2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

自己満足感

人は仕事を果たすために、この世界に在る。これは私にしかできないし、私がそれを果たすことで、私の内側で価値が生じるような何か、私はそれを「仕事」と呼ぶ。 この「仕事」が、私を世界と繋いでいく。「仕事」は私によって確信された何かであり、私自身…

耐性獲得の恐怖

アラン・パーカー監督の「ミッドナイト・エクスプレス」(1978年製作/写真)についての映画評論を書き終えた際に、その【余稿】のつもりで言及したテーマがある。「ハシシの有害性」についての小論である。 私なりの見解を、そこで簡単に触れた一文を、…

レナードの朝('90) ペニー・マーシャル <「爆発的奇跡」―― ロマンチシズムへの過剰な傾斜という凡作の極み>

1969年夏 ブロンクスにあるベインブリッジ病院。 慢性神経病の患者専門の病院である。 臨床医の応募のために、セイヤー医師は当病院の面接を受けて、何とか就職できた。 彼は5年かけて、4トンのミミズから1デジグラムの髄液を抽出する研究していた男…

忍ぶ川('72)  熊井啓 <「死・過去・遠心力」から「生・未来・求心力」への情感的跳躍>

「翌日、志乃の父は死んだ。私は、初めて一人の人間が尋常に死んでいく様をつぶさに見ることができた。肉親の異常な死に方に慣れた私は、この父の死の意味を思わずにはいられなかった。それは、志乃に私を選ばせた、新しく生きさせるための死だった」 この言…

風花('oo) 相米慎二 <肥大化しつつある空洞感 ―― その脱出の可能性についての映像的考察>

男は満開の桜の下で、眼を覚ました。 陽春の朝とは言え、肌寒い外気はスーツ姿の男の覚醒をもたらしたのか。男の傍に知らない女が横になっていて、男には自分の置かれた状況が把握できないまま、脱げかけたズボンを整えて、必死に日常性を回復しようとする。…

小さな恋のメロディ('71) ワリス・フセイン <「秩序破壊」の向こうにある「お伽噺の世界」への〈状況脱出〉>

「児童期の恋」という刺激的なテーマ設定の中で、私が共感し得たシークエンスが含まれていたので、それに関連づけて言及したい。 11歳の少年少女である、ダニエルとメロディの二人が学校を休んで、海岸に行ったときのエピソードである。 海岸で砂遊びをし…

病識からの自己解放

「病気」とは何だろうか。 38度の熱があっても普通に生活するなら、恐らく、その人は「病気」ではない。 微熱が気になって仕事に集中できない人がいるなら、その人は「病気」であると言っていい。 「病人」とは、自らを「病気」であると認識する人である。…

志野の小宇宙

志野茶碗は、何故、かくも日本人の心を打つのか。 温かい白い釉(うわぐすり)に柔らかい土。その釉を汚すことを拒むように、遠慮げに加えられた簡素な絵柄。ナイーブで、自在なラインとその形。特別に奇を衒(てら)って、個性をセールスする愚を拒み、静か…

自転車泥棒('48) ヴィットリオ・デ・シーカ < 父とぴったりラインを同じにして>

戦後まもないイタリアの経済苦境は、敗戦国の辛酸を舐めていた男たちには満足な職がなく、常に職業安定所には職を求める痩身の成人の体臭で溢れかえっていて、そこでは奪い合いのような求職競争が日常化していた。 半ば諦め状態だった失業中のアントニオに、…

ドクトル・ジバゴ('65) デヴィッド・リーン <「休眠打破の律動感」が閉塞していくとき>

私は本作を、「休眠打破の律動感が閉塞していくとき」という風に把握している。 「休眠打破」とは、厳しい低温が続く冬季から一気に解放され、それを「打破」するが如く長い休眠から覚めること。 冬季の長い低温期、即ち、「時代状況の厳しい変化の波」とい…

隣の女('81) フランソワ・トリュフォー <「禁断」の印、「不完全燃焼」、そして「安らぎ」へのシフト ―― 男の暴走の心理的背景>

1 男と女の運命を決めたガーデン・パーティーでの男の暴走 ジョルジュ・バタイユが、「エロチシズム」(筑摩書房)の中で、「性は小さな死である」と喝破しているように、「性」を本質にする恋愛の持つ「無秩序性」(衝動性、抑制困難性)が、「死」にまで…

バベル('06) アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ <「単純化」と「感覚的処理」の傾向を弥増す情報処理のアポリア>

1 独善的把握を梃子にして振りかぶった情感的視座 モロッコで始まり、東京の超高層で閉じる物語。 モロッコに旅行に来たアメリカ人夫婦は、関係の再構築のために旅に出て、そこで難に遭う。 東京の超高層に住む父と娘は、関係の折り合いが上手に付けられな…

フォーレの小顕示

私は元々、交響曲が好きではない。 私の狭量な音楽的感性の中では、その騒々しさにどうしても馴染めないのである。敢えて挑発的に言ってしまえば、空間を仕切ったつもりの、その「大顕示」が苦手なのかもしれない。だからワグナーも、マーラーも、ベートーベ…

