ゴッドファーザー('72) フランシス・フォード・コッポラ  <深く重厚な人間ドラマに収斂されていくアメリカン・ノワールの最高達成点>

 1  父と子の血の宿命の帰結点



 瀕死の重傷から生還した一人の男がいる。

 影響力の相対的低下という、自らが置かれた厳しい状況がそうさせたのか、或いは、それまでの自分の生き方を、「愚か者」という風に相対化できるほどの年輪がそうさせたのか、それ以外に流れようがない生き方でイタリア系マフィアのボスに上り詰めた男が、重量感のある濁声(だみごえ)で、眼の前にいる三男に静かに吐露していく。

 「お前だけには・・・私は生涯をファミリーに捧げてきた。愚か者にはなるまいと。大物に操られて踊る愚か者にはな。弁解はすまい。私の人生だ。だがお前は、操る側の人間になれると。上院議員とか、知事とかにな」

 男の名は、ビトー・コルレオーネ。

 「ドン・ビトー・ゴッドファーザー」である。

 眼の前にいる三男の名は、マイケル。
第二次大戦の英雄として復員して来て、家族の稼業とは無縁な若者であったが、ニューヨークの敵対組織から命を狙われていた父を救った縁で、ファミリーの跡目を継ぐはずの、長男のソニー(画像)の無惨な死によって空洞化した権力を、いつしか、頼りない次男のフレドに代って継承するに至ったという経緯を持つ。

 「僕は、別の権力者に」
 「だが、充分な時間はなかった」
 「なって見せる。必ず」

 短い会話の最後に、「最初に会談を持ちかけて来た者は裏切り者だ」と言い添える父は、どこまでも「ドン・ビトー・ゴッドファーザー」という相貌を崩さなかった。

 この会話のシーンが挿入されたのは、長尺な映像が決定的な大団円をを迎える、沸々と滾(たぎ)っているきた点火時期の直前だった。

 なぜなら、この会話の直後に、「ドン・ビトー・ゴッドファーザー」の死が待機していたからである。

 ゴッドファーザーの情感的な「遺言」を、マイケルが力強く受容してくれた安堵感からか、長男を喪った失意を抑えるために貯留したストレス等々、「王国」の危機の再構築への自給熱量の臨界点を超える辺りまで、その人格総体のうちに背負ってきた重荷を降ろすかのように、良くも悪くも、一代の傑物の人生の終焉は、呆気ない幕切れを迎えるに至った。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/ゴッドファーザー('72) フランシス・フォード・コッポラ  <深く重厚な人間ドラマに収斂されていくアメリカン・ノワールの最高達成点>)より抜粋http://zilgz.blogspot.com/2012/02/72.html