「自前の表現世界」を繋ぐ覚悟

 「わしは教わった通りに絵を描いてきた。伝統を重んじてきたが、度が過ぎたかも知れん。オリジナリティは他の画家に任せた。セザンヌの大展覧会が1896年頃にあった。面白かったが、わしの進む道とは違うと思った・・・・・勇気がなかったんだ。何年か前に絵の手法を変えようと真剣に考えた。でもお前のママは、わしがこの年で迷っているのを見て辛かったようだ・・・・・他の画家のオリジナリティを真似してみようとも思った。モネやルノワール・・・でも、ますます自分らしさを失うだけだろう?どうやっても、わしの絵だ。自分が感じるまま正直に描いた。もし失敗しても、それが限界だと悟るだけだ・・・」
 
 これは、「田舎の日曜日」(ベルトラン・タヴェルニエ監督/写真)の中の、主人公の老画家の言葉である。森の中のカフェで、娘に語った淡々とした言葉の内に、老画家の過去の懊悩が透けて見えていた。

 その直後、恋に悩む愛娘が父の屋敷を、まるで逃亡するように去って行き、置き去りにされた老画家の孤独が、映像の哀切感を深めていった。

 まもなく、長男夫婦も屋敷を後にして、いよいよ老画家の孤独が極まっていくが、この風景はいつもの別れのセレモニーなのである。

 フォーレの優しい旋律が、一人のお手伝いさんだけが待つ自邸に戻る老画家の、その緩慢な足取りを追い駆けていく。

以下、私の映画評論からの抜粋である。

 「彼はそのままアトリエに入っていく。

 老人の足音だけが響く静かなアトリエで、何かを思いつめたように瞑想し、やがてスーツ姿のまま立ち上がった。

 そして自分の作品を凝視した後、その描きかけの絵をイーゼルから外し、そこに真っ新(まっさら)なキャンバスを載せた。

 老画家はその白地のキャンバスを、そこからほんの少し離れた距離に小さな身を沈めて、いつまでも凝視している。それは、新しい何かを生み出していくための始まりを告げる、最も緊張した時間でもあるようだった」

 「自分の才能の限界を悟り、その中で自分が納得する規範を作って、そこで悔いのない人生を全うしようという覚悟が、老境に最後の光を与えている。

 この光は眩しくないが、自ら作り出した秩序の内に、鈍いが、しかし清澄なまでの安寧をギリギリに保持し得る分だけは保証している。

 それは、決して絶対的なものではない。絶対の光など、どこにもないのだ。そこに陰影がクロスしてくるから、光の価値が弥増(いやま)すのである。陰影によって相対化された眩しさだからこそ、人はそれを捨てないのだ」 

 ―― 以上、「田舎の日曜日」という滋養深き名画について、その中枢に関わる私自身の印象を書いてみた。


 私はこの映画を、自分が最も懊悩した時期を少しばかり脱却しつつあった頃に鑑賞した。

 懊悩の内実は、自らが拠って立つ世界観、人生観、価値観の決定力を訝(いぶか)り出したことと多いに脈絡を持つ何かだった。

 要するに、「補習塾」という名の教育実践の現場の只中で経験した様々な営為が、私自身の偏頗(へんぱ)なイデオロギーを削り取っていく恐怖と、その感情をより堅固な物語によって止揚させる何物をも手に入れられない苛立ちの中で、まさに魂が空洞化し、しばしば、虚空に浮遊する空蝉(うつせみ)の如き精神世界を晒していたのである。
 
 この厄介な内的状況は、私自身の仕事の現場の厳しい日常性を継続させ続けることによって、何とか中和させられたが、それでもなお絡み付く本質的なテーマを前に、私は内深く呻吟し、嘔吐し、咆哮(ほうこう)した。

 この間、私の日常性の中枢は、「整合性」の破綻と修復に関わる、固有の「状況」を作り出してしまっていたようだ。

 その「状況」が、まさに私が担う仕事のリアリズムの中で、明らかに、それ以前に自分を支配していたであろう観念体系を、じわじわと削り取っていく触感を認知したとき、私は別の何ものかに変容していた。

 そこで削り取られたものは、私自身が自前の哲学によって生きていくのに全く不要な情報群や関係群であり、いつの日か、自壊を招来する現実が殆ど予約された、言わば、現在の私にとってジャンクなる何かでしかないものだった。

 「田舎の日曜日」を観たのは、そんな時だった。

(心の風景/「自前の表現世界」を繋ぐ覚悟 より)http://www.freezilx2g.com/2008/12/gu.html(2012年7月5日よりアドレスが変わりました)