英雄の戦後史

 英雄を必要とする国は不幸である、と言った劇作家がいた。英雄を必要とするのは、国家が危機であるからだ。しかし国家が危機になっても、英雄が出現しない国はもっと不幸である。なぜなら、英雄が出現しないほどに国民が危機になっているからだ。

 英雄を必要としない国が、最も幸福な国なのである。そういう社会が、最も健全な社会なのである。民主主義に英雄は最も似合わないからである。

 思えば、私たちの社会を見回しても、英雄という形容を冠するに値する人がいなくなったことに、改めて思い至るのである。

 かつて、力道山(画像)は英雄だった。

 彼は多くの日本人にとって、一人のプロレスラー以上の何者かであった。彼が一人の外人レスラーをマットに沈めるとき、マットに沈んだのは単なる外人レスラーではない。そこに沈んだのは、まさしくアメリカであったのだ。当時、様々に屈折した感情を封印して、私たち日本人に幾重にも大きな重石にもなっていたアメリカを、力道山がマットに沈めることで、彼は日本中の喝采を浴びたのだった。

 堀江謙一(注1)もまた、時代に輝いた。

インド洋ではなく、大西洋でもなく、まさに太平洋を渡り切ったということ、そしてその先にアメリカが待っていたという事実に於いて、彼もまた時代の栄誉を受けたかのように見えた。本人もそれを目指していたようだった。(画像)

 然るに、歓喜の渦で出迎えるはずのアメリカは、この奇襲のような侍の侵入に当惑し、制度の壁でブロックして見せたのだ。かつてリンドバーグ(注2)を歓喜の人の輪で迎えたパリ市民の熱狂は、そこになかった。そのリンドバーグを、母国アメリカで英雄にさせた力は、彼がヨーロッパを歓喜させたアメリカ人であった、という点にある。

 その意味で、堀江青年は英雄になり切れなかった。

(心の風景 /英雄の戦後史 )より抜粋http://www.freezilx2g.com/2008/11/blog-post_7241.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)