フィールド・オブ・ドリームス('89) フィル・アルデン・ロビンソン<反論の余地のない狡猾さを、美辞麗句で糊塗してしまう始末の悪さ>

イメージ 11  「神の声」に導かれたボールパーク



「僕の父はジョン・キンセラアイルランド名だ。1896年、ノースダコタ州で生まれ、大都会を見たのは、欧州から帰還した1918年。シカゴに住みつき、ホワイトソックス・ファンになった。1919年のワールドシリーズ敗戦で泣き、翌年、8人の選手の八百長事件では号泣した。

父自身、12年マイナーでプレーを。35年、ブルックリンに越してママと結婚。僕が52年に生まれた時は、もう年だった。

僕の名は、レイ・キンセラ

3歳でママが死に、父が母親代わり。お伽話の代わりに、ベーブ・ルースや“シューレスジョー・ジャクソンの話を聞いた。父はヤンキース。僕はドジャース・ファン。ドジャースが越して、口論の種はベースボールを離れ、大学に進む時は、家から一番遠い大学へ。

父は僕の狙い通りに苦い顔をした。英語を専攻したが、時代は60年代。反戦デモとマリワナ。アニーを知った。彼女はアイオワ出身。卒業後、僕らは彼女の家に転がり込んだ。半日が限界だった。

僕らは74年に結婚し、その年、父が死んだ。やがてカリンが生まれた。農場を買おうと言い出したのは、アニーだ。僕は36歳。家族持ちで野球好き。その僕が農夫になる。あの“声”を聞くまで。僕は型破りなことを何もしたことがない」(筆者段落構成)

このナレーションによって、「奇跡の物語」が開かれた。

主人公のレイ・キンセラが、農場のトウモロコシ畑で「神の声」を聞いたのは、その直後だった。

“それを作れば、彼はやって来る”

これが「神の声」。

その「神の声」についての、夫婦の会話。

「親父にも夢はあったろう。だが、何もしなかった。“声”を聞いたかも知れないのに、耳を貸さなかった。何一つ冒険をしなかった。僕は、そうなるのが怖い。そういう冒険ができるのも、今が最後だ。野球場を作りたい」

それが、ローンを抱えている男が決めた、初めての型破りな冒険だった。

「でも、あなたが本気でそうしたいと思うなら、すべきよ」

アニーのこの一言で、全て決まった。
 
まもなく、町民の冷やかな視線が注がれる中、トウモロコシ畑の一角に、ボールパークアメリカの野球場)が作られた。

「今に何かが起きる」

レイは妻に、そう確言した。

「トウモロコシ畑の面積が減ったから、差し引きゼロよ。貯金は野球場で消えたわ」

妻の反応は、現実的な指摘に終始するが、夫を信じる気持には変わりない。

「野球場は維持できないってことか?」
「ここを手放すなら・・・」

シューレス”ジョーが、ボールパークに出現したのはそのときだった。

レイ・キンセラのノックを受け、堪能する“シューレス”ジョー。

「追放された時は、体の一部を失ったようだった。夜中眼を覚まし、球場の匂いを鼻に感じた」

これは、“シューレス”ジョーの言葉。

今度はレイが投手になって、ボールを打つジョー。
 
まもなく、ジョーを含む「エイトメンアウト」の8人がボールパークに勢揃いし、ベースボールプレーを堪能するのだ。

それを見て楽しむレイと、娘のカリン。

彼らにしか見えない世界だった。



2  時代を超える長旅を繋いで



レイ・キンセラは、“彼の苦痛を癒せ”という「神の声」に導かれ、60年代に「愛と平和」を説いた、テレンス・マンというカリスマ作家の所在地であるシカゴヘ向かった。

テレンス・マンを強引に連れ出したレイは、マサチューセッツ州ボストンにあるフェンウェイ・パーク(ボストン・レッドソックスの本拠地球場)に行き、ベースボールを観戦する。

“やり遂げるのだ”
フェンウェイ・パークで、レイが再び聞く「神の声」。

二人はフェンウェイ・パークの電光掲示板に映ったメッセージを読み取って、「神の声」に誘(いざな)われ、ムーンライト・グラハムという名の無名の野球選手を探すことになった。

全ては、「神の声」の導きなのだ。

「君の情熱が羨ましい」

「神の声」の導きに真剣に動くレイに、テレンス・マンは洩らす。

そんな熱情を推進力にしたレイは、テレンス・マンを伴って、ミネソタ州にまで足を伸ばした。

しかし、グラハムを訪ねたものの、既に彼は他界していた。

レイが、老いたグラハムと出会ったのは、その夜だった。

後に、ウォーターゲート事件で失脚するリチャード・ニクソンの選挙ポスターが貼られ、「“ゴッドファーザー”公開」という看板が町に出ていた。

レイは、1972年にワープしていたのである。

1972年という年こそ、人道的なドクターとして地道な人生を歩んだグラハムが逝去した年。

「人生の節目となる瞬間は、自分では分らない。“また機会があるさ”と思ったが、実際は、それが最初で最後だった」

これは、最後までマイナープレーヤーだった若き日のグラハムが、レイにベースボールへの熱き思いを語ったもの。

本作で、最も言いたいテーマの一つがが、グラハムによって語られていた。
 
 
 
(人生論的映画評論/フィールド・オブ・ドリームス('89) フィル・アルデン・ロビンソン<反論の余地のない狡猾さを、美辞麗句で糊塗してしまう始末の悪さ>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2010/07/89.html