昼顔('67)  ルイス ・ブニュエル<予約された生き方を強いられてきた女の、不幸なる人生の理不尽な流れ方>

 1  「昼顔」という非日常の異界の世界で希釈させた罪責感



 冒頭のマゾヒスティックな「悪夢」のシーンによって開かれた映像は、本作のテーマ性を包括するものだった。

 「不感症さえ治れば、君は完璧だよ」とピエール。夫である。
 「言わないで。どうせ治らないわよ」とセブリーヌ。妻である。
 「勝手にしろ」
 「許して・・・」

 夫であるピエールの命令で、馬車の二人の馭者〈ぎょしゃ)に降ろされ、森に連れて行かれるセブリーヌ。

 両手を縛られ、木に吊るされたまま、上半身裸にされた状態で、二人の馭者に鞭打たれるのだ。

 「好きにしろ」

 ピエールはそう言って、馭者に妻を陵辱させるのである。

 ここで目覚めたセブリーヌは、ピエールから聞かれて、「悪夢」について正直に語った。

 「また、その夢か」とピエール。

 夫婦にとって、セブリーヌの「悪夢」は特段に珍しいものではないらしい。

 しかし、その日もまた、「ごめんなさい」と言って、愛する夫の体を受け付けないセブリーヌ。

 襲ってくる忌まわしき過去の記憶。

 セブリーヌは、少女期に粗暴な男からレイプされた被虐待の過去があるのだ。

 カトリック教会での聖体拝領を拒否した少女時代。

 自己否定感情から、自分自身が生きていることへの罪の意識が、彼女の自我を閉じ込めているようであった。

 そんなセブリーヌが、意を決して、噂で聞き知った娼館の重い扉を抉(こ)じ開けたのだ。

 2時から5時まで働くが故に、「昼顔」という源氏名で、売春の世界に踏み込んでいくセブリーヌ。

 この飛躍的な選択は、〈性=悪〉という観念が彼女の内側に横臥(おうが)しているが故に、優しい夫に〈性〉を開けない現実に対してペナルティを受けるすることで、内なる罪責感を処理しようとしたもの。

 それ故、感情関係のない男とのセックスによって、激しい欲情が渦巻く身体の疼きに反応するかのように、夫との関係の中で排除されていた〈性〉を処理するに至るが、これは〈性=悪〉という罪責感をスル―し得たからである。

 まもなく、「昼顔」という非日常の異界の世界で、罪責感のない快楽を得たセブリーヌは、自ら夫のベッドに潜り込む。

 「毎晩、一緒にこうして眠りたい」と夫。
 「もう少し待って」と妻。
 「気にするな。無理しなくていいよ」
 「違うわ。段々、一緒に寝たくなってきたの。もう怖くないわ。あなたに益々近付く気がするの。日毎に愛が深まるわ」

 しかし、セブリーヌの甘い臆測は呆気なく自壊していった。


(人生論的映画評論/昼顔('67)  ルイス ・ブニュエル<予約された生き方を強いられてきた女の、不幸なる人生の理不尽な流れ方>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/04/67.html