。
 
私の「モラトリアム」が終焉しただ。
 
「モラトリアム」が終焉し、私は旅に出た。
 
「進軍不能」の状態を脱し、新たな「進軍」を開いていく。
 
「自己信頼」へのメンタリティで武装したつもりになって、私の「時間」を決定的に展開させていく。
 
結局、約束されていたかのように、「存在」とは何か、「自由」とは何か、「生きる」とは何か、「人生」とは何か、「人間」とは何か、等々「タスク」を自己完結させることなく、引き続き背負って、〈私の時間〉を展開させていくが、挫折のリピーターと化しても、「進軍」を止めなかった。
 
この時、つくづく思った。
 
「モラトリアム」〈私の時間〉が、無駄になっていなかったことを。
 
「何か」を「履行する」。
 
とにかく、「動く」。
 
それは「移動」であり、「転位」であり、「内面的進軍」でもあったのだ。
 
だから、早い。
 
〈私の時間〉の経つのがい。
 
環境の変化の刺激を斉(ととの)える余裕を失うほど、〈私の時間〉の遷移(せんい)の早さを実感する
 
それは、自我の確立運動としての、「教養漬け」の青春期が安定軌道に乗ていくフェーズでの、「タスク」に追われる早さだった。
 
安定軌道に乗せていくか否か、それが全てなのである。
 
安定軌道は「予定軌道」ではない。
 
JAXA(ジャクサ)の打ち上げが、常に成功裏に終わらないように、H-IIAロケットを安定軌道に乗せ、その継続力が担保されるとは限らないのだ。
 
「予定軌道」として約束されていない、〈私の時間〉の「移動」を認知しながら、「安定軌道」に乗せていく。
 
その行程の推移の内堀を固めながら、〈私の時間〉が「転位」ていくのだ。
 
このように、〈私の時間〉という把握の内的構造こそ、「時間」が単に、物理学の範疇でのみ考察されるものではない現実を示している。
 
これは、時間」を体の運動の数量として捉えたアリストテレスの「時間論」と分れている。
 
だから、古代から20世紀の哲学にまで及んで、「時間論」が哲学の厄介な「タスク」になっていった。
 
 
同時に、「生理的寿命」=「限界寿命」、更に、「生活年齢」という「時間」の論意も、〈私の時間〉の表層に張り付いている。
 
〈私の時間〉の中で、〈私の状況〉を累加させて、貯留しつつ到達した、相対的な「安定軌道」の心的行程の総体を内的時間」と呼んでいい。
 
この「内的時間」の懐(ふところ)の此処彼処(ここかしこ)に、「タスク」への問題意識を詰め込んで、随伴させるから、この「時間」は、頻々(ひんぴん)と飽和状態になり、疲弊する。
一つの「タスク」終わっても、次の「タスク」が待機しているのだ。
 
「生活年齢」だけが累加されていく。
 
これだけは、どうにもならない。
 
こうして、人皆、年を重ねていくのだろう。
 
 
それが自己未完結であっても、〈私の人生〉に、「意味」を付与し続ける。
 
これが、〈生きる〉ということの内実である。
 


心の風景「「時間」の心理学」よりhttps://www.freezilx2g.com/2019/07/blog-post.html

「川崎殺傷事件」 ―― それを囲繞する空疎な風景への苛立たしさ

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1  「自分一人で死ね」派の激発的情動言辞の風景 ―― その情報爆轟の「疑似ロゴス」
 
 
「この事件を見てる日本中の子供を持った親御さんは、どうやって子供を守ったらいいと、ただただ恐怖なだけで防ぎようがない。いつどこで何が起こるかわからない。一人の頭のおかしい人が出てきて。死にたいなら一人で死んでくれよって、そういう人は。何で弱い子供のところに飛び込んでんだって。信じられないですね」(スポーツ報知)

落語家の立川志らく(以下、全て敬称略)が、登校中の小学生ら十数人が男に刺され、女児1人が死亡、1人が心肺停止、刺した男も死亡した「川崎殺傷事件」(2019年5月28日)の報道を受け、テレビで発言した言辞である。

