炎のランナー('81) ヒュー・ハドソン <ユニオンジャックの旗の下に包括しようとする意思が溶融したとき>

  本作で展開される様々なエピソードを通して、極めて重量感のある会話があった。

  それは、UKの求心力のパワースポットに包括されることの矛盾と、それに対するハロルドの反応である。

  「24歳まで、足るということを知らなかった…今、僕はたまらずに怖い。サムと僕は能力の限界に挑戦してきた。来る日も、来る日も。君たちに笑われても、迷わず練習に明け暮れた。憑かれたように。何のためだ?1時間後には決勝だ。スタートラインに並び、10秒の間に自分の存在を確認するんだ。負ける怖さは知っていた。だが、今は勝つのが怖い」

  これは、ハロルドがオリンピック本番の200mで、米国人ランナーに完敗した際に、心優しいオーブリーに洩らした言葉だ。

  その意味は、負ければ反ユダヤとの全人格的闘いは継続できるが、もし当面の重大目標であるオリンピックでの優勝を果たしてしまえば、その闘いが無化されることへの不安の吐露であるだろう。

  ハロルドが「勝つのが怖い」のは、自分の功績を称えてくれるだろうUKの包括力を否定するほどには、彼の心が鋭角的でないということであり、自己を奮い立たせる挑発もまた、容易にそれを包む被膜を剥がされてしまう類の、攻撃性の脆弱さを認知しているからに他ならないからである。

  そして本当に、ハロルドは金メダルを獲得するに至ったのだ。

  「勝つのが怖い」と言わさしめるほどに、「金メダルを取った後の虚しさ」という、彼の想像の範疇を超える事態に踏み入れたとき、彼を最後までサポートしてきたコーチは、彼を包み込むような言葉を吐露したのである。

  「君は自分を冷酷な人間だと思っている。だが君は、羊のように優しい。愛情豊かで、人の気持ちが分る。でなかったら、君と付き合わない。今日、誰に勝ったか分るか?君と僕の二人だ。30年間、このときを待っていた。世間を相手に闘ってきた。世間が何と言おうと気にすることはない。糞くらえだ。俺たちは今日、世界を征服した。闘いはもう終わった。君は彼女の元に帰って、新しい生活を始めろ」

  ハロルドの中で重しのように張り付いていた厄介な感情が、溶け出していく時間がそこに生まれたのである。

  彼はコーチの言うように恋人の元に帰り、ごく普通の青年の振舞いをする者の如く、普通の日常性に帰っていくイメージラインを映像に残して、少なくとも、反ユダヤとの闘争の前線からほんの少し突き抜けていったのだ。

 
(人生論的映画評論/「 炎のランナー('81) ヒュー・ハドソン <ユニオンジャックの旗の下に包括しようとする意思が溶融したとき>」より抜粋)http://zilge.blogspot.com/2010/01/81.html