激突('71)  スティーヴン・スピルバーグ <「追い詰めるモンスター」と「追い詰められし逃走者」という構図を反転させていく激発的変容の物語>

1  余計なものを剥ぎ取った、サスペンス映画のシンプリズムの極致



余計なものを剥ぎ取った、サスペンス映画のシンプリズムの極致とも言うべき、本作の本質を狭義に言えば、追い詰められた主人公のドライバーに感情移入させられ、同化した観客が、ドライバーの極限的な心理状況、即ち、不安感 ⇒ 恐怖感を包含させる、特定の状況に対する心理的な準備状態である緊張感を、継続的に味わわされることによって生まれる、隙間のない「時間」を描き切ったことにある。

 その隙間のない「時間」の中で形成された関係の枠組みは、追い詰められた主人公のドライバーと、「移動タンク貯蔵所」として、石油、劇薬等の危険物をも輸送する機能を持つ、攻撃的な「モンスター」と化したタンクローリーという限定的な構図のうちに収斂されていた。

 まさに、その限定的な関係構図であったからこそ、そこで排除された一切の存在性の欠如が、「援軍なし」の恐怖を煽ることで、主人公のドライバーの孤立感が増幅される効果を生み出したのである。

 ドライバーの孤立感が増幅される効果を、殆ど台詞のないシンプルな物語構成は、極限的な心理状況に追い詰められた主人公の心理を的確に表現していくことで、極めて完成度の高い映像を構築し得たと言える。

 以下、主人公のドライバーの、そんな極限的な心理状況をフォローしていくことで、物語をまとめてみたい。
 
 
 
(人生論的映画評論・続/激突('71)  スティーヴン・スピルバーグ <「追い詰めるモンスター」と「追い詰められし逃走者」という構図を反転させていく激発的変容の物語>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2012/07/71.html