2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

幕末太陽傳('57) 川島雄三 <自由なる魂が隠し込んだ侠気 ―― 或いは、孤独なる確信的逃走者>

攘夷に狂奔する若き「志士」たちが、馬で逃げる二人の英国人を抜刀して追っていく。しかし、ピストルで応戦する英国人に太刀打ちできる訳がない。一人のラジカル・ボーイがその銃丸に倒れて、呆気なく彼らの攘夷は頓挫した。男は懐中時計を落として、その場を…

ベティ・ブルー 愛と激情の日々('83) ジャン=ジャック・ベネックス <対象人格の包容力によってもカバーできない、「ディストレス」による破壊的衝動の暴発>

映像の基本骨格とも言えるベティのキャラクターは、「愛と激情の日々」版(122分)の、冒頭の25分間の中で余すところなく提示されている。 海辺のバンガローの一つを借りて生活するゾーグは、突然出現した奔放な少女ベティと意気投合し、セックスに明…

冬の光('62)  イングマール・ベルイマン <物語に縋って生きる「職業的牧師」の欺瞞と孤独>

1 「職業的牧師」という名の、一人の「凡俗の徒」 本作の主題は、拠って立つ自我の安寧の基盤である物語に亀裂が入ってもなお、その物語に縋って生きていかねばならない男の欺瞞と孤独である、と私が考えている。 物語とは、キリスト教への深い信仰の念であ…

ハワーズ・エンド('92) ジェームズ・アイヴォリー <「異文化間の葛藤・対立」の極点であると同時に、その調和の象徴としての「ハワーズ・エンド」>

1 異なった文化を持つ者たちの階級社会の縛りの中で かつて高度経済成長下で、長屋住まいの我が家の父母が、何かのアンケート調査で、自分たちの生活レベルを「中の下」などと記したことでも分るように、当時、大半の日本人は自らの生活レベルを、「ミドル…

フェリーニのアマルコルド('74) フェデリコ・フェリーニ <「相対経験」の固有の相貌と色彩感を放って>

風花のように綿毛が空を舞って、北部イタリアの小さな港町を白で覆い尽くす季節が、今年もやってきた。春の訪れを告げる綿毛の舞である。 冬を象徴する魔女の人形に火をつけ、それを燃やし、爆竹を鳴らす祭りに、町中の熱気が集合するのだ。 「ローマ人とケ…

俺たちに明日はない('67)  アーサー・ペン <「初頭効果」によるインパクトを提示した映像の挑発的突破力>

後に、「クレイマー、クレイマー」(1979年製作)を監督したことで世界的に知られるに至った、テキサス州出身のロバート・ベントンが、ニューヨーク生まれの脚本家であるデヴィッド・ニューマンと組んで、共同執筆した一本のシナリオ。 それが、テキサス…

カンバセーション 盗聴('73) フランシス・フォード・コッポラ <孤独感と妄想観念の相乗作用によって集約された人格イメージの内に>

一度観たら忘れられない映像プロットを、フォローしていこう。 ショッピングのメッカであるサンフランシスコのユニオン・スクェアで、若い男女の会話を盗聴していたハリー・コールは、通信傍受の名うてのプロフェッショナル。 そのアベックは、盗聴よけのた…

あらくれ('57) 成瀬巳喜男 <声を上げ、たじろがず、情を守り、誇りを捨てなかった女>

神田の缶詰屋の店先で、ひたむきに働く若い女。お島である。 彼女は没落した庄屋の娘で、幼くして農家の養女になっていたが、生来の男嫌いなのか、結婚話を断って無断で上京して来た。その折に、植源(うえげん)という世話人の紹介で、缶詰屋の若主人である…

太陽の少年('94) チアン・ウェン <鮮度の高いシャープな筆致で特化して切り取った、「甘美なる青春の、あの夏の日々」>

物語は、成人したシャオチュンのモノローグで開かれる。 「北京の変貌は目まぐるしい。あれから20年。近代的な街に変身した。今の北京に昔の面影は見られない。私の思い出も、かき消されてしまった。私の思い出も、夢か真実かはっきりしない。私の物語は、…

巴里の女性('23) チャールズ・チャップリン <心理描写の見事さと、ブルジョア富裕層に対する怨嗟の念>

1 心理描写の見事さと、ブルジョア富裕層に対する怨嗟の念 「この映画に私は出演していません。これは私の最初の喜劇ではない映画です」 映像冒頭で、敢えてこんな字幕を入れるほど、観る者のイメージギャップを中和化しようとする「喜劇王」チャップリンの…