その発言に対して、瞬時に賛否両論が沸き起こったが、発信元の志らくは、「普通の人間の感情だ。なぜ、悪魔の立場に立って考えないといけないんだ?」とツイートした。

ネット上でも、賛否両論ある中で、志らくのように「死にたければ、自分一人で死ね」などの意見の方が、圧倒的に多いように見受けられた。

この志らく発言を、「至極真っ当な意見」と評したのは、評論家・古谷経衡(ふるやつねひら)である。

「確かに、“死んでくれ”という強い言葉は普段であれば批判の対象になるでしょう。しかし、今回の事件には、そうした平時の良識を上回る特殊性があります。20名もの人々が事件に巻き込まれ、2名の尊い命が失われた、近年稀にみる凶悪犯罪で、殺傷の対象となったのは弱い立場にある小学生だった。その上、犯人は自死している。すでに、死亡した犯人を法で裁くことができない一方で、被害者は勿論、多くの方々が心に大きな傷を負いました。彼らの痛みに寄り添えば、“一人で死んでくれ”と考えるのは、当然の感覚で、全く批判には当たりません」

「当然の感覚で、全く批判には当たりません」という、最後のこの言辞が、古谷の「疑似ロゴス」の最終防波堤になっていることは容易に読み取れるが、この「疑似ロゴス」こそ、「自分一人で死ね」派の収斂点と化している。

当然ながら、私も含めて、遺族に深い哀悼の意を表するのは自然のこと。

私自身、児童8名が殺害され、15人が重軽傷を負った「附属池田小事件」(2001年6月)、7人が死亡し、10人が負傷した「秋葉原無差別殺傷事件」(2008年6月)のような無差別殺傷事件、「光市母子殺害事件」(「犯罪被害者のグリーフワーク ―― その茨の道の壮絶な風景」を参照されたし)等の凶悪事件が惹起したら、他の多くの日本人と同様に、何よりも、「被害者・遺族」の心情をベースにするという絶対スタンスを持っているから、心情的には、「自分一人で死ね」という感懐は変わりようがない。

それでも、「悪魔の立場」などと言い切った志らくの、倨傲(きょごう)で、激発的情動言辞とは、一貫して無縁でありたい。

ただ、「川崎殺傷事件」における、「自分一人で死ね」派が占有した感のある、ツイッターなどのソーシャルメディアなどでの情報爆轟(ばくごう)に近接すると、理が非でも、以下の認識の共有を強く念じている。

こういうことである。

即ち、主観的に感じる治安情勢である「体感治安」の悪化とは真逆に、凶悪事件が極端に少ない日本の治安の良さ(2012年の内閣府の「治安に関する世論調査」)を客観的に把握できないが故に、「附属池田小事件」のような凄惨極まる凶悪事件が、偶(たま)さか惹起すると、「消費者」(視聴者のこと)の需要を膨張的に喚起させ、飽きられるまで、各メディアがおどろおどろしい「事件報道」を連射していく相関性が、我が国で構造化されている現実を、知性が押し込められないように認知する必要がある。

――  ここで、「自分一人で死ね」派の情動反応に、異を唱える人物が発信したディスクール(言説)に対して、真摯に耳を傾けたい。

以下は、志らくの発言からおよそ2時間後、「自分一人で死ね」派の情動反応に対する、NPO法人ほっとプラス代表理事・藤田考典(ふじたたかのり)異論

「報道の通り、5月28日(火)朝方、川崎市で多くの子どもが刺殺、刺傷される事件が発生した。現時点では被害状況の一部しか判明していないため、事実関係は明らかではないが、犯人らしき人物が亡くなったことも報道されている。それを受けてネット上では早速、犯人らしき人物への非難が殺到しており、なかには『死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ぬべき』『死ぬなら迷惑かけずに死ね』などの強い表現も多く見受けられる。

まず緊急で記事を配信している理由は、これらの言説をネット上で流布しないでいただきたいからだ。次の凶行を生まないためでもある。秋葉原無差別殺傷事件など過去の事件でも、被告が述べるのは『社会に対する怨恨』『幸せそうな人々への怨恨』である。要するに、何らか社会に対する恨みを募らせている場合が多く、『社会は辛い自分に何もしてくれない』という一方的な感情を有している場合がある。類似の事件をこれ以上発生させないためにも、困っていたり、辛いことがあれば、社会は手を差し伸べるし、何かしらできることはあるというメッセージの必要性を痛感している。

