幕末太陽傳('57) 川島雄三  <自由なる魂が隠し込んだ侠気 ―― 或いは、孤独なる確信的逃走者>

 攘夷に狂奔する若き「志士」たちが、馬で逃げる二人の英国人を抜刀して追っていく。しかし、ピストルで応戦する英国人に太刀打ちできる訳がない。一人のラジカル・ボーイがその銃丸に倒れて、呆気なく彼らの攘夷は頓挫した。男は懐中時計を落として、その場を立ち去って行く。

 男の名は、志道聞多。後の井上馨である。

 そして、この男が落とした時計を拾ったもう一人の男がいた。町人である。彼の名は、佐平次。本作の主人公である。

 映像はそこから一転して、現在(映画制作時の昭和32年)の品川の町の賑わいを紹介した後、再び、本作の舞台となった品川宿、「相模屋」を映し出した。
佐平次が仲間三人を引き連れて、相模屋に乗り込んで行く。金もないのに芸者を呼ぶわ、酒を頼むわの大盤振舞いである。

 別の部屋では、攘夷に失敗した聞多の一行が頭領と目される男と物騒な話し合い。

 頭領の名は、高杉晋作。その晋作は聞多の説明から、逃れた英国人が異人館の技師であると知って、一瞬顔色を変えた。彼らは攘夷の危機を脱した英国人が、品川御殿山に逃げ込んだことを確認したのだ。早速、晋作の発案によって、一党は異人館の焼討ちの決行を合意するに至ったである。そんな熱気むんむんの激越な空気の中に、一党の一人である久坂玄瑞が入って来て、彼らの計画の無謀性を痛烈に批判するが、ラジカル・ボーイたちの勢いは全く止まる気配がなかった。
 
 一方、その夜、仲間を帰した佐平次の元に、店の若衆が勘定書きを持ってやって来た。

 佐平次の答えは明快だった。
 
 「あれだけ遊ばせてもらって、馬鹿に安いじゃないか・・・気の毒だがな、今日はここには持っちゃいねぇんだ」
 
 結局、佐平次は翌朝までに金を揃えておくということで、若衆を口八丁で追い返したのである。
 
 翌朝、佐平次が気だるい顔をして起きて、部屋の向こうに広がる海を見た。

 手前には、犬の死骸が打ち寄せられていて、思わず吐き気を催す男の表情からは、昨夜の生気は消えていた。そこに昨夜と違う若衆が勘定書きを持ってやって来て、佐平次は相変わらずの口八丁でその場を切り抜けるのである。
 
 階下では、相模屋の道楽息子の徳三郎が吉原からの朝帰りで、両親から散々説教を受けている。息子は「付け馬」(勘定の取り立て人)と一緒に帰って来て、親にその支払いを督促する。頑として応じない親に対して当て付けるように、道楽息子は法華太鼓を叩いて、宿泊客に向って、「女郎買いは止めろ」などと叫ぶ始末。
 
 「勘当だ!勘当にします・・・義理の子に、これほど馬鹿にされる筋合いは・・・」
 「そうです。あたしの子はお前さんの子。たとえお前さんがいいと言っても、あたしが許しません・・・」
 
 前者が、番頭上がりの義父の伝兵衛、後者が徳三郎の実母であるお辰の言葉。ところが道楽息子には、そんな常套句は全く通用しないのだ。

 一方、女郎部屋では、板頭(いたがしら=岡場所に於ける筆頭格の遊女のこと)を巡って確執する遊女のおそめとこはるが、些細なことから言い争いになり、遂には庭に転がり落ちて、そこで取っ組み合いの大立ち回り。

 
(人生論的映画評論/幕末太陽傳('57) 川島雄三  <自由なる魂が隠し込んだ侠気 ―― 或いは、孤独なる確信的逃走者>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2008/11/57_28.html