危険な年('82) ピーター・ウィアー <自死によって炸裂した「物語のライター」の痛ましき愛国心>

イメージ 11  理想主義者の本質を隠し切れない「謎の男」の困難な闘い



 本作は、社会派ムービーの取っ付きにくさをラブロマンスで希釈することで、本来的な「主題が内包する問題解決の困難さ」を提示した作品である。

 この手法が成功したか否かについては、観る者によって判断は分れるだろうが、少なくとも、異質な国家の異質な文化に偏見を持ち、そこに職業意識に見合っただけの「正義」に依拠して自己投入することを拒む西欧人の傲慢さと軽薄さ、それを限りなく相対化させた一人の人物の、あまりに困難な仕事に挑む地道な闘いに眩いまでの光を照らすことができただろう。

 その男はリアリストだった。

 且つ、理想主義者の本質を隠し切れないヒューマニズムの側面も持ち、そして誰よりも奥行きの深い愛国の士だった。

 西欧人ジャーナリストから「小人」と呼ばれたように、身長僅か140cm程度のその男が、映像総体を根柢から支配していた事実を誰も否めないだろう。

 「主題が内包する問題解決の困難さ」とは、奥行きの深い愛国の士=ヒューマニストが内側に抱え込んでいる困難さであった。

 宗主国オランダからの独立後、特定の支持基盤を持ち得なかった、「民族独立の父」であるスカルノ体制下のインドネシアは、西側諸国との対決政策によってIMFからの経済援助を停止され、国内の経済状態は悪化し、インフレによる物資高騰は民衆の生活を圧迫させるに至り、街にはホームレスや売春婦が溢れる惨状を呈していた。
これが、1965年当時のインドネシアの実情だった。

 個人の力では到底及ばないであろう、こんな厄介な問題を抱える、赤道直下に広がる世界最多の島嶼国家の困難さの中枢に、全人格的に対峙した件の男は、少しでも自らの理想を具現する戦略を描いて実践躬行(きゅうこう)していった。

 その方法が、リアリストたる所以でもあった。

 この男の困難な闘いこそ、この男と同様に、オーストラリア人の父を持つ、作り手の思いが投影された人格像であると言えるのだろうか。

 結局、この映画は、個人の力では到底及ばない艱難(かんなん)な問題を抱える風土の中で、それでも個人の力が及ぶ臨界点を描いた作品であるとも把握できるのだ。

 この男の名前は、ビリー・クワン。

 フリー・カメラマンである。

 彼はカメラマンであるというその職業的ポジションを利用して、インドネシアの様々な悲惨な現実を撮り溜めしていた。

 しかし、その写真の殆どが世に出ることはない。

 それを世に出すには、仕事の制約があり過ぎた。

 右派からのテロルの危険も伴うだろう。

 しかし彼は、その現実を世界に訴えたいと本気で考えていた。
 
その手段として、彼はインドネシアに取材に来る各国の特派員を利用しようと考えたのだ。

 ところが、前述したように、エアコン付きのホテルに泊る多くの外国人記者は、現地人と常に一線を画し、溶け合うことを拒む連中だった。

 彼らは、異国の地で不自由する下半身の処理を、売春婦でしか生きられない女たちの、そのチープな「性」を買うことによって処理している凡人たちと言い換えてもいい。

 しかし、彼は諦めなかった。

 ABS(ABCのモデルで、オーストラリア放送協会)の放送局員である、ガイ・ハミルトンという男が、彼の前に出現したからである。

 「野心があり、認識の甘さがあるが、やっていけそうだ」

 この言葉は、本作の冒頭で、ガイ・ハミルトンを案内した直後のビリーの評価である。
 
ビリーは、自分の理想を具現するために、あらゆるデータを蒐集し、この国の中枢のポストに就く者ばかりか、PKI(インドネシア共産党)の最高指導者のアイディット(9月30日事件で処刑)ともコネクションを張り巡らせていた。

 当然、ガイ・ハミルトンに対する情報のスクラップも用意していて、彼の顔写真も何枚も撮り溜めていた。

 更に、インドネシア在住の英国大使館の秘書のジルとも懇意にしていて、彼女からの貴重な情報をもスクラップブックに蒐集していたのである。

 「良い相棒になろう。君の眼になる」

 これは、半人前のジャーナリストである、ガイに対するビーリーの言葉。

 ビリーは、「野心があり、認識の甘さがある」ガイを、限りなく本物に近いジャーナリストに育て上げていくのだ。

 ジャーナリストとしてのガイに対する評価は、後に、ロンボク島の取材で、「子供が痩せこけている」とコメントし、暗に自己満足的と批判され、メロドラマと揶揄されるコメントのレベルだったのである。

まもなくガイは、ビリーの尽力によって、PKIの最高指導者のアイディットへの独占インタビューに成功した。

 「良い相棒になろう」と切望するビリーにとって、ガイの成功は、何より自分の理想を具現していく一つのステップになっていく。
 
そんなビリーが、ガイにジルを紹介したのもまた、仕事の共同戦線を張ることで、同様に自分の理想の具現を実践しようとしたからだろう。

 同時に、異国の地で溜めたストレスのガス抜きとして、ビリーは二人の恋愛へのシフトをサポートしたのである。

 無論、そんなビリーの思惑を、二人は知る由もない。

 二人にとって、ビリーはどこまでも「謎の男」なのである。
 
 
しかし、「謎の男」に対する二人の信頼感には厚いものがあった。
「ビリーは人を裏切らない」と信じさせる何かが、ビリーには存在し、それが彼に多くの「友情網」を形成させるに至ったのである。
 
 
 
(人生論的映画評論/危険な年('82)  ピーター・ウィアー自死によって炸裂した「物語のライター」の痛ましき愛国心>)より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2010/10/82.html