緑のある風景(その2)

 私にとって、細(ささ)やかでも相応のヒーリング効果が手に入れられる、この「思い出の風景」が、2011年9月29日公開の「春爛漫」を以て閉じていったことにどうしようもない寂しさを覚え、「人生論的映画評論」の批評の駄文を繋ぐだけでは物足りなくて、心にポッカリ開いた一抹の空洞感を浄化させるのに苦労している、まさにそのときに、妻の掃除中に、狭い室内の戸棚から「玉手箱」のように出て来たのは、未だ、キヤノンのスキャナーによって画像修正・編集されていない大量のリバーサルフィルムだった。

 欣喜雀躍とは、このような気分を言うのだろう。

 実は、スキャナーの存在すら知らなくて、「もう、写真を撮りにいくこともない」と括っていた心境下で、交通事故を起こす2000年5月の直前まで撮り続けていた多くの写真や、ネガ、リバーサルフィルムを廃棄処分にしてしまったので、キヤノンのスキャナーによる画像修正・編集作業を始めた際には、正直、落胆しきりだった。

 それでも残った写真や、ネガ、リバーサルフィルムで始めた作業に没頭しているだけで、至福の思いが湧いてきて、もう充分に満足だったのである。

 そして今、狭い室内の戸棚から「玉手箱」のように出て来た大量のリバーサルフィルムの前で、私は改めて、この得難いチャンスを丁寧に繋いで、いつかまた閉じていくつもりでいる。

 つくづく、厖大な写真を撮ったものだと思う。

 ともあれ、「玉手箱」のリバーサルフィルムの中には、既にブログで公開している写真も散見されるが、それらも含めて、何回かに分けて、修正・編集画像の公開をしていこうと考えている。

 まず、その手始めの「思い出の風景」の再公開の表題は、「緑のある風景(その2)」。

 この中でも、相変わらず、多摩森林科学園三宝寺池公園の画像が多いのに自分でも驚くが、その撮影行の回数は数知れない程だったから当然のことだろう。

 特に三宝寺池公園には、何百回通ったか、全く見当がつかない程だ。

 本当に、心から大好きな都立公園だったことが、今更のように想起されるのである。

 武蔵野台地からの地下水が湧き出る池の、堂々とした主のような鴨の群れ。

 それらの鴨が悠々と泳ぐ池の夕景・夜景・雪景の素晴らしさ。

 それは、言葉に表現できない程に一幅の絵画であった。

 
[ 思い出の風景 緑のある風景(その2) ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/10/blog-post_28.html