「健全な社会」は適度な「不健全な文化」を包摂する

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1  「宗教国家」・アメリカの中枢に風穴を開けた男の物語
 
 
ラリー・フリントという男がいる。
 
赤面するほど過激なポルノ雑誌「ハスラー」(注1)を創刊し、「ポルノ王」を自称する実在人物である。
 
カッコーの巣の上で」・「アマデウス」で知られる、ミロス・フォアマン監督の映画・「ラリー・フリント」(1996年製作)のモデルとしても有名だ。
 
ここでは、映画・「ラリー・フリント」をベースに、フォアマン監督の問題意識を斟酌(しんしゃく)しながら簡単に批評したい。
 

―― 結論から言えば、密造酒を売り歩くほどに貧しかった少年期をルーツに、「稼ぐ」ことを生き甲斐にする好色家が表現の自由に託(かこつ)けて、「稼ぐ」人生を具現していく「ポルノ王」の男(ウディ・ハレルソン)の馬力と、「自由」を専門にする生真面目な弁護士(エドワード・ノートン)の弁舌能力が強力に相互作用し合うことで、「不真面目」と「生真面目」の融合による統合力のパワーを描き切ったこと ―― これが、この映画の成功(「ベルリン国際映画祭金熊賞」ほか多数)をもたらしたと言える。

 
「稼ぐ」ことを生き甲斐にする好色家が、「反体制の活動家」とは全く無縁な男であったこと。
 

「自由」を専門にする生真面目な弁護士が、好色家の「稼ぎ」の内実とは全く無縁な男であったこと。

 
前者の理論的欠落を後者の知的能力が補完し、後者の「生真面目」を、前者の「不真面目」から、絶えることなく供給される馬力が補完する。
 
この馬力は、対象を変形させる動力の大きさにおいて半端ではなかった。
 
「宗教国家」・アメリカの中枢に風穴を開けるほどの馬力の凄み。
 
言葉を失うほど圧倒的だった。
 
「神が男を創った。女もだ。その同じ神様がヴァギナも創った。その神を拒否するのか」
 
好色家を自認するラリーの言葉であるが、女性の性器を写した写真を掲載した雑誌「ハスラー」が、「宗教国家」・アメリカで売れるわけがなかった。
 
大半が返品という始末だったのは、殆ど予約済だった。
 
「稼ぐ」ことに執着するラリーは、この程度のリスクで諦める男ではない。
 
だから、チャンスが巡ってくる。
 

元大統領夫人・ジャクリーン・ケネディのヌード写真をカメラマンから買い取り、それを「ハスラー」に掲載したことで、ラリーを囲繞する風景は一変する。

 

200万部の販売部数を達成し、オハイオ州知事も買ったというニュースが、コメント付きでテレビで放送されるのだ。

 

当然、億万長者となり、豪邸を手に入れ、新人ダンサー時代からの恋人・アルシアと結婚したラリーを囲繞する風景がポジティブな熱気のみで歓迎されるわけがない。

 
ここから、「宗教国家」・アメリカの裸形の相貌が牙を剥(む)く。
 
「おぞましいものが現れました。シンシナティに。まともな人までが堕落させられる」
 

「健全な市民を守る会」主催における、銀行家・投資家等の肩書きを持つカトリック教徒・チャールズ・キーティングの声高な講演の言辞である。

 

ラリーが「猥褻罪、及び組織犯罪容疑」で逮捕されたのは、「ハスラー」の企画で盛り上がっていた時だった。

 
幸いにして、家出娘のストリッパー・アルシアの奔走で保釈されるに至る。
 
「戦争の殺人現場を写真に撮ればニューズウィークの表紙になるが、女性の裸を撮ると刑務所に入れられる」
 
懲役25年という苛酷な刑罰を受けた裁判の上訴審で、完全勝訴の判決を勝ち取ったラリー・フリントの物言いである。
 

矛盾の指摘は意表を突く面白さがあるが、それのみでは、「バイブル・ベルト」と呼称される大きなエリアを持つ、「宗教国家」アメリカの中枢に風穴を開けることが難しい。

 
「宗教国家」・アメリカの保守層の「精神武装」の底力に無知過ぎるのだ。
 

法廷での「ポルノ王」の行為の様態が衝動的で、傍若無人であり過ぎたため、まるで、「損得原理」を弁(わきま)えない「幼児反抗」のレベルを露わにするだけだった。

 
武装過ぎるのである。
 
だから一蹴される。
 
当然のことである。
 
命の危険にも曝された。
 
ライフルで撃たれたことで、下半身麻痺にされてしまったのだ。
 

予期せぬ事件だったが、「人民の武装権」を認知した「アメリカ合衆国憲法修正第二条」(注2)に象徴される、「銃社会」・アメリカの、もう一つの相貌についても非武装過ぎたのである。

 
最愛の妻を極度な依存症にしたのも、男の責任でもあった。
 
そんな男が一変する。
 
その最愛の妻・アルシアを、オーバードーズによって喪った「悲嘆」に直面したからである。
 

号泣する男が、号泣を閉じた時、そこだけは譲れない、男の情愛ラインを踏みにじるプロテスタントの言辞に触れて、劇的に一変するのだ。

 

男の妻を軽侮する福音主義派の伝導士の発言を耳にしたことで、保守層から絶大な尊敬を被欲する男との全人格的闘争を決意する。

 

しかし如何せん、男には「理論武装」の脆弱性は無論のこと、何より、衝動的で傍若無人な性格傾向が、常に仇になってしまうのだ。

 

「宗教国家」・アメリカの中枢に風穴を開けるには、「反体制の活動家」とは全く無縁な男の人格的・理論的な脆弱性がネックになっていた。

 
だから男は、「自由」を専門にする生真面目な弁護士・アイザックマンを求めた。
 
真剣な表情で、切に求めた。
 
「俺は、何か意味あることで覚えられたいんだ」
 
「ポルノ王」を自称する男は、そう言ったのだ。
 

「自由」を専門にする生真面目な弁護士・アイザックマンは、「不真面目」さから供給される男から、「真面目」の馬力を受け取って、それを心理的推進力にして、「宗教国家」アメリカの保守層の「精神武装」を解除する弁論を展開し、完全勝訴の判決をもぎ取ったのである。

 
それは、「不真面目」と「生真面目」の融合による統合力のパワーの成就だったのである。
 
(注1)1974年7月に創刊された月刊ポルノ雑誌。現在の部数は50万部以下だが、ピーク時にはおよそ300万部にまで部数を伸ばした。露骨に女性器を掲載することで、1970年代前半に存在していたタブーを打ち破った最初の男性誌の一つだった。長く左翼的編集方針を持っていて、大衆的で労働者階級寄りの姿勢でも有名である。だから、本作でも描かれたように、キリスト教右派との激しい攻防が、「ハスラー」を特異な雑誌にしている。

(注2)「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」


心の風景  「 『健全な社会』は適度な『不健全な文化』を包摂する」よりhttp://www.freezilx2g.com/2018/03/blog-post_21.html