東京近郊の花の写真を撮るのに熱中していた昔、私には立川基地跡地である国営昭和記念公園(東京都立川市・昭島市)=「花の公園」というイメージが殆ど皆無であった。
だから、そこを訪ねたのは、私の記憶に間違いなければ2回しかない。
それも、初夏に集中していた。
昭和記念公園にハナショウブ園とアジサイ園があると聞き知って、写真を撮りに行ったのである。
そこに足を踏み入れて驚いた。
ゆっくり散策して写真を撮るという、普通の公園のイメージとは程遠く、何処に何があるか、さっぱり分らないような、ただ広いだけの公園、それも、サイクリングで移動する「運動公園」というイメージに近かったからである。
仕方なくサイクリング車を借りて、公園を走り回って見たものの、ハナショウブ園やアジサイ園園の所在が分らず、相当無駄な時間を過ごした記憶がある。
そんな苦い思いで、やっと辿り着いたアジサイ園を目の当たりにして、再び失望させられた。
その年に限ってか、アジサイの花の色付きが悪かったのだ。
存分にボリューム感があるが、満足のいく構図が描けないのだ。
何か拍子抜けした気分で、今度は日本庭園にあるハナショウブ園に行ってみたら、ここも殆ど終わりかけの状態だった。
6月初旬に咲くハナショウブが、6月中旬に見頃を迎えるアジサイの開花よりも早い事実を知っていたとは言え、失望の念を禁じ得なかった。
結局、私はその日、確か敷地の入り口付近に満開になっていた、梅雨に咲くタチアオイの花を何枚か取ることで、気持ちの帳尻を合わせようとしたが、実際のところ、そこで得た心地良さよりも、失った時間の悔しさの方が先に立って、二度と昭和記念公園を訪園することはなかったのである。
保存の写真を見ると、殆ど終わりかけた、シャクヤク園の疎らな花を撮った記憶があるのだが、あまりに印象が弱かったので、それも定かではない。
そんな私が、この昭和記念公園に本気で行きたいと思うようになったのは、残念ながら、2000年5月の受傷以降である。
テレビで見た桜吹雪の陽春の時期と、晩秋の風景があまりに素晴らしく、正直、それは私が知っている公園のイメージとは違う、日本を代表するかのような「花の園」の印象をもたらしたのである。
とりわけ、イチョウ並木の黄葉の素晴らしさは、殆ど、垂涎の的とも言うべきビュースポットのイメージに近い何かだった。
なぜ、この季節に写真を撮りに来なかったのか。
そう悔やまれてならなかったのだ。
「花の園」としての、昭和記念公園に対するイメージを大きく変容させつつあった私には、「晩秋のイチョウ並木」という幻想の風景が、その季節になると、勝手にイメージだけが独り歩きする存在になっていったのである。
その幻想の風景を具現するために、清瀬近辺の花の写真を趣味にしていた妻に話したら、「代りに行く」という反応が返って来たので、私への介護のため、3時間半という時間限定の制約の中で、西立川まで私の妻が写真を撮りに行くに至ったのは、2011年の今年のこと。
その結実がこのブログの画像であるが、妻の話だと、イチョウの黄葉は見頃ではあるけれど、黄色の絨毯を敷き詰めるほどの風景美を表現するまでには至っていなかったらしい。
今年の酷暑の影響が11月の初旬頃まで続く気候条件下にあって、落葉樹が紅黄葉する万全の条件が備わっていなかったのだろう。
最低気温8℃以下の日々が続き、一気に5℃以下の最低気温に連鎖していくという気候条件下と無縁な今年の気温状況で、息を呑む紅黄葉の風景美を期待するのは無理というもので、まさに、このブログの画像程度の表現もまた、むべなるかなとしか言いようがないのだろう。
残念だったとしか言いようがないが、それでも、「花の園」としての昭和記念公園が見せる幻想の風景の存在価値は、私の中では、「思い出にしたい風景」の一つとして、今や重要なビュースポットになっているのである。
