ジョニーは戦場へ行った('71) ドルトン・トランボ  <絶対孤独の闇に呑まれて>

  序  私の魂のバイブルに近い何か



 人間だけが想像力を持つ。

 それが人間を他の動物と分ける。想像力の起点としての肥大化された脳は、人間に固有な財産である。合理的に思考し、目的的に行動し、広く外部環境に適応する総合的能力としての「知能」(アメリカの心理学者で、WISCなどの知能検査の開発で著名なウェクスラーの把握)を司り、感情を抑制する人間の自我は、その肥大化された脳の中枢であり、その機能こそが、人間が人間であるための条件を決定づけるのである。

 人間とは自我なのだ。

 しかし、その自我を形成的に保有してきたばかりに、人間は様々な事態や刺激に対して、その反応に程度の差こそあれ、しばしば、必要以上に苦悩するという内的宇宙を作り出してしまった。

 苦悩こそが、人間という稀有な生物を説明するときの、最も相応しい概念かも知れない。外部からの不快な情報に対して苦悩という感情でそれを受けとめ、自我がその情報の処理にクタクタになるまで疲弊するその継続力、それこそ人間的なるものの内部宇宙の実相と言っていい。

 私たちが「精神」と呼ぶその営みが、「時間」という観念を作り出した。

 「時間」の観念をインナートリップする極めつけの能力こそが、人間の固有なる想像力である。しかし、それは時として闇を抜ける突破力であるが、自らを闇の内に封印する危うい攻撃性を内包するものでもあるのだ。

 私の想像力も長く闇の中で蠢(うごめ)き、彷徨し、虚空を暴れ回っていた。
 
 2000年5月、自らが招いたガードレールクラッシュによって、身体の自由を奪われた私の想像力はいつも澱んでいて、恐怖に満ちた未知なる時間の扉を決して開こうとしなかった。

 明日を考えることは、絶望の濃度を一日分深めるだけであり、過去を思うことは悔恨の念を増幅させるだけなのだ。だから私の想像力は、その日に受ける検査のことであり、今、このときの痛みを緩和する薬を飲むことであり、固定された体が許す視界が収まる無機質な風景を嗅ぎとることだった。

 私の想像力は、今日という人生の呆れるほど長い時間を、いかにやり過ごすかということに集中していたのだ。

 私の自我は閉鎖系に見事なほどに完結していて、そこで生まれた想念の悉(ことごと)くが、圧倒的なペシミズムに搦(から)め捕られていた。

 時間の中を平気で移動させないように想像力を凝縮し、それが余計な観念を引き摺り込むことを、私は最も恐れていたのである。大した容積を持たない想像力の勝手な振舞いを、私はかつてこれほど嫌悪したことはなかった。想像力を持つことのこの疎(うと)ましさ。

 私は人間であることを呪い、存在することを呪い、「時間」を感じさせる情報が入ることを呪ったのである。もはや、安楽死だけが私の願いの全てだったのだ。
 
 乾いた病室の、機能的なだけの電動ベッドに括られて、もし地震が襲ってきたら、閃光を発するや否や垂直落下しかねない人工燈を仰ぎ見て、私は30年も前に見た一本の映画のことを、しばしば思い起こしていた。
凝縮させた想像力の中から、遥か昔に観た映画の断片的記憶が掘り起こされたのは、私にとって、それだけは自然だった。
 
 人は辛いとき、それよりももっと辛い人生を歩む者のことを考えることで、自分の辛さが幾分相対化される。

 その映画は、私の辛さをほんの少し相対化してくれる若者について語られていた。

 それが当時の私の、その映画についての朧(おぼろ)げな記憶だった。そしてその若者もまた、私と同様に、いや遥かにそれ以上に身体の自由が奪われていた。

 彼が奪われていたのは、それだけではない。

 思いや感情を、他者と濃密に交歓する自由も奪われていたのである。

 その人格が医学的理由のみで丸ごと管理され、そこには、一切の表現の自由が存在しなかった。その若者はあくまでも創作上の人物でしかなかったが、私には、自分が入院している病院のどんな苛酷な患者よりも、映像に映し出された若者の苛酷さの方が感情移入しやすかったのだ。

 なぜなら、若者が置かれた「絶対孤独」の心境が、本質的なところで、私の内的状況に通底するものがあったからである。

 若者の名は、ジョー。
 
 映画タイトルでは、ジョニー。その映画の名は、「ジョニーは戦場へ行った」。

 この時期に青春を送った者には、その名を知る者がいないと言っていい、あまりに有名な作品である。

 物語の架空の主人公であるジョーという名の青年に支えられて、私は他者には絶対理解し得ないと信じる自分の病気(脊髄損傷)を引き受けようとした。しかし、彼もまたそうであったように、私はとうていその病気を引き受け切れなかった。その病気を引き受けるには、私の精神はあまりに脆弱すぎたのである。

 中枢性疼痛と、麻痺による痺れの名状し難い苦痛は、私の自我を残酷なまでに削り取っていく。

 明日もまた、この絶対的苦痛が継続することを想像してしまう不快感は、それを振り切れば振り切るほど、意識が囚われるという、人間としての業を否応なく反芻させてしまうのである。

 病気が幾分回復する束の間の急進期に、若干の身体の自由を手に入れた私は、それでも決して振り切れない疼痛に悩まされながらも、感情の出し入れを自ら拒んだ病院を退院し、文明と地続きのマンションの地下生活に潜り込んでいったのだ。

 そこで私は、映画三昧の日々を送ったのである。

 そして、どうしても観たかったその映画に、待ちに待った挙句ようやく辿り着いた。それを録画テープにとって、繰り返し鑑賞したのである。

 疼痛の中、今もそれを観て、何かを吐き出すような思いでこれを書いている。

 それは、呼吸を繋ぐ限り途絶えることのない私のリハビリ人生の、このような形での実践であるからだ。「ジョニーは戦場へ行った」という映画は、誇張ではなくして、まさに私のための映画であり、私の魂のバイブルに近い何かなのである。


(人生論的映画評論/ジョニーは戦場へ行った('71) ドルトン・トランボ  <絶対孤独の闇に呑まれて>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/71.html