『死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ぬべき』『死ぬなら迷惑かけずに死ね』というメッセージを受け取った犯人と同様の想いを持つ人物は、これらの言葉から何を受け取るだろうか。やはり社会は何もしてくれないし、自分を責め続けるだけなのだろう、という想いを募らせるかもしれない。その主張がいかに理不尽で一方的な理由であれ、そう思ってしまう人々の一部が凶行に及ぶことを阻止しなければならない。そのためにも、社会はあなたを大事にしているし、何かができるか、しれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき時だと思う。

人間は原則として、自分が大事にされていなければ、他者を大事に思いやることはできない。社会全体でこれ以上、凶行が繰り返されないように、他者への言葉の発信や想いの伝え方に注意をいただきたい」(筆者段落構成)

、「次の凶行を生まないため」に、「自分一人で死ね」派の激発的で、情動言辞の連射に抑制を求めているのある

このような異論が出ることを想像できなかったであろう、「自分一人で死ね」派の激発的情動言辞の風景は、まるで、火災の現場で起きる爆発として知られる「バックドラフト」現象そのものだった。

「川崎殺傷事件」の渦中(かちゅう)で、51歳犯人向けられた「ネット民」や、テレビメディアのコメンテーターの怒りの感情が炸裂、知性が押し込められ、コントロール不全の物情騒然の事態は異様であると言う外にない。

繰り返すが、「当然の感覚で、全く批判には当たりません」という古谷「疑似ロゴス」、複雑な背景があるかも知れない事件の構造を、客観的思考の提示に振れることをせず「悪魔の立場」言い切った志らく激発的情動言辞と本質的に同義であり、とうてい、成人が使用する言語とは思えない。

「僕も“一人で死ぬべき”に近いような“道づれにするなよ”とは感じている」とも言い切った心情の吐露を理解できれば、藤田が殺人犯を決して擁護していないことは明瞭である。

加えて書けば、藤田は一貫して、「貧困の解決が、事件を防ぐ唯一のアプローチである」とは、一言(いちごん)も触れていないのだ。

藤田ディスクールの核心を捉えることすらできない知性の貧困 ―― これが、コントロール不全物情騒然の事態の根柢に伏在している。

確かに、藤田の表現には、この惨憺(さんたん)たる事件によって、日本中が沸点まで一気に達し、滾(たぎ)らす空気が醸成されている渦中にあって、メディアの主観の暴走を心理的推進力にてフルスロットルされる状況下で、まるで、「悪目立ち(わるめだち)」(悪い面が目立つこと)のように、彼なりの使命感が膨張的に外化(がいか)され、内在する感情が性急に可視化した側面があった。

これが、一連の激発的情動言辞の氾濫に抵触(ていしょく)し誤解を出来(しゅったい)させたのである。

思うに、藤田のアウトプット(発信)が全開した行為は、「横一線の原理」で動きやすい日本人が最も嫌う、「水を差す異論」であると思われても仕方がない面があった。

この辺りは、後述する。


時代の風景「『川崎殺傷事件』 ―― それを囲繞する空疎な風景への苛立たしさ」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2019/06/blog-post_25.html

私たちはいつだって愚かであり、不完全である


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1  人格総体を差配する自我の資源は枯渇する


 


 「人間の愚かさの本質」について言及する。 


目覚しい学問的発展を遂げている生物学の現状だが、生命現象のメカニズムの解明については、一貫して、説明不明瞭さを克服すべき課題になっている。 


数理的手法を用いて、生物の生命現象のメカニズムを解明する「理論生物学」。

この「理論生物学」で言われる、「適応度最大化の戦略」という究極のタクティックス(策略)は、粗略に扱うことできない。 


ここで言う「適応度最大化の戦略」とは、「繁殖成功度」(適応度)最大化にするための戦略である。 


返す返すも思うに、他の生物のように、こ「適応度最大化の戦略」を、大部(たいぶ)が削り取られ、這々の体(ほうほうのてい)の本能によって、十全に操作できない「不全なる生き物である人間」には、それに取って代わり得る機能果たすべき「絶対的自我」など存在しないということ。  


