ソフィーの選択('82) アラン・パクラ <もう選択したくない人生>

 結局、ソフィーの息子は、絶滅収容所からの生還を果たさなかった。

 このことで彼女の残りの人生の行方は、ほぼ定まったと言えるだろう。

 それ以上ない心的外傷を負った、一人の女が選択し得る人生は、極めて限定的だったと言うしかないのである。

 彼女はネイサンという極めて情緒不安定な男と出会い、その常軌を逸した男の愛情に丸抱えされることによって、実は、人生の要所要所の判断を男に委ねてしまったのである。彼女の自我は、「もう選択したくない人生」に大きく振れてしまったということである。それがソフィーとネイサンとの関係を、心中という悲劇的な結末に導くメンタリティの根柢にあったものだ。

 確かにソフィーは、自らの意志で死を選択したであろう。

 それを「第二のソフィーの選択」と呼ぶ向きも多いが、私に言わせれば、それは「第一の決定的な選択」の後に残された余分な人生の、中枢を喪った漂流の中での、言わば、そこに辿り着くしかない「宿命的な選択」であったと考えられる。

 従って、彼女は死を選択したのではなく、死以外に選択する術がなかったのである。ネイサンの中に常に漂う死の体臭に誘(いざな)われしまったという事実、それが彼女の残りの人生の中の、「唯一の選択」であったとは言えないか。
 
 
(人生論的映画評論/「ソフィーの選択('82) アラン・パクラ <もう選択したくない人生>」より抜粋)http://zilge.blogspot.com/2008/10/82.html