七人の侍('54)  黒澤 明 <黒澤明の、黒澤明による、黒澤明のための映画>

 「戦国時代― あいつぐ戦乱と、その戦乱が生み出した野武士の横行。ひづめの轟(とどろき)が、良民の恐怖の的だった。その頃・・・」

 これが、映画「七人の侍」の冒頭の説明文である。
 
 時は15世紀、室町時代の後半、所謂、戦国時代である。

 この時代、この国は著しく荒廃していた。この国の歴史の中で、これ程この国が様々な面で荒んでいた時代は他にない。

 室町幕府の権威と権力が失墜し、国の全土で、異常極まる「国盗り物語」が各地で噴出し、お陰で農閑期の農民が半ば武装化を強いられルケースもあった。

 また、有力百姓(土豪地侍)は被官百姓(隷属性の強い百姓)を引き連れて、合戦に参陣すること等で領国の守護大名(注1)、または戦国大名の軍団に組織され、「国盗り物語」への参加を主体的に選択することもあったのである。

 つまり、後の江戸時代のように身分制が未だ確立せず、階層分化が流動的だったということである。

 元来、争いごとを嫌う農耕民族が、お互いに殺戮し合い、奪い合うような、殆ど常軌を逸する生活が日常化していた百年間、それが戦国時代だったのだ。

 そんな狂乱の時代の中で、多くの村々は自らを守るために様々な工夫を凝らし、自村防衛に努めていたのである。

 繰り返すが、この時代は兵農未分離で、階層分化が極めて流動的な状況下にあって、例えば、「農民層の上下方向関係への分解が進行し、その上層部の人々が地主ないし小領主化し、或いは、武家被官となるという傾向」(『戦国時代・上』永原慶二著 小学館ライブラリー刊「惣・一揆と下克上の社会状況〈農村経済の不安〉」より)を示していて、又有力名主や地侍土豪として武装化し、数ヶ村を支配する自治能力を保有する「逞しさ」を誇示するほどだった。

 この時代、決して民衆は逃げ惑い、殺戮されるだけの軟弱な存在であったとは言い切れないのである。

 しかしそんな時代だからこそ、強固に武装化されていない弱小の村を狙って、彼らの耕作した穀物を奪い盗るアウトローの輩も存在したのであろう。

 絶対的秩序が確立されていないそんな時代故にこそ、農民たちは、アウトローたちの圧倒的暴力に対抗する防御手段を作り出す必要に駆られていたとも言えようか。彼らもまた、戦う集団に変貌せざるを得なかったのである。
 
 
 
(人生論的映画評論/七人の侍('54)  黒澤 明   <黒澤明の、黒澤明による、黒澤明のための映画> )より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/11/54.html