バベットの晩餐会(‘87) ガブリエル・アクセル <「12人の使徒」に贈る、「最初にして、最後の晩餐」という極上の「お伽噺」>

イメージ 11  「12人の使徒」に贈る、「最初にして、最後の晩餐」という極上の「お伽噺」



この映画は、粗食を旨とせざるを得ない共同体の内実が、いつしか劣化させていた「信仰」と「共食」の文化の日常性を、唐突に侵入してきた非日常の「美食」の文化が1回的に、しかし、それが内包する熱量の圧倒的な凄みの内に包括し、それらが融合することで、本来、そこに息づいていた心地良き共同体のエキスの結晶に変換させていく「お伽噺」である。

「12人の使徒」に贈る、「最初にして、最後の晩餐」のイメージをも被す、大人の「お伽噺」である。

それも極上の「お伽噺」である。

その極上の「お伽噺」の中で、伝統的な文化の劣化を防ぎ、本来、そこに息づいていた風景の復元を切望するマーチーネとフィリパ。

貧しい小村の牧師館で、神に捧げる人生を送る老姉妹である。

しかし、この老姉妹は、「善良な行い」を遂行する日常性で繋がっているから、「精霊」が棲み込む必要性がないほどだった。

それでもなお、風景の劣化を防ぎ切れない、自分たちの無力感を晒すばかりだった。

そんな折に、「革命」が起こった。

非日常の「美食」の文化を持ち込むことで、風景を決定的に変容させる「革命」である。

この「革命」の主体は、マルクスエンゲルスが「プロレタリア独裁」と呼び、彼らの共産主義運動に大きな影響を及ぼした、「パリ・コミューン」という名の、その暴力的な風景の被弾者であった一人の女性だった。

極上の「お伽噺」を持ち込んだ、その女性の名はバベット。

バベットの「革命」は、風景の「革命」だった。

プロテスタント」と「カトリック」に共通する、キリスト教の「三位一体」で言われる「精霊」こそ、バベットのイメージに最も相応しい。
 
いや、バベットこそ、「父」なる神から遣わされた「精霊」だったのだ。

だから彼女は、その神から得た全ての財産をつぎ込んで成就させた、1回限りの「晩餐」という名の「無血革命」の後、神に捧げる一生を繋ぐ老姉妹との「共生」を望んだのである。

「最初にして、最後の晩餐」の、そこだけが特化された時間を終焉させ、「芸術家の心の叫び」を表現し切った今、不運な老姉妹の小さな宇宙の温和なる世界の只中に、質素な生活にも馴致し得る「精霊」が棲み込むに至ったという訳である。

以上が、私の本作に対する基本的把握のコンテキストである。

宗教色の濃度の高い映画だから、こんな奇矯な解釈も許されると思って言及した次第である。

極めて独断的なこの私の問題意識に沿って、この畢生の名画を読み解いていきたい。



 2  神の天罰を恐れる「魂を危険に晒す魔女の饗宴」への共同戦線



 首都コペンハーゲンシェラン島)がそうであるように、周辺の多くの島々を従えるように北に伸び、唯一、ヨーロッパ大陸と陸続きになっているデンマーク王国の、ユトランド半島の小さな漁村の一角に、ルター派の厳格なプロテスタント牧師が住んでいた。

 マーチーネとフィリパ。

 カトリック司祭と違って、女性牧師を正式に認めているプロテスタントにおいて、件の牧師の後継者と運命づけられた人生を歩む姉妹の中で、マーチーネが恋をする。
 
マーチーネの恋の相手は、ギャンブル依存症とも思える振舞いで親に叱責され、叔母の家があるユトランド半島に左遷されて来た、スウェーデンの若い騎兵士官・ローレンス。

マーチーネに一目惚れした、そんなローレンスが失恋するに至ったのも、姉妹の父の存在だった。


  一方、失意の念深く、村を去っていったローレンスに代わるようにして、ストックホルム公演の際に、ユトランド半島に観光気分でやって来た、フランス人バリトン歌手のアシール・パパンが妹フィリパに恋をし、毎日のように、歌のレッスンを始めていくが、姉の悲恋を目の当たりにしたフィリパは、男女感情を持ち得ない相手から、自ら身を引くに至る。

 
 時は、ナポレオン戦争に巻き込まれたことで、400年間余続いた「カルマル同盟」(デンマークノルウェースウェーデン間で締結された同盟)が崩壊し、更に、プロイセン王国とのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に敗れて、北欧の没落を体験したデンマークが小国へと転落し、経済が危機的状況に瀕してまもない頃の19世紀後半。
 