散り行く花('19) D・W・グリフィス <メロドラマの「純愛性」のうちに閉じられる情感的イメージ ―― その「人間観察力」の脆弱さ>

1 DVの破壊力と、自我の形成不全の有りよう DV(ドメスティック・バイオレンス)が、現代社会の特殊な「負の産物」としての暴力ではないことを証明する一篇。 現代のように、私権の拡大的定着と人権感覚の飛躍的拡大が具現されていない90年前の社会風…

散り行く花('19) D・W・グリフィス <メロドラマの「純愛性」のうちに閉じられる情感的イメージ ―― その「人間観察力」の脆弱さ>

1 DVの破壊力と、自我の形成不全の有りよう DV(ドメスティック・バイオレンス)が、現代社会の特殊な「負の産物」としての暴力ではないことを証明する一篇。 現代のように、私権の拡大的定着と人権感覚の飛躍的拡大が具現されていない90年前の社会風…

母なる証明('09) ポン・ジュノ <「忘却の舞い」を必要とする母がいて、「狂気の舞い」に追い込まれた母がいた>

本作の中で、最も重要と思える会話を紹介する。 そこには、本作の基幹テーマとなっている、母性の過剰な包容力のルーツとも思える会話が拾われているからだ。 会話の主は、本作の主人公である母と、その一人息子。 肝心の母には、固有名詞がない。 それは、…

マッチ工場の少女('90) アキ・カウリスマキ <「語り」を削り取ることで露わになる、人間社会の裸形の現実>

本作の基調音は、アンデルセン童話として有名な、「マッチ売りの少女」の悲劇をなぞるものである。 1本のマッチも売れない少女が、「役立たず!」と叱られる父親の恐怖に慄き、幻影の中で至福のひと時に浸った末に、全てのマッチを燃え尽くして死体と化した…

さよなら子供たち('88) ルイ・マル <厳冬の朝の残酷―「秘密の共有」が壊されたとき>

突然、親独義勇兵が家宅捜査の名目で、学校にやって来た。 「入る権利はない。ここは私立学校だ。子供と修道士しかいない」 ジャン神父が拒んでも、強権的に侵入する親独義勇兵を、誰も止められない。それを見た一人の教師は、全員で運動中の列の中からジャ…

ディア・ドクター('09) 西川美和 <微妙に揺れていく男の脱出願望 ―― 「ディア・ドクター」の眩い残影>

必ずしも、本作の主人公である「『善人性』を身体化するニセ医者」のバックボーンが明瞭に表現されていないが、私なりにイメージする、件の「ニセ医者」の心理の振れ具合に焦点を当てて書いてみよう。 今や認知症となっているが、かつて医師であった父を持つ…

レイジングブル('80) マーティン・スコセッシ <技巧を欠損させた男の損益分岐点>

1 決してダウンしない男 ―― ブルファイターの矜持 「俺は自分でやる」 この言葉を信条にするほどに、人に頼るのを最も嫌う男。 パウンド・フォー・パウンド(ハンディなしに全階級の格闘家が闘ったと仮定したときの最強チャンプ)の栄誉を讃えられ、史上最…

家族の肖像('74)  ルキノ・ヴィスコンティ <老境無残―「状況」に捉われて、噛まれて、捨てられて>

1 異文化圏に棲む者たちに翻弄されて イタリアのローマ。 この大都市に豪邸を構える一人の教授がいる。家政婦と共に住むが、家族を持たない孤独な生活を送る彼の趣味は、絵画のコレクション。それも「家族の肖像」と呼ばれる、家族団欒を描いた18世紀英国…

劒岳 点の記('09) 木村大作 <「仲間」=「和」の精神という中枢理念への浄化の映像の力技>

「昨今のチャラチャラした日本の男たちは・・・」、「金融資本主義に突っ走る、今の日本社会の荒廃は・・・」、「CGなどの表現技巧に依存するハリウッド映画の物真似は・・・」等々という説教を喰らいそうな映画だが、それでも本作が、「キャッチコピー」だけの欺瞞…

歩いても 歩いても(‘07)  是枝裕和 <『非在の存在性』の支配力、その『共存性濃度』の落差感>

1 「非在の存在性」の支配力、その「共存性濃度」の落差感 ―― 批評に入っていく。 この映画の重要なテーマが、上述したように、「黒姫山」の話と、そこに脈絡する「いつもちょっとだけ間に合わない」という次男の言葉に象徴されるように、一年に1、2回し…

