ガンジー('82) リチャード・アッテンボロー <「世界中のならずものに対しても寛容過ぎる」男が、拠って立つ観念・情感体系>

 「非暴力(アヒンサー)・不服従」という男の観念体系が人々を動かし、動かした人々との協力によって歴史を変えるパワーを持ち得たのは、ある意味で、様々な偶然性の集積であると言えるかも知れない。

 独立運動を戦う相手国が、戦勝国であっても、国力の衰退が顕著であり、まして、本国から遠く離れているばかりか、3億5千万の人口を抱えるインドという人口大国を、高々、10万の英国人が統治することの難しさに直面していた英国であったこと。

 これが大きかった。

 そして、露骨な帝国主義的政策を受容しないような国際的世論が形成されていた、「時代状況」という妖怪の凄み。

 これも大きかった。

 加えて、ガンジーの戦略が、この英国の統治の難しさの弱点を衝き、且つ、暴力的連鎖の悪循環による「力の論理」の行使によって、大英帝国があっさり敗北を来たさないような戦術を駆使したこと。

 半ばジョーク含みで言えば、その戦略・戦術の駆使で、7つの海を支配した「栄光の大英帝国」の誇りをギリギリに守ったのではないか。

 穿(うが)って見れば、この要素も小さくなかったに違いない。

 「非暴力(アヒンサー)・不服従」の具現化である、土着商品の愛用奨励(スワデーシー)による英国製の綿製品の不着用の呼びかけや、英貨排斥(イギリス商品のボイコット)、そして、アフマダーバードからダンディ海岸までの380kmに及ぶ「塩の大行進」、等々に代表されるガンジーの戦略・戦術(第一次、及び、第二次「非暴力・不服従運動」)は、恐らくそれ以外にない有効な方略として、まさに絶妙のタイミングで遂行されていったのである。

 このガンジーの戦略・戦術は、主に米国のジャーナリストを介して国際的世論を動かしたのだ。

 これが最も大きかった。

 この「驚かしの戦術」のインパクトを内包した「初頭効果」の威力は、「力の論理」の行使の現実しか知らない人々に、歴史の変容の実感をもたらしたのである。

 この一点において、ガンジーという人間が、類稀な戦略家であったことを検証すると言っていい。

 歴史の偶然性の集積と、ガンジーの天才的戦略の最適結合が、歴史に大きな風穴を開けたのである。

 然るに、声高に雪崩れ込まない抑制的映像は、男の揺るぎない信念・観念・情感体系の限界性をも描き出していた。

 インドとパキスタンの分割独立と抗争に発展する、ヒンズー教イスラム教の対立を克服できなかったことである。

 「私は回教徒で、ヒンズー教徒であり、キリスト教徒で、ユダヤ教徒だ」

 それこそが、多宗教・多民族国家の内部矛盾を多く抱えた、インドという人口大国の最大のアポリアだったのだ。

 「何もできない・・・」

 思わず吐露する男の孤独の悲哀を、映像は容赦なく提示して見せた。

 男にはもう、「死の断食」以外の「自己顕示の方略」を持たないのだ。

 それでも解決できない内部矛盾の甚大さ。

 「あなたは、どんな戦士でした?」

 「ライフ」の女性記者が、「死の断食」に踏み込む男に発問した。

 「強くない。世界中のならずものに対しても寛容過ぎる」

 男は、そう答えたのだ。

 「失敗したのよ」

 両脇に抱えられ、歩いて行く男を見て、養女のミラベンは一言放った。

 「なぜ?彼は大成功したじゃない」と女性記者。
 「愛は盲目と言うわ。地獄から抜け出る道を教えようとしたけど、ダメだった。地獄は続くわ」

 それが、ミラベンの辛辣な反応だった。

 以上の文脈の延長上に、「非暴力(アヒンサー)・不服従」」という、男の観念体系の具現化の困難さについても、映像は提示して見せるのだ。

 「ヒトラーにもこのやり方で?」と件の女性記者。
 「非暴力運動は苦難の連続だ。この戦争にも苦難はついて回る。ヒトラーの不正を受け入れてはいけない。その不正を明かすのだ。そのためには死も覚悟する・・・」

 これが、マハトマ(偉大な魂)・ガンジーと畏敬された男の答えだった。

 「私は失望するといつも思う。歴史を見れば、真実と愛は常に勝利を収めた。暴君や残忍な為政者もいた。一時は、彼らは無敵にさえ見える。だが、結局は滅びている。それを思う。いつも。それが神の道かと迷った時、世界が進む道かと疑った時、それを考え、正しい神の道を進むのだ」

 ラストシーンにおいても、この極めて個性的で、男の独自の観念・情感体系のうちに括るしかなかったのである。


(人生論的映画評論/ガンジー('82) リチャード・アッテンボロー <「世界中のならずものに対しても寛容過ぎる」男が、拠って立つ観念・情感体系>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2011/01/82.html