2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

嘆きの天使('30) ジョセフ・フォン・スタンバーグ   <「予約された残酷さ」―― 異文化侵入が破綻して>

港町として名高い、ハンブルグにあるギムナジウム(ドイツの中等教育機関で、大学進学を目的とする)。 そこに、一人の初老の教授がいる。その名はラート。とても厳格な英語教師である。 その日も彼は、表面的には静寂な教室で教鞭を執っていた。 その彼が、…

青春の殺人者('76) 長谷川和彦 <過剰把握された青春の自立の脆弱性、或いは、自己を相対化し得た若者の心の軌跡>

1 「解放的自我」とは無縁な若者の破壊の内実 このような環境下で、このような育てられ方をすれば、このような若者が生まれ、且つ、その若者が、このような状況下に置かれれば、このような犯罪を犯すかも知れないという説得力において、本作を凌駕する作品…

晩菊('54) 成瀬巳喜男 <それでも女は生きていく>

1 人間の卑屈なさまをも容赦なく映し出す成瀬ワールドの中に 杉村春子、望月優子、細川ちか子。 この三人の女優の味わいのある演技の交錯が、物語を最後まで引っ張って行く。 共に昔芸者をしていたが、零落した二人が、今や高利貸しとなった杉村春子に借金…

ベニスに死す('71) ルキノ・ヴィスコンティ <エロスとの睦みの内に老境を突き抜けて>

1 海からの風の冷たさに身を寄せるようにして 一艘(いっそう)の豪華客船が、朝焼けの美しい風景の中にゆっくりとした律動で、静寂な海洋の画面を支配するかのように、薄明の時間が作り出す柔和な色彩の内に、その堂々とした存在感を乗せていく。 マーラー…

オアシス('02) イ・チャンドン  <「オアシス」という名の削られた日常性>

イ・チャンドン監督自身のメッセージ。 「『オアシス』は境界線についての映画ともいえます。自分と他人との間の境界、自分たちと忌むべき相手との間にある境界、あるいは『普通の』人たちと『障害をもった』人たちとの間の境界。あるいはまた、『愛』と呼ば…

黄色い大地('84)  チェン・カイコー  <道理を超えた矛盾と齟齬を描き切った、「掟」と「掟」の衝突の物語>

1 「異文化」からの使者の求心力、悪しき習俗の遠心力 粗い砕屑物(シルト)の土壌である黄土(こうど)が、黄河の中流域にまで広がる黄土高原の裸形の風景の中枢に、植生破壊の脅威を見せる陝西省(せんせいしょう)の一帯は、まさに中国の土手っ腹に当た…

誰も知らない('04)  是枝裕和  <大いなる空砲の幻想>

1 「全て社会が悪い」という論理的過誤 ―― 自分の問題意識にテーマを引き寄せるという些か強引な手法を、更に拡充させていく。具体的には、本作への批評を大幅に逸脱して、ここでは人生論的な評論ではなく、状況論的な映画評論を記していきたい。 この映画…

名画短感⑭  裁きは終わりぬ('50)  ンドレ・カイヤット監督

主題提起の強引さが物語を作り過ぎたという一点を除けば、ほぼ一級の名画と言っていい社会派ドラマ。 本作のテーマを、簡潔に要約すれば、以下の通り。 「約束」の故に、図らずも安楽死を遂行した女性被告を裁く、7人の陪審員たちのその判決の内実が、彼ら…

名画短感⑨ ヴェラ・ドレイク('04)  マイク・リー監督

ヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝く、マイク・リーの「ヴェラ・ドレイク」(2004年)について一言。 1950年代のロンドンを舞台にした一人の家政婦の物語だが、人助けの気持ちで堕胎を繰り返す女の「罪と罰」について、いつものように作り手は、顔を…

地獄の黙示録('79) フランシス・F・コッポラ   <「ベトナム」という妖怪に打ち砕かれて>

1 ニューシネマの最終到達点 アメリカは厄介な国である。 自分の国を最も偉大で、強大な国であると、皆、素朴に信じて疑わないところがあるように見える。敢えて辛辣な言辞を弄すれば、その内実は、食いっぱぐれた無数のヨーロッパ系移民がインディアンを、…

