日曜日のピュ('92)  ダニエル・ベルイマン <「視線の二重性」―― そこに拾われた「絶対時間」>

 1920年代のスウェーデンの夏。

 8歳の少年イングマールは、ピュという愛称で呼ばれていた。
 4歳年上の兄のダーグから、「こいつ、女みたいだ」とからかわれ、兄の仲間と遊ぶときも、まるで子供扱いされていて、「いつか殺してやる」などと強がって見せていた。

 父エリックの職業は代々の牧師で、その謹厳実直な生き方が、しばしば子供たちとの微妙な距離を作っている。それでもピュには、父を敬愛する気持ちが強い。

 変人気質のカール叔父さんはユーモアに富んでいて、ピュの気持ちを常に柔和にしてくれる。その叔父さんから、ピュは「口をつぐんどいて。口を開けていると、バカみたいだよ。お前はバカじゃないだろ」などと傷つくようなことを言われたりもする。
 
 カール叔父さんにからかわれたその日、ピュはエリック家のお手伝いさんに連れられて、森の中に入って行った。透き通るような川面にかかる小さな木の橋に佇んで、彼女から時計職人の話を聞くことになった。
 
 「ここで時計職人が首を吊ったの」
 「何?」
 「聞こえたくせに、必ず聞き返すのね」
 「どこで?」
 
 自分の心を言い当てられて、ピュは話を先に進めていく。
 
 「知らないの?茂みの中よ。自殺したの。失恋したからだって言うけど、嘘よ」
 「それじゃ、なぜ?」
 「知らないわ。ララに聞いてごらん」
 「幽霊が出る?」
 「幽霊?今も茂みで動いているって。私は見たことないけど。幽霊や妖精を見るのは特別な人間よ。私は普通の人間だからだめ」
 「僕は、“日曜日の子供”だ」
 「あら、そうなの?」
 「1918年7月14日、午前3時に産まれたんだ」
 「何か見えた?」
 「色々見たよ」
 「面白そう。いつか話して。でも本当かしら?」
 「僕も死んだら、幽霊になる」
 「どうして?」
 「話してあげるよ」
 「何を?」
 「向こうの世界」
 「知りたくないわ」
 「昼間そっと来るから」
 「バカ言わないで」
 「きっと来るよ」
 「死ねばそれきりよ」
 「時計職人は?」
 「ただのお話よ」
 
 死の世界に関心を抱く振りをしつつも、その未知の恐怖に幼い自我が竦んでいる。あまりにナイーブな少年の心が、ぎこちない表情のうちにそのまま映し出されていた。

 ピュはその夜、年長のお手伝いさんであるララに、時計職人の話を聞いてみた。
 
 「なぜ時計職人は自殺したの?」
 「よくは分らない」
 「話してよ、ララ」
 
 ララは、ピュの表情の中に真剣さを感じ取って、ゆっくりと時計職人の話を始めたのである。

 「時計職人の店には、おじいさんの時計があったの。黒いノッポの古時計で、文字盤には金の飾りがついていた。古時計は重々しく堂々と時を刻んで、30分毎に時を告げた。物悲しい音だった。

 ところがある日、全てが変わってしまった。針が進むかと思えば逆戻りしたり、死んだように動かないときもあった。それがとても気になって、職人は修理を始めた。歯車や振り子や針を取り替えてみたが、どうにもならなかった。

 ある日彼は、時計を分解してみた。すると不意に歯車が跳ね上がり、手を切ってしまったの。流れ出た血は時計を伝わり、テーブルの上に溢れ出た。彼は急いで医者に行き、傷口を縫ってもらった。ある夜、時計が13を打って、眼を覚ました。それとも14か?彼は起き上がって、時計を見つめた・・・」

 「なぜ、そんなに詳しいの?」

 「彼が死ぬ前に、一緒に住んでいた人がいてね。祖母がその人から聞いたんだよ。時計職人は、彼に手紙を預けたの。“死ぬまで開けるな”と言ってね・・・

 時計の扉が、ひとりでに開いて、中から奇妙な音が聞こえてきた。多分泣き声だったろう。職人は怖くなったものの、じっとしてはいられなかった。

 そっと時計に近づいてみると、二本の針は下を向いて、6を指していた。上の扉は閉まっていたが、下は軋んで、少し開いた。

 寝巻き姿の職人は、ひざまずいて扉を開き、中を照らしてみた。最初は何も見えなかったが、眼が慣れると、もう一つ扉があるのが分った。細く開いた扉から、誰かが泣いているのが見えた。それは小さな人間で、うずくまって啜り泣いていた。子供でも小人でもなく、本物の女性だった。

 職人は時計が止まっているのに気づいた。聞こえるのは泣き声と、煙突を伝う風の音だけ。“これほど美しい人は、生まれて初めてだ”彼はそう思った。“あまりにも小さいけれど・・・”」

 「彼は恋をしたのね?」と若いお手伝いさん。
 「さあ、本当のことは分らないけど、何かが起きたのは確かだよ」
 「それから?」とピュ。

 「職人は彼女を外に出してやり、濡れた布で額や唇の血を拭ってやった。そしてショールで包み、ベッドに寝かせた。彼はランプを灯して、見えぬ眼を閉じた女を見つめていた。女は眠ったようだ。それも長くは続かなかった。じきに古時計が、狂ったようにギーギーいい始めたからだ。それはひどい音だった。時計が腹を立てて、彼を殺そうとしているらしい。

 彼は店からハンマーを持ち出した。片方の端が尖ったハンマーで、彼は時計を叩き壊した。文字盤が粉々になろうかというとき、彼はそれを見たような気がした。歯車の間から睨む邪悪な顔を。とても恐ろしかったろう。時計を壊している間、女は狂ったように叫び続けた。それは人の声とは思えず、さながら罠にかかった獣。職人が宥めても、叫び続けるばかりだった。

 彼は女を抱きしめ、体を撫でた。プロポーズさえしたかも知れぬ。でも女は叫び続けた。彼はますます動揺して、必死に鎮めようとした。まさに死闘のようだった。

 その時、女が彼の手を叩いた。不意に彼の手を振りほどいた女は、這って逃げ出した。ランプがひっくり返り、燃え広がった。それは手紙にはなかったけれどね。時計職人は女に飛びかかった。接吻すると、女は彼の唇を噛んだ。ひどい乱闘だった。

 起こったことの全ては話せないよ。彼は時計にしたように、女にハンマーで殴りかかった。殆んど正気をなくしていた。落ち着いてから、彼は女と時計を庭に埋めた。それから一年も経たず、時計職人は首を吊った」
 
 長い話が終った。

 二人の子供は、固まったように静かになった。ピュは敢えて饒舌になって、その場から中々立ち去ろうとしなかった。



(人生論的映画評論/日曜日のピュ('92)  ダニエル・ベルイマン <「視線の二重性」―― そこに拾われた「絶対時間」> )より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/92.html