この認識なしに、「不全なる生き物である人間」の圧倒的不全性を理解することなど、おこがましいと言わざるを得ない。 


それを失ったら死に至る、「食・眠」くらいしか残っていない人間本能 


この本能の決定的劣化を、「損得」と「善悪」の原理で動く、人格総体を差配する自我が、セルフコントロールの資源が枯渇(こかつ)し、限界の際(きわ)が射程に収まるまで埋め尽くしていく。 


「脱抑制」するまで補填していくのだ。 


生物学の将来を見越して、様々な実験をリピートする、「理論生物学」が拓(ひら)いてきた数理的手法の積極展開、その理論にロバスト性(頑強性)を付与していくには、一層の統合的視座の確保・内化が求められるだろう。 



頓挫しても止められず、「逃げ水」を追いかけていく。 


それが幻視であることを知るのは、いつも、一切を失ったあとだ。 


失った見返りを取り返そうとして、却って損失が拡大する、「コンコルドの誤謬」に呆気なく嵌ってしまう人間の脆弱性は、支出額は収入額に達するまで膨張するという、「パーキンソンの法則」によって仮説検定されたのではなかったのか。

官僚は仕事があってもなくても自己膨張するという規定こそ、「パーキンソンの法則」の中枢的コンセプトである。

私たちはいつだって愚かであり、不完全であり、しばしば、決定的な誤謬を晒して生きるという生存体であるという以外にないのだ。  


この認識から出発すること。 


そして、そのような能力によってしか生きられない私たちが作る社会の実相が、常に万全な状態にはないが故に、本来、相対的なものでしかない「正義」(注)という「絶対的なるもの」の観念に拠って立って、そこで構築された人工的な諸制度の不完全さを永久に呪い、嘆き、声高に糾弾し続ける態度に張り付く倨傲(きょごう)さと、攻撃的ナルシズムが虚空に捨てられるだけである。

思えば、紀元前3000年頃、「肥沃な三日月地帯」と言われ、ユーフラテス河の流域に築かれた文明である、遥かメソポタミアの時代から、私たち人間の常套フレーズは、「今の若者はなってない」と「今の社会は史上最悪だ」という感覚的把握であった。

いつの時代でも、人々は、「荒廃した現世」を罵倒し続けてきたのである。

実に厄介なる者、汝の名は「人間」なり。

(注)「社会正義」SOCIALJUSTICE)の視座で考えれば、「正義」とは、「公正」の観念をコアにした、「ルールに守られ、秩序を維持し得る状態」のことである。 



心の風景「私たちはいつだって愚かであり、不完全である」よりhttps://www.freezilx2g.com/2019/06/blog-post.html



<「我々だけが正義である」という、「絶対正義」の心地良き「物語」>

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1  「絶え間ない悲鳴に、耳を貸さぬ我々がいる」
 
 
ナチスの台頭で米国に亡命し、その後、東独に生活の拠点を設け、東独の国歌をも作曲したユダヤ人、ハンス・アイスラーが作曲した、詩的でありながら、時には軽快で、淀みのないBGMに押し出されるように、カラーで記録された平和で牧歌的な戦後の〈現在〉と、瓦礫(がれき)処理の如く、ブルドーザーで死体の山を無造作に埋めていく、異様なまでの非日常の酷薄の実写を繋ぐ〈過去〉の風景をクロスカッティングさせていく。
 
あまりに有名なこのドキュメンタリーは、どこまでも、強烈な主題提起を持つ「映画性」の枠を崩さない程度において、〈時代状況性〉の落差を強調することで、風化させてはならない問題意識の堅固な継続力の保持を、観る者に問い続けていく ―― それが、ヌーベルバーグの映画作家の一人であるアラン・レネ監督による「夜と霧」だった。(注)
 
