1 「わが楽団は、25年間、自力でやって来た。それを変えるつもりはない」
スカイブルーの制服を着た8人の男たちが、イスラエルの空港の車両乗降場で待機している。
しかし今、送迎車を待っているのだが、いつまで待っても迎えが来ない。
「バスもある。住所も知っている。問題ない」
「大使館に電話して、世話になればいい」
「わが楽団は、25年間、自力でやって来た。それを変えるつもりはない」
「自力でやって来た」ことを誇る男の名は、トゥフィーク・ザカーリア(以下、トゥフィー)。
このトゥフィークが音楽隊の団長で、指揮を担当する男。
繰り返し、トゥフィークが市役所に電話すれども、電話が切られるばかりで、全く埒が明かなかった。
そんな風景の中を歩き続け、辿り着いた小さな食堂。
そこで、今や、ほぼ「万国共通語」と化す英語で、ディナという名の女主人と話をするうちに、決定的なミスに気がついた。
「ペタハ・ティクヴァね?」とディナ。
どうやら、外国語に変換できないアラビア語の発音によって、「ベ」と「ペ」を間違えたらしいのだ。
それは、異文化交流の困難さを示す第一歩だった。
未だそれを認知し得ないトゥフィークは、カーレドのミスと決めつけ、帰国後に即刻、馘首すると言い渡す。
ここまで言われても懲りないカーレドは、ひたすら見知らぬ土地を歩かされるばかりの状態に不満を持ち、食事を摂ることを要求する。
「腹が減っては、演奏に響きます。さっきの店に頼みましょう。あとは考えるとして」
副団長として20年もの間、トゥフィークを支えてきた副団長のシモン(クラリネット担当)の、この援護射撃がなければ、間違いなく、秩序の維持に鈍感なカーレドに何某かのパワハラ紛いの行為を加えていたに違いない。
これで全てが決まった。
歩いて来た道を戻り、無言で先頭に立つトゥフィークは、食堂の前に凛として立ち、生憎(あいにく)、イスラエルの通貨がないことを告げながら、食事の依頼をするが、いとも簡単に引き受ける女主人ディナ。
どうやら、ディナの店では、異文化交流の困難さが大きな障壁になっていないようだった。
食事後、シモンは食堂の前でクラリネットを演奏するが、途中で止めてしまう。
彼には、自作の協奏曲の序曲が未完成なのである。
それを完成させることが、シモンのアイデンティティであることを提示するシーンだった。
自力で生きていくことを本分とするトゥフィークであっても、明日の夕方に演奏予定の異国の楽団が、「もう、バスはない」と言うディナの言葉を耳にすれば、今や、ディナに頼む以外に方略がなかった。
それでも自分から切り出せないトゥフィークに対して、8人全員を分宿させることを提示したディナの差配によって、たまたま店にいたイツィク、そしてディナの家、ディナの食堂という風に、忽ちのうちに決断するイスラエルの女の度量の広さが際立っていた。
「私たちは、あなたたちを泊めるのが光栄なの」
「大使館に助けてもらいます」
こんな状況下でも、異国の住人の援助をに素直に受容し切れないトゥフィークに対して、彼のプライドを傷つけないように、柔和にアウトリーチするディナの言葉で一切が決まった。
(人生論的映画評論・続/迷子の警察音楽隊(‘07) エラン・コリリン <異文化交流の困難さを突破する非言語コミュニケーションの底力>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2014/12/07.html