無教養だが、そんな男の侠気を示すエピソードが、映画の前半で紹介されている。
ロハで芝居を観に来た無法松が、「お前らが観るような芝居じゃない」と木戸番に追い返されたとき、男は啖呵を切った。
「俺は小倉の車引きぞ・・・小倉の車引きが小倉の芝居小屋で木戸を突かれたっちゅう話は聞いたことがないんでのう」
「木戸を突かれる」というのは、興行場での入場を拒まれるということで、これは小倉の車引きに許された暗黙の了解に反する振舞いだった。
これに怒った松五郎は、舎弟を連れて芝居小屋に入場券を買って入り、その枡席の真ん中に陣取って、あろうことか、その場で大量のニンニクを燻(いぶ)して館内に異臭を放ったのである。
その行為を注意した小屋の者と大立ち回りしたことで、地元の著名な親分が仲裁に入り、その親分に説諭されるシーンがある。
「あんたの腹立ちはよう分る。しかし事件に何の関り合いもない大勢の見物衆に迷惑をかけた罪は、どうして償いをするつもりだ・・・・松五郎さん、あんたそれをどう思うとるかね」
「わしゃ気づかんじゃった・・・俺は、謝る!」
松五郎は正座して、親分の説教を粛然と聞いた後、そう言って土下座したのである。彼は理屈が分らない男ではないのだ。相手が誠意を持って話せば、襟を正して聞く耳を持つ男なのである。
「恐れ入った。こんなすっぱりした竹を割ったような男は見たことがない・・・」
松五郎の態度に親分は感服し、事件は一件落着した。
このエピソードは、松五郎という男が決して「無法松」と呼ばれるようなアウトローでないことを示している。同時に彼が、車引きという職業に誇りを持ち、それを軽侮する者に真っ向から挑んでいく侠気の男であることをも示している。彼の自我には、微塵の卑屈さも張り付くことがないのである。
更に彼が、身分の高い者にも、全く卑屈な態度で接しないメンタリティーの持ち主であることを示すエピソードがある。
小倉の駅で、大将閣下を車に乗せた時のこと。
「車屋、わしの行き先は分っとるのか」
その大将の居丈高な態度に、松五郎は平然と言い放ったのである。
「心配せんでも、お前の行き先は、ちゃんと聞いて知っちょるわい」
帝国軍人の最高位の者に「お前」呼ばわりする松五郎の精神世界を要約すれば、車引きという職業への蔑視感に対して、いつでもその誇りをもって立ち向かう心意気である。このエピソードは、彼が「分」を心得ていないということではない。現に親分の誠実な態度に正座する「分」を、彼は持っているのである。
それは当時、車引きという職業が既に明治半ばで最盛期を迎え(注2)、彼らなりの職人魂を堅持していた時代の気風を背景にしていたと言えるだろう。
ロハで芝居を観に来た無法松が、「お前らが観るような芝居じゃない」と木戸番に追い返されたとき、男は啖呵を切った。
「俺は小倉の車引きぞ・・・小倉の車引きが小倉の芝居小屋で木戸を突かれたっちゅう話は聞いたことがないんでのう」
「木戸を突かれる」というのは、興行場での入場を拒まれるということで、これは小倉の車引きに許された暗黙の了解に反する振舞いだった。
これに怒った松五郎は、舎弟を連れて芝居小屋に入場券を買って入り、その枡席の真ん中に陣取って、あろうことか、その場で大量のニンニクを燻(いぶ)して館内に異臭を放ったのである。
その行為を注意した小屋の者と大立ち回りしたことで、地元の著名な親分が仲裁に入り、その親分に説諭されるシーンがある。
「あんたの腹立ちはよう分る。しかし事件に何の関り合いもない大勢の見物衆に迷惑をかけた罪は、どうして償いをするつもりだ・・・・松五郎さん、あんたそれをどう思うとるかね」
「わしゃ気づかんじゃった・・・俺は、謝る!」
松五郎は正座して、親分の説教を粛然と聞いた後、そう言って土下座したのである。彼は理屈が分らない男ではないのだ。相手が誠意を持って話せば、襟を正して聞く耳を持つ男なのである。
「恐れ入った。こんなすっぱりした竹を割ったような男は見たことがない・・・」
松五郎の態度に親分は感服し、事件は一件落着した。
このエピソードは、松五郎という男が決して「無法松」と呼ばれるようなアウトローでないことを示している。同時に彼が、車引きという職業に誇りを持ち、それを軽侮する者に真っ向から挑んでいく侠気の男であることをも示している。彼の自我には、微塵の卑屈さも張り付くことがないのである。
更に彼が、身分の高い者にも、全く卑屈な態度で接しないメンタリティーの持ち主であることを示すエピソードがある。
小倉の駅で、大将閣下を車に乗せた時のこと。
「車屋、わしの行き先は分っとるのか」
その大将の居丈高な態度に、松五郎は平然と言い放ったのである。
「心配せんでも、お前の行き先は、ちゃんと聞いて知っちょるわい」
帝国軍人の最高位の者に「お前」呼ばわりする松五郎の精神世界を要約すれば、車引きという職業への蔑視感に対して、いつでもその誇りをもって立ち向かう心意気である。このエピソードは、彼が「分」を心得ていないということではない。現に親分の誠実な態度に正座する「分」を、彼は持っているのである。
それは当時、車引きという職業が既に明治半ばで最盛期を迎え(注2)、彼らなりの職人魂を堅持していた時代の気風を背景にしていたと言えるだろう。
(人生論的映画評論/無法松の一生('58) 稲垣 浩 <「分」の抑制力を突き抜けたとき> )より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/10/blog-post_23.html