ナチスが残した記録映像を巧みに利用することで、「見える残酷」の極点とも言うべき、戦争犯罪を告発したドキュメンタリー映画の衝撃波(圧力波)の強度は、人間の死体を「物体」として処理される凄烈(せいれつ)さの実写の異様さにおいて際立っていた。
 
舞台俳優出身のフランスの映画俳優、ミシェル・ブーケのナレーションが、クロスカッティングされた映像を、声高にならないギリギリの辺りで繋いでいく。
 
「静かな風景。カラスが飛び、野焼きに煙る畑。車や農民の通る街道。
 
楽しげなリゾート地の隣に強制収容所があった。
 
アウシュヴィッツ、ベルゼン(ベルゲン・ベルゼン強制収容所)、ダッハウミュンヘン郊外にある強制収容所)など、どの村もありふれた村だった。
 
今、収容所跡にカメラを手に訪れる。
 
雑草が血の滲む地面を覆い隠す。
 
もはや、鉄条網に電流は流れない」
 
これが、一見、長閑(のどか)な映像へのナレーションの導入だった。
 
ナチス・ドイツのフィルムや、ヒトラーアジテーションの記録映像の中で、ミシェル・ブーケの抑制的ナレーションが流麗に続く。
 
「1933年。機械の行進。一糸乱れぬ行動。全国民が協力する。収容所建設に業者が群がる。利権に賄賂が飛び交ったのだ。

このときまだ、労働者たちや、ユダヤ人学生たちは遠くにいて、既に、収容先が決定している事実を知らずに生きている。
 
建物は住人を待っている。
 
彼らは各地で検挙された。
 
貨車に乗せ、収容所へ。
 
ミスや偶然で、リストに加えられ、収容所に運ばれる人もいた。
 
鍵を掛け、封印された列車。
 
飢えと渇き、窒息と狂気。
 
必死の落とし文(おとしぶみ=置手紙)。
 
死者も出た。
 
次は、夜と霧の中。
 
同じ線路に日は落ちる。
 
カメラは何を求めて歩くのか。
 
死骸の山の傷痕(きずあと)か。或いは、殴られ、運ばれた囚人の足跡か。
 
別世界に来たようだ。
 
衛生上の名目で裸にされ、屈辱に耐える」
 
この辺りから、流麗なナレーションと寄り添えないような、驚天動地(きょうてんどうち)の記録映像が連射されていく。
 
そして、強烈な主題提起を持つ「映画性」を内包させて、最後のナレーションが一気に押し出されてくる。
 
「カポも将校も言う。命令に背けない責任はない
 
では、誰に責任が?
 
冷たい水が廃墟の溝を満たす。悪夢のように濁っている。
 
戦争は終わっていない。
 
今、点呼場に集まるのは雑草だけ。
 
見捨てられた町。
 
火葬場は廃墟に、ナチは過去になる。
 
だが、900万の霊が彷徨(さまよ)う。
 
我々の中の誰が戦争を警戒し、知らせるのか。
 
次の戦争を防げるのか。
 
今も、カポが、将校が、密告者が隣にいる。信じる人、信じない人。
 
廃墟の下に死んだ怪物を見つめる我々は、遠ざかる映像の前で、希望が回復した振りをする。
 

ある国の、ある時期の話と言い聞かせ、絶え間ない悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる」

 

ホロコースト」を、「ある国の、ある時期の話」に封印してはならないというメッセージこそが、このドキュメンタリー映画の中枢的なテーマであることを、観る者は知るに至るのだ。

 
僅か32分の映画の中に、ホロコーストを告発する作家のモチーフが凝縮されていたが、正直、ドキュメンタリー映画としての「構築力」という視座で俯瞰すれば、科学的検証を軽視したとも思える一点において、些か粗雑な映像の印象を受ける。
 
然るに、〈時代状況性〉を慮(おもんばか)れば、「それも仕方ない」と譲歩すべきなのだろう。
 
(注)「夜と霧」というタイトルは、ヒトラーの秘密命令「夜と霧作戦」に由来する。
 


人生論的映画評論・続 夜と霧('55)  アラン・レネ  <「我々だけが正義である」という、「絶対正義」の心地良き「物語」>より抜粋https://zilgz.blogspot.com/2019/06/55.html