裸の島('60) 新藤兼人 <耕して天に至る>

1 必要な時間に必要な動きを、必要なエネルギーによって日常性を繋いで 乾いた土 限られた土地 映画「裸の島」で、冒頭に紹介されるこの短いフレーズの中に、既に映画のエッセンスが語られている。 映画の舞台は瀬戸内海に浮かぶ、僅か周囲四百メールの小島…

名画短感⑩ モナリザ('86) ニール・ジョーダン監督

ニール・ジョーダン監督の「モナリザ」は、忘れられない映画である。 冴えない中年男が、謎の女に恋をした。 初めは恋ではなかった。 ボスの身代りに入っていた刑務所から出所して来たその男、ジョージは、美しい黒人娼婦、シモーヌの専属運転手の仕事をもら…

名画短感⑬ 獅子座('59) エリック・ロメール監督

ファーストシーンとラストシーンの内実が同質のものでありながら、その時間枠の間に描かれた主人公と、その主人公を取り巻くパリの風景が劇的に変容していくさまを、ユーモラスなエピソードを挿入しつつも、しかしそこで奏でられていた通奏低音は、如何にも…

ロゼッタ('99) ダルデンヌ兄弟 <もう誰とも繋がれない少女の自我 ――「自己防衛」のための青春の尖りの苛酷さ>

1 少女の固い自我の奥深くまで肉薄した傑作 「怒りのナルシズム」でしかない尖りの青春ではなく、「自己防衛」のための青春の尖りの苛酷さ。 その苛酷さを、厳格なリアリズムで映像化した作品がある。 ベルギーの「怒れる作家」、ダルデンヌ兄弟による「ロ…

鳥('63) アルフレッド・ヒッチコック <「得体の知れない恐さ」を描き切った本作の凄み>

1 「得体の知れない恐さ」を描き切った本作の凄み 恐怖は、怒り、嫌悪、喜び、悲しみと共に、人間の基本的な感情である。 生物学的感情を惹起させる、特定的対象に対する「得体の知れない恐さ」を持ったとき、副腎髄質から分泌されるアドレナリンによって、…

名画短感⑧ 黄金狂時代('25)  チャールズ・チャップリン監督

「チャップリン映画」の中では、最も好きな作品。 金鉱を求めてアラスカの雪山で苦労する男たちの話に、滑稽なラブストーリーが絡んで、極めて完成度の高いチャップリン喜劇が誕生した。 嵐によって自分たちの小屋が断崖の縁まで飛ばされて、その小屋の中で…

名画短感③ 恋恋風塵('89)  ホウ・シャオシェン監督

1 一級の「失恋映画」 ホウ・シャオシェンの「恋恋風塵」は、一級の「失恋映画」である。 その表現力、抑制の効いた描写、少年期の感性を見事に捉えた映像は特筆すべきであって、他の追随を許さないものがある。 祖父に癒されて閉じるこの静謐な映像宇宙は…

名画短感⑤ プレイス・イン・ザ・ハート('84)  ロバート・ベントン監督

観る者の感動を狙っただけの映画が氾濫する情緒過多なる時代のとば口に、かくも堅実で良質なヒューマンドラマがあったことを確認させられる一篇。 主演を演じたサリー・フィールドと、ジョン・マルコヴィッチの冴えた演技が映像的感性を濃密にしていて、最後…

近松物語('54)  溝口健二 <「峠の爆発」―ラインを重ねた者の突破力>

序 「近松ワールド」を代表する一作 「おさん」は、元禄文化が生んだ最も有名な人物の一人である。 中でも、井原西鶴の「好色五人女」の内の一人で、「おさんの巻」の主人公としてつとに名高い。勿論、「おさん」は実在の人物で、手代との不義密通の廉(かど…

落ちた偶像('48) キャロル・リード <複雑な〈状況〉の中に放り投げられ、置き去りにされた少年の悲哀>

1 秘密を守る少年 舞台は、ロンドンの某国大使館。 大使が療養中の夫人を迎えに行って、寂しい思いの息子は退屈を持て余す。 息子の名は、フェリップ。 フェリップ少年は、敬愛する執事のベインズの話を聞くのを楽しみしているが、肝心のベインズは、ヒステ…

