地下水道('56) アンジェイ・ワイダ <「深い情愛」と「強い使命感」という、「情感体系」の補完による「恐怖支配力」>


  1  「希望」に繋がる当てのない「出口」を模索する恐怖を抉り出した、究極の人間ドラマ



 大脳辺縁系扁桃体に中枢を持つ「恐怖」こそ、「喜び」、「怒り」、「悲しみ」、「嫌悪」と共に人間の基本感情であると言われるものだ。

 「恐怖」は、自己防御と生存に関わる本能的感情であるのは言うまでもないが、この感情が備わっているからこそ、私たちは特定の否定的な刺激に対する反応を表現し得るのである。

 人間が恐怖心理に捕捉されると、自己防御のための最適な方略を選択するが、そこでは大脳の役割がフル稼働される。

 一貫して、人間の恐怖心理の対象になっていたのは、天然痘、ペスト、コレラマラリア、インフルエンザ、結核などの「疫病」であり、近年で言えば、SARS(サーズ)騒動などのパンデミックであるだろうか。

 ところが、人間の恐怖心理の対象として何より看過し難いのは、最も大掛かりな人為的な集団暴力である「戦争」であり、21世紀段階では「テロリズム」に対する「恐怖」と言っていいだろう。

 更に、動物が恐怖による混乱した心理状態に置かれるとパニックを起こすが、とりわけ、密閉した空間に閉じ込められた動物が出口を求めて暴れ出す行動は周知の事実。

 これは、人間の場合でも変わらない。

 トラップに捕縛された動物が傷付きながらも暴れ回る行動をイメージするまでもなく、大脳がフル稼働する人間が、パニック下の行動で捕捉される恐怖心理の根柢には、「敵」の存在を明瞭に認知しつつも、その「敵」の存在が視覚的に捉えられない状態が延長されてしまうとき、それでも闇と異臭を掻き分けて展望の見えない「進軍」を余議なくされるなら、フル稼働する大脳という自我の司令塔からの「最適戦略」が導き出せず、自壊の恐怖に捕捉されるだろう。

 いつ襲いかかるやも知れぬ、強大な「敵」の存在が視覚的に捉えられない「見えない敵」こそ、真の「恐怖」なのだ。

 「見えない敵」に囲繞された極限状況下でも、「希望」に繋がる当てのない「出口」を模索せざるを得ない「恐怖」とは、「地下水道」にシンボライズされた当時のポーランドそれ自身であり、それは「見えない敵」= 独軍への「恐怖」であるが、それよりももっと「見えない敵」である、スターリン体制下のソ連への「恐怖」でもあった。

 「地下水道」 ―― この震撼すべき映像は、その両対極の方向に絶対支配のバリアを構築する「見えない敵」への「恐怖」を描くことで、「自壊へのプロセス」を加速させるだけの、闇と汚濁の下水道を抜けていく「行軍」の中で露呈する、密閉した空間に閉じ込められた動物の絶望的足掻きの如く、「希望」に繋がる当てのない「出口」を模索する「恐怖」を抉り出した究極の人間ドラマである。


(人生論的映画評論/地下水道('56)  アンジェイ・ワイダ <「深い情愛」と「強い使命感」という、「情感体系」の補完による「恐怖支配力」> )より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2010/07/56.html