天国と地獄('63) 黒澤 明 <三畳部屋での生活を反転させたとき>

   拘置所内でのラストシーン。

  そこに死刑執行間際の竹内と、彼に呼ばれた権藤がいる。竹内は確信犯のような笑みを浮かべて、権藤に話しかける。

  「やあ、権藤さん。どうもわざわざ。元気そうですね。今、何をしてらっしゃるんです?」

  権藤は冷静な表情を崩さないで、静かに反応する。

  「相変わらず靴を作っているよ」

  その瞬間、竹内の表情が変わった。そこに権藤への敵意の感情が炙り出されて、ただ睨みつけるだけだった。

  「小さな会社だが、それを私に任せてくれるという人がいてね。私はね、それをナショナル・シューズに負けない会社にするつもりで頑張っている」
 
  明らかに、竹内は言葉を失っている。

  彼は権藤の「地獄の日常」を確認するために、わざわざ彼をここに呼びつけたのだ。竹内の目論見の破綻は決定的だった。彼は権藤のことを、結局、何も理解していなかったのである。

  権藤が身代金を他人の息子のために出すであろうことを確信し、その権藤の人の良さが身の破滅に繋がることを予測していたに違いない竹内は、そこまで権藤のことを調べておきながら、無一文になった彼が、再び裸一貫で出直す気骨を示すであろうことを読み損ねていたのだ。

  既に彼は、最初にして最後の、この直接対決の場の冒頭で、権藤との対決に敗北していたのである。

  苦渋な沈黙の中から吐き出す竹内の言葉は、過剰なまでに芝居がかっていた。

  「どうしてそんな顔で私を見るんです!私はこれから殺される。でもそれを恐れてなんかいませんよ。だから、そんな憐れむような目つきで私を見るのはやめて下さい・・・それが嫌だから私は教誨師も断ったんです。悔い改めたり、神様に縋ったり、どうして私まで、そんなつまらないことをしなけりゃならないんです。私はね、親切な気持ちで嘘を言われるより、残酷な気持ちで本当ことを言ってもらった方がいいな・・・ところで権藤さん、私が死刑になって嬉しいでしょ?嬉しくないんですか?」
 
  竹内は、自らの敗北の認知を相手に悟られることを懸命に隠している。地獄に棲んでいた自分が、本物の地獄に堕ちることを恐れるわけがない。だから、自分を地獄に導く神の祈りを不要とするのだ。

  しかし、それが強がりであることを実感するからこそ、彼は余分な言葉を加えていくのである。毅然と構える権藤に対して、自分の処刑を望む感情を引き出したいのだ。それが引き出せれば、自分の犯罪が権藤の転落と、そこに起因する決定的な失意を招来した事実を立証できるからである。

  こんな無力な挑発に、権藤は特別な感情を交えずに反応してきた。

  「どうして、そんなこと言うんだ。君はなぜ、君と私を憎み合う両極端として考えるんだ」

  権藤は竹内の真意を測りかねている。竹内がその心情を吐露するには、このときしかなかった。

  「なぜだか分りませんね。私には自己分析の趣味なんかありませんからね・・・ただ私のアパートの部屋は、冬は寒くて寝られない。夏は暑くて寝られない。その三畳の部屋から見上げると、あなたの家は天国みたいに見えましたよ。毎日毎日見上げている内に、だんだんあなたが憎くなってきた。終いにはその憎悪が生きがいみたいになってきたんですよ。それにね。幸福な人間を不幸にするってことは、不幸な人間にとってなかなか面白いことなんですよ」
 
  ここで初めて、この映像で最も核心的な表現が刻まれた。

  竹内の屈折した感情が、映像の最後で開かれたのだ。
 
 
(人生論的映画評論/「天国と地獄('63) 黒澤 明   <三畳部屋での生活を反転させたとき>」より抜粋)http://zilge.blogspot.com/2008/11/63.html