過分な優越感情に浸る新たな愚かしさ

「集団にとっても個人にとっても、人生というものは風解と再構成、状況と形態の変化、及び死と再生の絶え間ない連続である。人生はまた行動と休止、待つことの休むこと、そして再び、しかし今度はちがうやり方で行動を開始することである。そして、いつも超…

アンダルシアの犬('29)  ルイス・ブニュエル サルバドール・ダリ <「殺人への絶望的かつ情熱的な呼びかけ」というライトモチーフの破壊力>

1 第一次世界大戦のインパクトが分娩したもの ヨーロッパを主戦場にした第一次世界大戦 ―― それは、開戦当時の予想を遥かに超える膨大な犠牲者を生み出した悲惨な戦争だった。 2000万人近くの死者を生み出した、このサバイバルな消耗戦を終焉させたとも…

戦場のピアニスト('02)  ロマン・ポランスキー  <「防衛的自我」の極限的な展開の様態>

1 5点のうちに要約できる映画の凄さ この映画の凄いところは、以下の5点のうちに要約できると思う。 その1 観る者にカタルシスを保証する、ハリウッド的な「英雄譚」に流さなかったこと。 その2 人物造形を「善悪二元論」のうちに類型化しなかったこと…

歌行燈('43) 成瀬巳喜男 <木洩れ陽の中の表現宇宙>

少し長いが、「虚栄の心理学」という拙稿から引用する。 「(虚栄心とは)自らの何かあるスキルの向上によって生まれた優越感情を、他者に壊されないギリギリのラインまで張り出していく感情であるとも言える。スキルの開拓は、自我の内側に今まで把握される…

バウンティフルへの旅('85) ピーター・マスターソン <「郷愁の念」によって切断された「現実との折り合いの悪さ」>

1 「郷愁の念」によって切断された「現実との折り合いの悪さ」 観念としての死がリアリティを持ちつつある自我の中で、「現実との折り合いの悪さ」が「郷愁の念」を喚起し、喚起された「郷愁の念」が拡大的に自己運動を起こすことで「現実との折り合いの悪…

日常性の危ういリアリズム

この国でベストワンの映像作家を選べと言われたら、私は躊躇なく「成瀬巳喜男」の名を挙げる。 確かにこの国には、成瀬より名の知られた巨匠級の映像作家がいる。溝口健二、黒澤明、小津安二郎の三氏である。三氏とも極めて個性的な映像世界を構築し、世界で…

騙し予言のテクニック

確信の形成は、特定的なイメージが内側に束ねられることで可能となる。 それが他者の中のイメージに架橋できれば、確信はいよいよ動かないものになっていく。 他者を確信に導く仕掛けも、これと全く同じものであると言っていい。 その一つに、「騙し予言のテ…

Focus('96) 井坂 聡 <暴走するメディア― それを転がす者、それに転がされる者>

一台のテレビカメラが、様々なアングルから映し出されていく。 「ソニー」製の文字が見える大型のカメラは、まるで一つの生き物のように、それが本来の獲物を捕らえる利器の役割を逆転させて、自らが被写体となって晒されていく姿は異様ですらあった。 その…

いつか晴れた日に('95) アン・リー <「ラストシーンのサプライズ」によって壊された映像の均衡感>

時代も階級も歴史的風土も、一切蹴飛ばすことによって見えてくるだろう、裸形の自我の個々の様態だけを純化したときのテーマ ―― それは「異性愛」の様々な形であると同時に、純度の高い「姉妹愛」の形だった。 ここでは、その純度の高い「姉妹愛」について…

灰とダイヤモンド('58) アンジェイ・ワイダ <〈生〉と〈死〉を分ける禁断のラインを挟んで、一瞬交叉した、「ポーランドの悲劇」の象徴的構図>

ヨーロッパの大地の多くを前線と化して荒れ狂った、「共通の敵」(ナチス・ドイツ)が消えたことによって、そこに残された、イデオロギー濃度の深い二つの組織の対立はより尖鋭化し、テロリズムと粛清という極めて厄介な連鎖を矢継ぎ早に分娩していく。 その…

少年時代('90) 篠田正浩 <「思春期前期」の抑制困難な氾濫の中で ―― 汝の名は「擬似恋愛」なり>

「何も言うな。俺は可哀想なんかじゃない」 クーデター前のガキ大将の少年が放ったこの言葉が、本作の健全なヒロイズムを根柢から支えている。 この映画の強さは、そこにある。 この強さは、そこに至るまで表現してきたものの構築的な強さである。 従って、…

相対経験

経験には、「良い経験」と「悪い経験」、その間に極めて日常的な、その時点では評価の対象に浮き上がって来ない、厖大な量のどちらとも言えない経験がある。 この経験が結果的に自分を良くしてくれたと思われる経験が「良い経験」で、その逆のパターンを示す…