2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

邪魔者は殺せ('47) キャロル・リード<「受容型関与」と「利益追求型関与」 ―― インボルブされた人々の行動様態>

1 孤立した男 映画の原題である「ODD MAN OUT」、即ち、「孤立した男」という意味が、本作の全てを表している。 序盤の20分で、組織から「孤立した男」が、重傷を負って逃亡する暗鬱な半日を描くシークエンスの嚆矢(こうし)にシフトし、それがラストシ…

風の丘を越えて('93)  イム・グォンテク <寒風に身を晒す旅―「旅」「恨」、そして「忘れ物」>

一人の芸人が、二人の義理の子供と旅をする。 子供の一人は、芸人に養女として引き取られた孤児。もう一人は、自分が愛した女の連れ子。女は難産の末逝去し、そこに一人の男の子が残された。芸人は男の子を引き取って、養父となった。 パンソリの名手である…

ケス('69)  ケン・ローチ  <炸裂と埋葬 ―― 思春期彷徨の果てに>

一台のベッドに、年の離れた二人の兄弟が眠っている。目覚まし時計で起きない兄を、弟は起こそうとする。しかし兄は起きようとしない。 「目覚ましを7時に」と弟は促す。 「自分でやれ」と兄は突き放す。 「勝手にしろ」と弟も突き放す。 「生意気だぞ」と…

黒水仙('47)  マイケル・パウエル <「内的秩序」の防衛力の「脆弱性」>

ヒマラヤ山麓の小さな村で、子供たちの教育や奉仕活動のために、カルカッタ(現在のコルカタ)の尼僧院から、強い使命感を抱いて赴いた5人の英国の尼僧が、そこで直面する苛酷な自然環境と「異界」の文化風土によって、次第に疲弊し、信仰心を希薄にしてい…

田舎の日曜日('84)  ベルトラン・タヴェルニエ   <老境の光と影――慈父が戦士に化ける瞬間(とき)>

1 陽光眩しい田舎の日曜日 1912年、樹木がその色彩を鮮やかに染めつつある、初秋のパリ郊外。 およそ第一次大戦前夜の、暗雲垂れ込めつつあるヨーロッパの風景とは思えないような、長閑(のどか)なる田舎の日曜日。 その日、既に老境に入った画家のラ…

銀座化粧('51)  成瀬巳喜男  <「女」という名の商品価値の攻防>

これは、戦後間もない頃の銀座のバーに勤める、一人のホステスの物語。 映像のテーマは、彼女の中に内在する「女」と「母」という二つの意識様態が微妙に交錯し、揺動しつつも、後者の牽引力が前者のエロス的世界を制御する感情の流れ方を精緻にフォローした…

キリング・フィールド('84)  ローランド・ジョフィー  <「異文化を繋ぐ友情」――或いは「現代史が膨らませた負の遺産」>

「カンボジア。西欧人とって、それは天国、秘境だった。だがベトナムの戦火は国境を越え、カンボジアに広がった。私がこの地を訪れたのは1973年、ニューヨーク・タイムズの特派員として内戦の取材に訪れた。政府軍とゲリラ“赤色クメール”(注1)の激戦の…

バベル('06)   アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ <「単純化」と「感覚的処理」の傾向を弥増す情報処理のアポリア>

1 独善的把握を梃子にして振りかぶった情感的視座 モロッコで始まり、東京の超高層で閉じる物語。 モロッコに旅行に来たアメリカ人夫婦は、関係の再構築のために旅に出て、そこで難に遭う。 東京の超高層に住む父と娘は、関係の折り合いが上手に付けられな…

夏の夜は三たび微笑む('55) イングマール・ベルイマン <「非本来的な関係」の様態がシャッフルされたとき>

1 「夏の夜の三度目の微笑よ」 ―― 物語の梗概 「自分の家が、時々、幼稚園に思える」 こんなことを吐露するフレデリック・エーゲルマンは、中年弁護士で、現在19歳の若妻アンとセックスなき生活の代償に、かつての恋人で、女優のデジレへの思いが捨て切れ…

ぼくの伯父さんの休暇('52) ジャック・タチ<「ストーリー性の欠如」と「ペーソス」の剝落―「脱風刺のスラップスティック的ギャグ」の洪水の宿命>

1 「時代の限定性」の壁を突き抜けて、「普遍性」を持ち得る「笑い」の困難さ この映画を観ていて、つくづく感じ入ったことが2点ある。 一つは、「チャップリン映画」が如何に抜きん出ていたということ。 もう一つは、人を「笑わせること」が如何に難しい…