名画短感② 北京好日('92)  寧瀛 (二ン・イン)監督

1 老境の日々のアイデンティティ 「老境の日々のアイデンティティ」を、いかに確保するか。 この永遠のテーマを、難解な文脈でカモフラージュしながら、訳知り顔の独善性を厚顔にも晒すという過誤を犯すことなく、普通の老人の等身大の視線によって能弁に語…

名画短感④ 天国の日々('78)  テレンス・マリック監督

際立つ映像美によって、最も印象に残る映画。 とりわけ、自然の情景描写が抜きん出ていて、殆ど溜め息が出るほどだ。 見渡す限りの大農場には、黄金色の麦の穂が大きく揺れ、遥か地平線の向うでは、日没の赤がいつもと変わらぬ律動性の中に燃えている。朝靄…

名画短感⑫  終着駅('53)  ビットリオ・デ・シーカ監督

愉悦するものの始まりが、終わりを避けられないときの苦しみに捕捉されるとき、その苦しみは、愉悦するものが大きいほど想像し難い苦しみを味わうだろう。 同時に、その「始まりの終わり」は、「終わりの始まり」として未知の時間に呑み込まれていくときの苦…

日の名残り('93)  ジェームス・アイボリー <執事道に一生を捧げる思いの深さ―「プロセスの快楽」の至福>

1 長い旅に打って出て 英米の映画賞を独占した「ハワーズ・エンド」の翌年に作られた、米国人監督ジェームス・アイボリーの最高傑作。 また前作でも競演した英国出身のアンソニー・ホピキンスとエマ・トンプソンの繊細な演技が冴え渡っていて、明らかに彼ら…

裏窓('54) アルフレッド・ヒッチコック <キャラクターイメージの「変換」という、ヒッチコック魔術の映像構成力の妙>

1 「非日常」の地平に辿り着くまでの、長く曲折的な時間の中で放たれる緊張感 本作の凄い点は、脚を骨折して、ギプスを嵌める車椅子生活を余儀なくされた報道カメラマンの、その固定された視点のみで物語を構築し得たことにある。 まさに本作は、映像の可能…

路('82)  ユルマズ・ギュネイ  <フラットな「モラル」を制圧する、歴史文化的な陋習が堅固に張り付いて>

中東圏で唯一、近代化を達成したはずの非アラブ系のトルコの非近代的な現実、とりわけ、民主主義を最高の政治制度と信じて止まない国民国家に呼吸する人々から見れば、女性に対する人権状況の劣悪さをまざまざと見せつけられたのが、ギュネイ監督の「路」と…

ファーゴ('96) コーエン兄弟 <確信的日常性によって相対化された者たちの、その大いなる愚かしさ>

「これは実話の映画化である。実際の事件は、1987年ミネソタ州で起こった。生存者の希望で人名は変えてあるが、死者への敬意を込めて、事件のその他の部分は忠実な映画化を行っている」 これが冒頭の字幕である。 その次に映し出された風景は、雪靄(ゆ…

ガラスの動物園('88) ポール・ニューマン   <ロウソクを消せ、ローラ>

1 家族という縛り 1930年代の世界恐慌のただ中、アメリカ・セントルイスの裏寂れたアパートの一角に、その家族は住んでいた。 南部の裕福な家庭に育ち、それを唯一の誇りとする母アマンダと、既に成人して靴会社の倉庫に勤める息子のトム、足に障害を持…

七人の侍('54)  黒澤 明 <黒澤明の、黒澤明による、黒澤明のための映画>

「待て、待て!去年の秋、米をかっさらったばかりだ。今行っても、何にもあるめぇ」 「ようし!麦が実ったら、また来るべぇ!」 野伏せりたちは、今年も蹄(ひづめ)の轟と共にやって来た。 しかし麦の収穫にはまだ早かった。彼らは村を襲うことを確認して、…

マッド・シティ('97) コスタ・ガブラス  <「サムは局のものよ」― 特定他者の消費の構造>

テレビの地方局に左遷されていた、かつての敏腕記者がいる。マックスである。 彼は偶然取材に訪れた地元の自然博物館で、思わぬ特ダネのチャンスを手に入れようとしていた。博物館を解雇された一人の男が、女性館長に詰め寄っていたのである。彼は館長を軽く…