だから、そこを訪ねたのは、私の記憶に間違いなければ2回しかない。
それも、初夏に集中していた。
昭和記念公園にハナショウブ園とアジサイ園があると聞き知って、写真を撮りに行ったのである。
そこに足を踏み入れて驚いた。
ゆっくり散策して写真を撮るという、普通の公園のイメージとは程遠く、何処に何があるか、さっぱり分らないような、ただ広いだけの公園、それも、サイクリングで移動する「運動公園」というイメージに近かったからである。
仕方なくサイクリング車を借りて、公園を走り回って見たものの、ハナショウブ園やアジサイ園園の所在が分らず、相当無駄な時間を過ごした記憶がある。
そんな苦い思いで、やっと辿り着いたアジサイ園を目の当たりにして、再び失望させられた。
その年に限ってか、アジサイの花の色付きが悪かったのだ。
存分にボリューム感があるが、満足のいく構図が描けないのだ。
何か拍子抜けした気分で、今度は日本庭園にあるハナショウブ園に行ってみたら、ここも殆ど終わりかけの状態だった。
6月初旬に咲くハナショウブが、6月中旬に見頃を迎えるアジサイの開花よりも早い事実を知っていたとは言え、失望の念を禁じ得なかった。
結局、私はその日、確か敷地の入り口付近に満開になっていた、梅雨に咲くタチアオイの花を何枚か取ることで、気持ちの帳尻を合わせようとしたが、実際のところ、そこで得た心地良さよりも、失った時間の悔しさの方が先に立って、二度と昭和記念公園を訪園することはなかったのである。
保存の写真を見ると、殆ど終わりかけた、シャクヤク園の疎らな花を撮った記憶があるのだが、あまりに印象が弱かったので、それも定かではない。
そんな私が、この昭和記念公園に本気で行きたいと思うようになったのは、残念ながら、2000年5月の受傷以降である。
テレビで見た桜吹雪の陽春の時期と、晩秋の風景があまりに素晴らしく、正直、それは私が知っている公園のイメージとは違う、日本を代表するかのような「花の園」の印象をもたらしたのである。
とりわけ、イチョウ並木の黄葉の素晴らしさは、殆ど、垂涎の的とも言うべきビュースポットのイメージに近い何かだった。
なぜ、この季節に写真を撮りに来なかったのか。
そう悔やまれてならなかったのだ。
「花の園」としての、昭和記念公園に対するイメージを大きく変容させつつあった私には、「晩秋のイチョウ並木」という幻想の風景が、その季節になると、勝手にイメージだけが独り歩きする存在になっていったのである。
その幻想の風景を具現するために、清瀬近辺の花の写真を趣味にしていた妻に話したら、「代りに行く」という反応が返って来たので、私への介護のため、3時間半という時間限定の制約の中で、西立川まで私の妻が写真を撮りに行くに至ったのは、2011年の今年のこと。
その結実がこのブログの画像であるが、妻の話だと、イチョウの黄葉は見頃ではあるけれど、黄色の絨毯を敷き詰めるほどの風景美を表現するまでには至っていなかったらしい。
今年の酷暑の影響が11月の初旬頃まで続く気候条件下にあって、落葉樹が紅黄葉する万全の条件が備わっていなかったのだろう。
最低気温8℃以下の日々が続き、一気に5℃以下の最低気温に連鎖していくという気候条件下と無縁な今年の気温状況で、息を呑む紅黄葉の風景美を期待するのは無理というもので、まさに、このブログの画像程度の表現もまた、むべなるかなとしか言いようがないのだろう。
残念だったとしか言いようがないが、それでも、「花の園」としての昭和記念公園が見せる幻想の風景の存在価値は、私の中では、「思い出にしたい風景」の一つとして、今や重要なビュースポットになっているのである。
[ 思い出の風景 晩秋の昭和記念公園・2011 ]より抜粋http://zilgf.blogspot.com/2011/11/blog-post_30.html