その土曜日、7時58分('07) シドニー・ルメット<「失敗は失敗のもと」という負のスパイラル――自壊する家族の構造性>

イメージ 11  兄



「不動産業界の会計は実にはっきりしている。ページにある数字を全部足せばいい。毎日、それできちんと帳尻が合う。総額はいつもパーツの合計だ。明朗会計。絶対的な数字が出る。でも俺の人生は、そうはならない。パーツが積み重ならず、バラバラだ。俺はパーツの合計にならない。一つ一つの結果が積み重ならないんだ。まとまらない」

この言葉が、本作の中枢を成している。

言葉の主は、アンディ。

ニューヨークに住む不動産会計士で、一見、エグゼクティブの裕福さを満喫しているように見えるが、その実、相当の経済的リスクを抱えている。

彼が勤務する会計事務所で、近々、国税庁の調査が入ることを会議で知った彼は、自分の不正の発覚を恐れて青ざめた。既に辞職した者の給与が払い続けられている不正に、彼が関与しているためだ。

強盗事件4日前のことだった。

アンディは調査の一件を知ったその日、マンハッタンの高層ビルにある一室に潜り込んだ。

そこで彼は、いつものように麻薬注射剤の注入を受け、心を落ち着かせようとした。冒頭の言葉は、そのときの彼の実感的な呟きである。

「不動産業界の会計は実にはっきりしている」から、不正会計の発覚も容易なのだ。

しかし、「絶対的な数字」が出る彼の仕事の合理性とは裏腹に、彼の人生は経験と努力の成果であるはずの累積的な重量感を持ち得ていないのである。彼の人生の中の様々な「パーツが積み重ならず、バラバラ」であるという強迫観念が、その自我に張り付いていて、形成的な人生の「軌跡」が、そこに存在しないのだ。

「一つ一つの結果が積み重ならない」人生の実態を感受したとき、彼の中で不気味に騒ぐネガティブな観念が出来し、それが自分の人生の総体を根柢から変容させていくインモラルな想念に束ねられ、まもなくそれが一気に肥大し、暴れ回る時間を分娩してしまうのである。

映像のファーストシーンが、ここでは重要な意味を持つだろう。

恰も、主人公の自我が捕捉する記憶のパーツをバラバラにしたストーリーラインの無秩序性に合わせるかのように、映像の時系列をもバラバラにした戦慄すべき物語で、そこだけはタイムスタンプの表示がないが故に、特段に印象づけるファーストシーンにおける、中年夫婦のセックス描写の鮮烈度は、暗鬱なシークエンスの連射を捨てない本作の中で、異界の境地に接続するかと見紛うべき異様な眩さを放っていたのだ。

セックスの限りを尽くした夫婦に当たる光線は、まるで中年夫婦の「黄金郷」を誇示するかの如く、その輝きを限りなく増幅させていて、そこで交わされる男の言葉には、「パーツが積み重ならず、バラバラ」であるという強迫観念からの解放感を、高らかに謳い上げる自信を随伴するものだった。

「急にどうしたんだろう。倦怠期の夫婦が。マリワナのせいか?」と夫。アンディである。
「ニューヨークから持って来たいつものと同じよ」と妻。若く見える美しい女、ジーナである。
「じゃ、何だろう?あの古い映画のタイトルみたいだ。“リオのせいにしろ”。間違いない。リオに来たせいだ。最高だな。こうして生きたい」
「このまま、リオで暮らすお金がある?」
「考えるよ」
「夢物語だと思うか?」
「そうね・・・」
「これから上向く」
「そうね。ただ、ここにいると惨めにならない」

“早く天国に行きますように。死んだのが、悪魔に知られる前に”

ここでアイルランドの諺が挿入され、徹頭徹尾、シビアで救いのないな映像の幕が開かれた。
諺の意味するものは、明らかにアンディの行く末を暗示しているが、その結末まで予想できる所がサスペンスムービーの瑕疵とも言えるが、しかし本作は、必ずしもサスペンスの王道で勝負する作品として構築されていないのだ。

