流れる('56)  成瀬巳喜男  <今まさに失わんとする者たち>

 1  シビアな現実を、淡々と、しかし残酷に描き切った成瀬映画の最高到達点



 「男を知らないあなたに、何が分るって言うのよ!」
 「男を知っているってことが、どうして自慢になるのよ!」
 「へぇ、このお嬢さんは大変なことをおっしゃいましたよ。女に男がいらないって、本当ですか、お姐さん?女に男がいらないだって。ハハハ」
 
 十歳も年下の男に捨てられた年増芸者が、傾きかけている芸者置屋の娘と、酔った勢いで激しく難詰(なんきつ)し合う。

 これは、花柳界の片隅で生きる女たちの哀歓を細密に描いた本作のひとコマ。

 結局、酔った勢いで置屋を飛び出した女には、身を寄せる場所がなく、思い切り愛嬌を振り撒いて戻って来る。それを受け入れる気のいい女将。その女将もまた男に捨てられて、置屋の再建に思いを馳せるしかない。しかし、やがて身売りされていくこの置屋の運命を観る者に明かして、映像は完結する。

 本作は、花柳界という日常性に恐らく有り触れているであろうシビアな現実を、淡々と、しかし残酷に描き切った成瀬映画の到達点を示す一級の名画。

 キャラに成り切った女優の演技力と、それを巧みに仕上げた演出の力量が完全に融合し、本作は寸分の破綻も見せない人間ドラマに結実した。歳を重ねて初めて分る映画の凄さが、ここには詰まっているのだ。

 人生を脳天気に突き抜けられない大方の人々は、恐らく成瀬作品が映し出す苛酷と哀切を共感含みに追体験する。

 そこには私がいて、私の家族がいて、私の隣人がいることを。所詮、人の世はそんなものだと。私という物語など誰も知らず、悟りとは無縁に、時代の虚ろいの中に消えていくことを。



(人生論的映画評論/流れる('56)  成瀬巳喜男  <今まさに失わんとする者たち>)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/10/blog-post_5912.html