「万世一系」という究極の「物語」

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1  「ヤマト王権」の天皇像 ―― 「記紀」の「物語性」・「文学性」のインテンシティ
 
 
古くは「すめらき」・「すめらぎ」と呼ばれ、また、日常語に近い「大王」(おおきみ)か、儀礼的な意味を持つ「スメラミコト」とも呼ばれていた「天皇」という用語が、一般的に使われるようになったのは、容姿端麗の最初の女帝(女性天皇)・推古天皇(すいこてんのう)の時代か、或いは、天智天皇(てんじてんのう・第38代の天皇)の時代か不明だが、最も有力なのは、皇位継承を巡って惹起した、古代日本最大の内乱「壬申(じんしん)の乱」(672年)を平定し、本格的な中央集権国家の体制を構築した、7世紀後半の天武天皇大海人皇子=おおあまのおうじ)が、「天皇」を自称したとされるのが一般的な解釈である。
 
ここで、歴史を少し戻す。
 
藤原氏」のルーツになる中臣鎌足(なかとみのかまたり・藤原鎌足)と共に、「大化の改新」(645年)=「乙巳の変」(いっしのへん)と呼ばれるクーデターを断行し、飛鳥時代「ヤマト王権」(大和朝廷)の大豪族で、厩戸皇子(うまやどのみこ=聖徳太子)の子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)を妻子一族ともに自害させた、蘇我氏の専横の中枢にいた蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺し、入鹿の父・蘇我蝦夷(えみし)を自害に追い詰めたのが、歴史の教科書にその名が出てくる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。
 
 
その天智天皇の母は皇極(こうぎょく)天皇だが、皇極天皇の同母弟の孝徳天皇の没後、一度退位した天子が、再び即位する「重祚」(ちょうそ)によって皇極天皇斉明天皇となる。
 
この皇極天皇は、弟に皇位を譲った最初の事例とされる。
 
かくて、推古天皇から一代おいて即位した女帝(女性天皇)・斉明天皇は、第35代・第37代天皇となる。
 
この斉明天皇を母とする、天智天皇天武天皇との関係は同母弟ということになる。
 
自ら「天皇」にならず、皇太子となり、有力な豪族を粛清した天智天皇の治世は、決して順風満帆(じゅんぷうまんぱん)ではなかった。
 
皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺し、「大化の改新」を成功させた天智天皇に待っていたのは、「白村江(はくすきのえ)の戦い」(663年)において、日本百済(くだら)連合軍が、唐・新羅(しらぎ)連合軍との戦いに大敗を喫たことで、国防の強化を喫緊に遂行することだった。(因みに、百済が滅亡したことで、朝鮮半島からの文物の導入ルートを失うに至る)
 
九州防衛のために、逸(いち)早く、古代の城=「水城」(みずき)を建設したり、「防人」(さきもり)の設置を制度化したりして、諸国の兵士の中から3年交代で選ばれるという軍事制度を整備する。
 
朝鮮統一に歩を進めた新羅と対照的に、日本(注1)朝鮮半島進出を断念したのは正解だった。
 
当時の日本の国力の脆弱性が露呈されたからである。
 
だから、内治に専念するという選択肢しかなかったのだ。
 
古代日本の戸籍制度・「庚午年籍」(こうごのねんじゃく)を作成し、「公地公民制」(土地と人民は天皇に帰属するという制度)の導入の仕組みを築くなどという政策は、内治に力を注ぐ天智天皇の本領発揮であると言えるだろう。
 
そして、「大化の改新」の立役者・天智天皇は、大友皇子天智天皇の第1皇子)に皇位を継がせたかったが、46歳で崩御し、その直後に起こった「壬申の乱」で、大友皇子大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)が交戦して、内乱に発展し、大海人皇子が勝利する。
 
大海人皇子は直ちに即位し、天武天皇となり、堅固な律令国家が形成されていく。
 
天武天皇は、中国の皇帝に朝貢(ちょうこう)することで、上下関係を仮構する外交関係・「冊封体制」(さくほうたいせい)からの自立を明確にしつつ、唐制に倣(なら)った体系法典を編纂・施行し、律令国家を完成させていくのだ。
 
