エイトメン・アウト('88) ジョン・セイルズ  <「強き良きアメリカ人」という物語の重さ>

 1919年、第一次世界大戦に参戦したアメリカが自国の勝利に沸いていた時代、大衆の娯楽と言えば、ベースボールに尽きた。ベーブルースが活躍していた頃の熱気ムンムンのメジャーベースボール・シーンでは、ベースボールの勝敗が賭博の対象になる位の活況を呈していて、選手とファンが一体になる程の固有の大衆文化として際立っていたのである。
 
 ホワイトソックスというチームの強さも、エースのエディや、センス抜群な若手のジョー・ジャクソンなどの活躍があって、この年のア・リーグのチャンピオンに輝いた。ところが、その優勝を祝うオーナーであるコミスキーのプレゼントは、安物のシャンパンを並べただけのもの。これが、オーナーの言うボーナスの全てだった。

 それに最も不満を持ったのは、この年29勝を上げたエディ・シコッティ投手だった。彼は30勝すればもらえたボーナスが、僅か一勝足りないだけで手に入れることができなかったのである。本来ならもっと勝っていたはずだと考えるエディには、オーナーの極端な吝嗇(りんしょく)が我慢し難かった。当然の如く、他の選手もまたオーナーの処遇に対して大いに不満を持っていた。
 
 元々、ホワイトソックスというチームは当時最強でありながら、オーナーの吝嗇のためにユニフォームも満足に洗濯させてもらえないことから、「ブラックソックス」のチームと揶揄されていた程だ。従ってこのチームは、強い割にはまとまりに欠けていた。そんなチームに八百長賭博事件が出来したのは、寧ろ必然的だったかも知れない。

 八百長賭博の魔の手が侵入してきた経路は、チームの中で待遇に不満を持ち、更に賭博ボクサーの経歴を持つ、レギュラーのギャンドルを介してだった。人間的に隙の多いギャンドルは、賭博師たちからの格好の標的になったのである。そのギャンドルは、ショートを守るスィード・リスバーグに働きかけ、まず仲間に引き入れた。利害を共有する二人は、見る見るうちに、八百長仲間をチーム内で増やしていくことになった。その中に、右腕のエースのエディもいた。悲劇の始まりである。

 正三塁手のバック・ウィーバーも、この八百長の話を聞き知った。しかし彼は、それに強い関心を抱かなかった。ベースボールに対するピュアな情熱が消えていないのである。ワールドシリーズという、メジャーリーガーの最高の夢の舞台が目前に迫っていたからでもあった。

 もう一人、ベースボールに対する情熱を捨てられない若者がいた。
 
 ジョー・ジャクソンである。

 アスレチックスのルーキーの年に、4割8厘をマークするほどのヒットメーカーだった彼は、その教養の欠如のため、観客から「文字を読めるか」などと揶揄されながらも、一貫して「野球小僧」の青春を貫いていた。

 その彼はまた、「シューレス・ジョー」とも呼ばれていた。それは、マイナー時代に靴が足に合わないという理由で、素足でバッターボックスに立ったという伝説に由来している。素足でもベースボールを捨てない男の純粋さは、当然の如く、子供たちの間でも熱狂的な支持を集めていた。

 その彼が今、ワールドシリーズを前に、ロウソクの前で左目を隠して、その灯を見つめている。移動中の列車車両の中でのこと。そこにチームメイトのスィード・リスバーグがやって来た。

 「視力を失うまで炎を」とジョー。
 「失ったら?」とスィード。
 「もう一方も…打率が上がる…変か?」とジョー。

 彼にはベースボールのことしか頭にないのだ。

 「好きにやれ。ジョー、皆の話がまとまったんだ。2試合捨てるぞ」
 「誰が?」とジョー。

 驚いている。彼は今、自分の人生を決めようとする運命の岐路に立たされていた。

 「皆だ。ギャンドルや、俺、エディ。レフティも…そうさ、フレッドやハップ、バックも、皆だ。ジョーはダメだという者に言ってやったぜ。“ジョーも仲間だ。入れよう”ってな」
 「僕も?」
 「是非とも」
 「困ったな」
 「断るなんてバカだぞ。エディも話しに乗った。この話を断ってバカになりたいのか」
 「分らない」
 「ぶち壊したら、皆怒るぞ。皆を怒らせたいのか?俺だって怒る」
 「皆、やるのか?」

 ジョーは追い詰められていた。

 彼には理屈で行動できない弱さがある。世間ずれもしていない。大人の知恵も不足していた。言わば、一人のピュアな子供だったのだ。そんな子供だからこそ、周囲の空気に容易に感染されてしまう。そこがジョーの最大の欠点だった。

 そのとき、ジョーの問いに対して、「主力選手はね」と、スィードは確信的に語ったのある。ジョーは、一言「OK」と答えるしかなかった。

 「それでいい。あまり気にするな。リラックスしていろ。金のことだが、最低1万。シリーズ手当てとは別に。心配するな」

 そう言い残して、スィードは仲間のもとに去って行った。ジョーだけが、そこに残された。


(人生論的映画評論/ エイトメン・アウト('88) ジョン・セイルズ  <「強き良きアメリカ人」という物語の重さ>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/88_19.html