このファーストシーンにおけるアンディの至福感 ―― 本作は、この「黄金郷」のイメージが削ぎ落とされ、そこに生じた圧倒的な落差感を顕在化させる状況下に翻弄され、予想だにしない事態の加速的な悪化によって、全てを失っていく男の焦燥と絶望をじわじわと、しかし限りなく、人生の底を突き抜けていく最悪のストーリーラインの内に刻まれていく。

元はと言えば、万全の準備を怠った男の愚行から発した机上のプランニングではあったが、この戦慄すべき映像の底流を一貫して支配するのは、「パーツが積み重ならず、バラバラ」であるという男の強迫的な心理的文脈であり、従って、映像の流れ方の基幹は、継続的な内的秩序を構築し得ない男の現在から、その不安定な自我を形成した男の過去に遡及していくことで、そこに運命論的でネガティブな風景が露わにされていくのである。

これは、「パーツが積み重ならず、バラバラ」であると感受する男が、好むと好まざるとに関わらず、その視界を遮(さえぎ)るくすんだ風景の爛(ただ)れを封印し、「軌跡」を構築できない焦燥の根源を成す過去に向かって、本人の意思とは無縁に恐怖突入する物語であると同時に、「リオでの生活の再構築」=「黄金郷」の獲得というイメージが決定的に自壊していく物語であるのだ。

この男に始まって、この男によって終焉する映画の逢着点はあまりに凄惨だが、一切は、「パーツが積み重ならず、バラバラ」な自我の無秩序を復元させようとして叶わなかった破滅の物語でもあった。

いつものように麻薬注射剤の注入を終えた夜、妻と交わした会話には、ファーストシーンにおけるそれとは決定的な落差感を露呈するものになっていて、まさに追い詰められた者の焦燥感が、破滅的な愚行に誘(いざな)われていく前夜にあるとことを示唆していた。

ファーストシーンとは一転して、これまでもそうであったように、アンディとジーナのセックスは不調に終わり、暗い部屋での能天気だが、しかし男が誘(いざな)われていく危うい世界への序章でもあった。
些か長いが、男の心理に侵入するために、夫婦の全会話の内実を紹介する。

「失礼、ごめん…俺のせいか?」
「原因はともかく、今日も失敗したってことよ」
「これから変わる。君は宝だ」
「料理も掃除も下手。セックスも。妻の価値ないわ」
「“リオのせい”だ」
「何のこと?」
「まずいセックス」
「そうね。リオのせいにするわ」
「多分、戻れるよ」
「どこに?」
「リオ」
「住むの?」
「勿論」
「そんなこと、できるわけないわ」
リオデジャネイロの不動産業は上り調子だ。ブラジル人にも、ニューヨークの物件を紹介できる」
「言葉も話せない」
「勉強するさ。それくらい何だ。出会った頃、俺の成功の見込みはウエストチェスターの店を継ぐことくらいだった。今の暮らしを見ろよ。不動産の仕事に就いたときは雑用係だったが、今や収入は6桁だ。頭が切れる。金儲けが上手い」
「そうね。ブラジルだし」
「どういう意味?」
「悪事がバレても平気。犯罪人引き渡し協定がない」
「何で、そんなこと知ってる?」
「映画で見たわ」
「その映画は、俺も見たな」
「それじゃ、何?本当にリオに住める?」
「言わぬが花だ。だけど戻りたいよ。あそこに住めれば天国だ。だろ?いいね?」
「リオで何語を話すの?」
ポルトガル語
スペイン語なら少し話せる」
「笑ってごめん。でも同じ言葉じゃない」

著しく生産性を欠落させた、強盗事件4日前の夫婦の会話であった。

男の過去に遡及する蛇行曲線的な暴れ方については、3章で明らかにしていく。


 
(人生論的映画評論/その土曜日、7時58分('07) シドニー・ルメット<「失敗は失敗のもと」という負のスパイラル――自壊する家族の構造性> )より抜粋http://zilge.blogspot.jp/2009/08/07.html