レインマン(’88)  バリー・レヴィンソン <テーマに真摯に向き合う作り手の強い意志 ――  ラストシーンの決定力>

イメージ 11  「障害者映画」を免罪符にした感傷的ヒューマニズムに流れる危うさを救った、ラストシーンの決定力


この映画ほど、ラストシーンが決定力を持つ映画も少ないだろう。

ラストシーンの素晴らしさが、この映画の完成度を決定的に高めたと言っていい。

と言うより、本作は、このようなラストシーンの提示なしに自己完結し得ない映画であると同時に、そこに至るまでの幾つかのシークエンスの凝縮が、そこに収斂されていると思えるからである。

重篤な脳の発達障害である「自閉症スペクトラム」(「広汎性発達障害」とも呼ぶ)という疾患を抱える兄を、笑みを結んで見送る弟。

実質的な主人公である、弟チャーリー・ハビットの笑みを結ぶ括りの意味の把握は、単に精神遅滞ではなく、脳の重篤発達障害を持つ兄レイモンドの、通常の観念を無化し得る程に、様々な「異様」且つ、緊迫した振舞いに翻弄された挙句、このような軟着点を迎えるに至るラストシーンの正確な読解と心理学的了解点なくして、本作で丹念に積み上げてきた「自閉症スペクトラム」に関わる問題が内包する基幹メッセージを、観る者が、その根柢において受容することは殆ど困難であるからだ。

とかく、「純粋無垢」などという欺瞞的な言辞に収斂されやすい、「障害者映画」を免罪符にした感傷的ヒューマニズムに流れていくことで、全てを台無しにする危うさを根柢的に救ったのは、まさに、見事な構図を提示したラストシーンの決定力を有するが故である。

これほど素晴らしい映画の、素晴らしいラストシーンへの言及は後述するとして、ここでは、本作の梗概を書いていく。



2  「自閉症スペクトラム」という疾患を抱える兄との、艱難辛苦の旅程が開かれて



ロスで自動車ディーラーの仕事をするチャーリー・ハビットは、厳格な父とウマが合わず、父の愛車を勝手に運転した一件で、留置所に入れられ、父の引き取りが遅れたことで遂に関係の不和が炸裂し、そのまま家出して、以降、絶縁状態になっていた。

事業も順調にいかないチャーリー・ハビットは、週末旅行で恋人スザンナを随伴し、パーム・スプリングスへの浮かない旅に出た。

父の訃報を耳にしたのは、そのときだった。
 
葬儀に出席するため、一路、シンシナティへと向かうチャーリーとスザンナ。

借金に追われる彼には、父親の遺産への淡い期待があったものの、予想通り裏切られる。

贈られたのは、家出の原因になった因縁の車と、庭のバラの木のみ。

憤懣やるかたないチャーリーは、その足で父の弁護士を訪ね、遺産の300万ドルの受取人の名を聞き出そうとするが、弁護士の拒絶に遭うのみ。

納得のいかないチャーリーは、今度はシンシナティ信託会社に赴き、そこで300万ドが信託預金とされ、その管財人が「ウオールブルックホーム」という施設にいるブルナー医師である事実を知るに及び、早速スザンナを随伴してホームを訪ねた。

チャーリーが兄の存在を知らされたのは、誤魔化し切れないと判断したブルナー医師からの、直截な説明によってだった。
 
 
(人生論的映画評論・続/レインマン(’88)  バリー・レヴィンソン  <テーマに真摯に向き合う作り手の強い意志 ――  ラストシーンの決定力>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2012/09/88.html