この間、姉妹の父の牧師が逝去し、その後、牧師も亡くなり、牧師の二人の娘が、小村での信仰世界繋いでいた。

 そんな折、パパンからの手紙を持参して、憔悴し切った一人女性が姉妹を訪ねて来た。

暴風雨が吹き荒れる夜のことだった。

手紙によると、彼女の夫と子供は殺され、彼女も処刑の危機に直面し、ユトランドに住む姉妹のことを思い出したので、料理の名手である彼女を何とか助けて欲しいというもの。

命からがら、フランスから遠路遥々、ユトランドにまで逃げ伸びて来た彼女を追い返すこともできず、姉妹は彼女を保護するが、家政婦として雇うだけの経済的余裕がない旨、本人に伝えると、無給でいいから置いて欲しいという彼女の懇願を受容する姉妹。

 爾来、彼女は姉妹の召使いとして真面目に働き、馴れない土地の言葉を覚え、質素な生活のスタイルに同化していく。

 バベットという名の彼女の不幸のルーツは、1871年3月に起こったパリ・コミューン」。

 僅か72日間でしかないが、プロイセン軍の支援を受けた政府軍に対して、労働者階級を主とする民衆が蜂起し、「血の1週間」と呼ばれる戦闘で3万人の犠牲者を出した、世界初の社会主義政権と評価される大動乱である。

 そんなトラウマを抱えたバベットがユトランドに来てから、14年が経過した。

 今や、バベットとフランスとの繋がりは、パリの友人に買ってもらう宝くじのみ。
 
 だから、特徴的なユトランド訛りを持つと言われるデンマーク語を覚え、何もかも異文化の風景に満ちた、冷涼だが、ユトランドの起伏に乏しい緩やかな丘陵に、彼女なりの秀でた才能で最適適応していく人生を選択仕切るのだ。

 一方、老姉妹が拠って生きる、小さな宇宙の温和なる世界で、その異文化の風景にささやかだが、決して看過できない変化が起こっていた。

 「信仰」と「共食」の文化の日常性を繋いできた村人たちが老化するにつれ、末梢的な出来事で諍いを常態化させていたのである。

深く心を痛めた老姉妹が、皆の心を一つにしようと思いついたのが、「全身牧師」の亡父の生誕百周年を機に、質素な晩餐を主催することだった。

質実な暮らしにすっかり順応したバベットの、フランスとの唯一の繋がりであった宝くじが幸運にも当ったのは、そんな折だった。

 それも、1万フランという大金の当りくじ。

 独りで考えを巡らしながら、バベットが出した結論は、生誕百周年の晩餐を自ら仕切り、フランス料理を作らせて欲しいというものだった。
 
思いも寄らないバベットの提案に逡巡しつつも、彼女の初めての懇望を受容する老姉妹。

 しかし、バベットのこの提案が具体化されていく風景を目の当たりにして、狼狽する老姉妹。

 バベットが本国・フランスから次々に取り寄せる料理の材料の贅沢さに、老姉妹ばかりか村人たちも動揺を隠せないのだ。

 そんな村人たちに、必死に弁明する姉のマーチーネ。

 「悪気はありませんでした。バベットの望みを叶えたかったのです。こんなことになるとは、思いも寄りませんでした。魂を危険に晒す羽目になりました。災いを招きそうです。何を食べさせられるか分らないのです。許して下さい。父に何と言ったらいいか。父が見ているようです。娘たちが家を差し出そうとしている。魔女の饗宴に」
 
ここまで言い切るマーチーネにとって、「信仰」と「共食」の文化の日常性を復元させようとする催しは、質素な晩餐の柔和なイメージを壊す、「魂を危険に晒す魔女の饗宴」以外の何ものでもなかったのである。

 「わしらは何も言うまい。食物についてはな」
 「お二人のために誓おう。何があろうとも、食べ物や飲み物の話は決してしないと。どんな言葉も口にすまい」
 「舌。この不思議な小さな筋肉は、人の誉と栄光と偉業を称えるもの。でも一方では、手に負えない毒の塊だわ。牧師様のお祝いの日には、舌をお祈りに使いましょう」
 「全員、味覚がないみたいに振舞おう」

これらの言葉は、そこに集合した村人たちの率直な反応だった。
 
質素な日常性を繋いで生きる村人たちにとって、豪勢なフランス料理を、「手に負えない毒の塊」としか考えられないほど、破壊的な異文化への恐怖のイメージそのものなのだ。

この恐怖のイメージから身を守るために、今、村人たちは手を繋ぎながら、聖歌を歌い、士気を高めていく。

村人たち一同は、「魂を危険に晒す魔女の饗宴」への共同戦線を張っていくのである。

それは、紛れもなく、神の天罰への恐怖に対する、極めて分りやすい防衛戦略の発動だった。

 
 
(人生論的映画評論・続/バベットの晩餐会(‘87) ガブリエル・アクセル   <「12人の使徒」に贈る、「最初にして、最後の晩餐」という極上の「お伽噺」>)より抜粋http://zilgz.blogspot.jp/2014/03/87.html