何より重要なのは、「日本書紀」と共に「記紀」と総称され、神話的要素が強く、「文学性」に富む日本最古の歴史書・「古事記」を、奈良時代の文官・太安万侶(おおのやすまろ)に編纂させたこと。
 
その「記紀」において、初代と記載されるのが神武天皇
 
これは、神話的要素が強く、「文学性」に富む典型例で、およそ「歴史書」とは程遠い。

神武天皇は137歳まで生きたとされるが、古代天皇の長寿のオンパレードに言い添える言葉もない。
 
120歳まで生きたとされる、10代の崇神天皇(すじんてんのう)については、初めて建設された国の天皇という意味の、「はつくにしらすすめらみこと」という表現が使われていて、学術的に実在人物の可能性が否定できない。
 
この崇神天皇が初代の天皇という説が、今でも根強くあり、私もそう思っている。
 
だが、世紀頃までは、神話の域を出ない現実を直視せねばならない。
 
記紀」(古事記日本書紀)に記された雄略天皇の実名で、その幼名が「ワカタケル」と呼称され、且つ、この名が彫られた、他の副葬品と共に国宝指定の「稲荷山古墳出土の鉄剣銘」(いなりやまこふんしゅつどてっけん・埼玉県行田市の埼玉古墳群)の「鉄剣」の出土によって、21代の雄略天皇の実在性は証明されている。
 
また、中国の歴史書宋書」には、有名な「倭の五王」(わのごおう・讃、珍、済、興、武)が記されていて、その中の「武」が雄略天皇である事実を疑えない。
 
問題は、14代仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后・「神功皇后」(じんぐうこうごう)の実在性。

これは「記紀」によると、新羅(当時、新羅は「辰韓」と呼称)に出兵し、朝鮮半島を従属下においた戦争・「三韓征伐」の「物語」の中心人物の神功皇后、帰国後に応神天皇を産んだとされる。
 
且つ、神功皇后が皇太子の応神の摂政として、「ヤマト王権」を仕切ったという「物語」が付加され、卑弥呼に擬(ぎ)しているとも言われるのだ。
 
また、予知能力を持つ巫女的な女性のイメージがあるが、「ヤマト王権」に反逆した九州南部の部族・「熊襲(くまそ)征伐」と、高句麗を含まない新羅征討を中枢にする、「三韓征伐」の「物語性」を勘考すれば、神功皇后は、一代の女傑幻想が特化された伝承上の人物であると言えるだろう。
 
その一代の女傑もまた、他の天皇の例に漏れず、100歳で逝去したという。
 
神功皇后の夫で、14代の仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は、日本古代史上の伝説的英雄として名高い日本武尊(やまとたけるのみこと)子とされ、その父(日本武尊)と妻(神功皇后)の「物語性」の強度によって、実在性の低い天皇の一人に挙げられている。
 
ついでに書けば、第5代の応神天皇の場合、学術的に確定しているわけではないが、実在した可能性が高いと見られる天皇である。
 
以上、国立公文書館・宮内公文書館に所蔵されている歴代の「皇統譜」(こうとうふ・皇室の戸籍)が伝える限りで言えば、「記紀」の「物語性」・「文学性」のインテンシティ(強さ)という印象を拭えず、この視座で「ヤマト王権」の天皇俯瞰(ふかん)せざるを得ないのだ。
 
(注1)「ヤマト王権」(大和朝廷)は、7世紀後半に、中国の日本に対する呼称「倭国」(わこく)に代わって、日本国」に、また、「大王」(おおきみ)に代わって、「天皇」という名称を設定し、中国から自立する姿勢を見せた。また、6世紀初めに、蘇我氏は「ヤマト王権」の中枢として出現するが、その蘇我氏のルーツが、朝鮮半島西南部からの渡来人とする説があったが、現在は否定されている。
「ヤマト王権」の天皇像 ―― 「記紀」の「物語性」・「文学性」のインテンシティ(強さ)が、今なお我が国の「歴史」の中枢を搖動し、覆っている。
 


時代の風景「『万世一系』という究極の『物語』」よりhttps://zilgg.blogspot.com/2019/06/blog-post.html