大阪物語('99)  市川準<「散文系のリアリズム」の鈍走劇に弾かれて>

 1  「不思議空間」としての「大阪」



 「大阪って可笑しいとこで、一遍…一旦、ここ大阪に生まれたら、大阪を離れんの、いやになるんねん。どうしても大阪に居ついてしまう。大阪が好きになんねんな。何でやろうな…ほんまにええとこや、大阪て」

 この元女芸人の言葉が、本作を根柢から支えている。

 東京出身の本作の作り手たちが、「大阪」という個性的な都市に仮託したであろう思いの背景には、「『パーソナルスペース』を特段に大切にする大都市・東京」が内包する「限定的な距離感」に対する、相応のアンチテーゼが横臥(おうが)しているのかも知れない。

 映像に記録された具体例で言えば、主人公の家族が川の字になって寄り沿って寝るシーンは、単にその経済環境の結果とも言えるが、それ以外にも、父を捜す旅に打って出た女子中学生に対して、電車の中で、「もう夏休み?ええなあ、自分らあ」という言葉を平気でかけるサラリーマンや、盗んだ自転車を、その女子中学生に500円で売りつけるホームレス(?)がいたり、更に、初対面の女子中学生を簡単に泊める、訳が分からない「変なおっさん」が登場したり、路上を酔っぱらいが彷徨したりする様態など、『パーソナルスペース』を無化するかのような、極めて「近接した距離感」を普通に表現する特異な街 ―― それが「大阪」のイメージとして、印象深く提出されているのである。

 丸ごと共同体と化したかのような都市が、恰も固有で有機的な律動感によって息づく「不思議空間」を作り出しているのだ。

 そして、その「不思議空間」に住むに相応しい不思議な芸人夫婦がいて、その夫婦の子供である女子中学生が、浮気の果てに子供まで儲けて離婚した挙句、浮気相手に捨てられたショックから家出した父を、夏休みを利用して捜し出すという、何とも「果敢なる旅」に打って出たのである。

 ところが、少女の「果敢なる旅」の舞台となった場所は、少女の保有する能力の許容範囲の故に、どこまでも「大阪」以外ではなかった。それを興味深く描き出す作り手たちの、その人工的なトリックの導入の範疇を超えて、そこで映し出された世界こそ、まさに、「不思議空間」としての「大阪」だったという話なのである。



 2  思春期を快走する少女の旅



 ここから少女の旅は、思春期の快走とも言える時間を表現していく。

 少女の旅を快走化させたのは、不登校の男子同級生の存在である。少年が誘(いざな)った未知の世界への侵入が、少女の心を一気に開放系にし、そこでクロスする大阪の街は「不思議空間」としての個性を存分に発揮していくのである。

 しかし、少女の本来の旅の目的である父親探しの作業は遅々として進まず、漸次、少女の心を閉鎖系にシフトさせていく。

 そんな中で出会った元女芸人の言葉が、冒頭の淡々とした、「不思議空間」としての大阪への、思い入れの深い表現だった。

 大阪を捜し回ることの不毛さを感受しつつあった少女にとって、元女芸人の言葉は、何よりも力強い応援歌となった。少女の旅は繋がったのだ。

 少女の快走劇に挿入された、小さくも、微笑ましい父親像とのクロスの描写が印象的だった。

 「暑中お見舞い申し上げます。夏が来て、短かいスカート、風よ吹け」

 家出中、知り合いに差し出した、この暑中見舞いの葉書きに集約される父親像の滑稽感は、少女の旅を再駆動させていくエンジンとなっていく。

 「苦労させられて、苦労させられて、挙句の果てはこれや。もう、私の青春返せ、返せ、返してやー」

 離婚した後もこんな掛け合い漫才で舞台を沸かす、何とも不思議なる両親を持った少女の中の父親像が、「カス芸人」と嘲笑されたイメージに含まれる、どこか憎めない人格像として復元していく思いがあればこそ、少女の旅が立ち上げられたのだ。

 父親像の再発見は、両親でもある芸人夫婦の、その存在性の不思議さを読み解く手掛かりともなっていったであろう。

 まもなく、少女の父親捜しの旅は、対立する不良グループからの少年の脱出劇と、父の交通事故の報によって、呆気なく終焉することになった。

 病院での父との再会と、その直後の病死によって、映像の幕が下されるが、少女の密度の濃いひと夏の旅の物語は、ほんの少しばかりの成長を記録した、少女の思春期彷徨という様態を炙り出して閉じていったのである。


(人生論的映画評論/大阪物語('99)  市川準<「散文系のリアリズム」の鈍走劇に弾かれて> 」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/99_30.html