ブロードウェイと銃弾('94) ウディ・アレン<人間理解の致命的な浅はかさという虚構の戯れ>

本作の面白さの殆どは、ウディ・アレンの表現世界の基幹テーマとも言える、コミカルなオブラートに包ませた、理想と現実の乖離の悲哀と、その倒錯に関わる映像構築性の完成度の高さに因っているが、アレン映像の中で一つの到達点でもある本作は、一貫して無…

野菊の如き君なりき('55) 木下惠介<「純愛」が内包する情感系の脆弱さ>

本作の政夫と民子が、彼らの「純愛」を貫徹できなかったのは、必ずしも時代状況の封建的な制約下にあって、外部圧力に屈したという一面だけで把握するだけでは不充分であろう。 何よりも、彼らの「純愛」の様態が脆弱であったこと。 その未成熟さが、彼らの…

地下室のメロディー('63)  アンリ・ヴェルヌイユ <「全身犯罪者」 ―― その圧倒的存在感と、それによって相対化される「共犯者」の人格像>

本稿では、「冷風が吹き付けてくる困難な状況下での、通風ダクト内の匍匐(ほふく)前進」という、如何にも「サスペンス映画」の醍醐味に関わる言及は避けたい。 既に多くの批評家、ファンが語り尽くしているからだ。 ここで取り上げたいのは、「人生論的映…

25時('02)  スパイク・リー  <大いなる悔悟の向こうで――― 選択できなかったもう一つの人生>

様々な廃棄物が捨てられているような汚濁した路傍の一角に、その犬は死にかかっていた。友人のコースチャと車を飛ばすモンティの視界に、その犬が捉えられたとき、なお本来的な攻撃性を振り絞って見せるかのような、白の斑(まだら)の入った黒犬に近づき、…

名画短感⑦ ペレ('87)  ビレ・アウグスト監督

それは、スウェーデンが信じられないほど貧しかった十九世紀末の話。 「祖父と孫」の関係かと見紛うほど、年の離れた父子が、「パンにバターを塗って食べる生活」を求めて、海を隔てて対峙する大国、デンマーク王国の領内にあるボーンホルム島に、移民船に乗…

名画短感⑥ 人情紙風船('37)  山中貞夫監督

時代劇といえば、戦後の東映のオハコの娯楽映画のエース。 しかし、長屋の住人の脳天気さという印象を相対化させてしまう程に、ここに描かれる際限なく陰鬱な江戸期の人々の描写のイメージは、まもなく前線に放り込まれる運命にあった27歳の青年監督の、そ…

太陽はひとりぼっち('62) ミケランジェロ・アントニオーニ <ラスト9分間に及ぶ、無言のシークエンスの決定力>

原題は「L’ECLIPSE」。 「月食」、「日蝕」という意味である。 カンツォーネの代表的女性歌手である、イタリアのミーナ・マッツィーニが歌う、軽快な邦題通りの主題歌から、クレジットタイトルが刻まれる途中で、唐突に、暗鬱な不協和音が流れてきた直後の映…

勝手にしやがれ('59)   ジャン=リュック・ゴダール <「破壊」という極上の快楽>

吐瀉物の如く吐き出される、殆ど内実を持ち得ない会話に象徴されるように、その「革命性」が注目された「物語性の曖昧化」によって、寧ろ、そこに炙り出されてくるイメージは、男の人生の刹那主義であると言っていい。 刹那主義とは、「今、このとき」の快楽…

がんばっていきまっしょい('98) 磯村一路 <「頑張ったけど負けた」―― 或いは、「純粋動機論」という厄介なメンタリティ>

1 夢スポーツの三命題 甲子園という夢舞台で物語を作る「高校野球」の本質を、私は「純粋・連帯・服従」という三命題によって把握している。 「夢スポーツの三命題」とも呼んでいる。 彼らはスポーツ天使となって「純粋」を表出し、「連帯」を作り出し、「服…

ガンジー('82) リチャード・アッテンボロー <「世界中のならずものに対しても寛容過ぎる」男が、拠って立つ観念・情感体系>

「非暴力(アヒンサー)・不服従」という男の観念体系が人々を動かし、動かした人々との協力によって歴史を変えるパワーを持ち得たのは、ある意味で、様々な偶然性の集積であると言えるかも知れない。 独立運動を戦う相手国が、戦勝国であっても、国力の衰退…