「妬まず、恥じず、過剰に走らず」という「分相応」の「人生哲学」 ―― その突破力の脆弱性

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1  「バランスの人生哲学」という「分相応主義」のイデオロギー
 
 
稲垣浩監督の「無法松の一生」という圧倒的に感動的な映画を観終わった後、私の意識をしばらく支配した言葉がある。
 
「分相応」(ぶんそうおう)という言葉である。
 
いつまでも私の脳裏に焼きついていたこの言葉こ、この印象深い映画のキーワードのような気がしたのである。
 
一体、「分相応」とは何だろうか。
 

字義通りに解釈すれば、能力や立場、地位に対する相応(ふさわ)しさということだろうが、私はここで、敢えて「分相応主義」という概念を提示してみる。

 
散々、考えた末に私が出した定義はこうだ。
 
「特定他者、または、特定他者像に対る相対的距離感によって、自らの行動の枠組みを定めること」
 
即ち、「相手との距離感が自らの内部に、価値観・意識構造・感情傾向の落差の感覚を作り出すことで、自己の表現的営為を相対的に縛ってしまう態度のこと」である
 
この定義によって、私はこの概念を肯定的に把握している。
 
その「哲学」を、「座右の銘」にしたいと思っているからである。
 
そこでの私なりの解釈を簡潔に要約すれば、以上の定義を能動的に捉え直して、「妬(ねた)まず、恥じず、過剰に走らず」という「バランスの人生哲学」に落ち着くであろう。
 
 
思うに、能力主義と平等主義の観念を、「分相応」のイデオロギーによって、バランス良く保持し続けてきた前近代社会の楔(くさび)が解けたとき、人々の「欲望自然主義」(人間の私的欲望を価値の優先順位の筆頭におくという意味)の流れが加速的に普遍化していった。
 
今ではすっかり色褪(あ)せた「分相応」の観念が、かつて、この国の人々の間で、一種の「人生哲学」の美学であったことを、誰が確信的に認知しているのだろうか。
 

私の好きな小説の一つに、「高瀬舟」(森鴎外)という有名な短編がある。

 

苦痛に喘ぎ、死を望む弟の意志を図らずもサポートしたばかりに、弟殺しという重罪で高瀬舟に乗って流刑の地に向かう男の、あまりに潔い魂を描いた作品 ―― それが「高瀬舟」だった。

 
流刑の地に向かうのに、晴れ晴れとした表情を見せ、役所から受け取った僅か2百文(注)の金の有りがたさに感謝する喜助という男について、その役人は述懐する。
 

「庄兵衞は只漠然と、人の一生といふやうな事を思つて見た。人は身に病があると、此(この)病がなかつたらと思ふ。其日(そのひ)其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。萬一(まんいち)の時に備へる蓄(たくわえ)がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往(い)つて踏み止まることが出來るものやら分からない。それを今、目の前で踏み止まつて見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衞は氣が附いた」(「青空文庫」より)

 
この喜助という男の精神の根柢にあるものは、「分相応主義」のイデオロギーである。
 
それは、そのまま放っておけば際限なく広がる欲望に、自我が堅牢(けんろう)な防波堤を築くことである。
 
それが「バランスの人生哲学」である。
 
しかし、「分相応」の観念を極端に無視すれば、その感情は恐らく屈折に向かう。
 
例えば、自分の無能や努力の欠如責任を、家庭環境や外部社会の問題に転嫁することで、確かに、その自我は救われる。
 
誰でも犯し得る、この類(たぐ)いの思考の偏(かたよ)りを、心理学で「自己奉仕バイアス」と言う。
 
成功した時は自分に、失敗した時は外部要因に帰属させる自己防衛反応である。
 
テーマから逸脱するが、成功と失敗の因果関係との関連で言及すれば、バーナード・ワイナー(米国の心理学者)の「達成動機づけの帰属理論」が想起される。
 
成功と失敗の因果関係の要素を、「能力」・「努力」・課題困難度」・「運」の4つの要素で示し、前二者が「内的要因」で、後二者が「外的要因」という風に把握し得るものである。
 
ここで重要なのは、私たちは、与えられた課題を成就させれば、「能力」・「努力」という「内的要因」に帰属させ、逆に、与えられた課題に頓挫(とんざ)を来(きた)せば、「課題困難度」・「運」という「外的要因」に帰属させる傾向を持ちやすいということである。
 
私たちは、この類いの自己防衛反応によって、自我を常に安寧に導いているのである。
 
だが、いつまで経っても、自分の能力の範疇を超えた冒険を止めない自我は、いつか必ず、その屈折を重ね上げていくことで歪んでいくだろう。
 
では、「分相応」の観念に過剰に嵌(はま)った自我はどうなるか。
 
自己嫌悪と自虐の連鎖に自我が捕捉されないようにするために、「下を見て慰めろ」などという観念に堕ちていくに違いない。
 
それも一種の適応だろうが、その内側に溜(た)め込んだ負のイデオロギーが、いつしか自我を疲弊させないとも限らない。
 
「分相応」の「人生哲学」を生き抜くのは、結構、大変なことなのである。
 
屈折もせず、卑屈にも落ち込まないで、この「人生哲学」を生き抜くには、ある程度の覚悟と相当の自制心を持ち得ないと困難なのだ。
 
(注)「2百文」という金銭価値を、現代に当て嵌めてみよう。江戸幕府が定めた金一両の公定相場は4千文だから、「2百文」は0.05両ということになる。江戸時代の初期の米価から計算した金一両は、大体10万円、中~後期で3~5万円、幕末頃には3~4千円という換算が可能なので、「2百文」の価値は、時代が進むにつれ、それぞれ5千円、2千円弱、2百円という程度の貨幣価値に下がっていった訳だ。小説の時代が不分明なので、主人公の喜助が嬉々として受け取った、「2百文」の価値の大きさが判然としないが、いずれにせよ、高が知れている程度の金銭を受け取ってもなお、心から感謝して止まない男の価値観を要約すれば、「分相応」という一言で括れるだろう。(「日本銀行金融研究所 貨幣博物館」HP参照)


心の風景  「『妬まず、恥じず、過剰に走らず』という「分相応」の『人生哲学』 ―― その突破力の脆弱性 」よりhttp://www.freezilx2g.com/2018/07/blog-post_29.html