ミラーを拭く男('03)  梶田征則  <カーブミラーの光沢が放ったもの>

 1  ミラーを拭く男



 宮城県の、とある町の県道。

 そこに一人の男が仰向けになって倒れている。意識を失っている状態である。傍には脚立が一つ転倒していて、ガードレールには男のものらしいサイクリング車が横付けになっていた。道路には、これも男のものらしいショルダーバッグが放り出されていて、中から噴霧器と思しき容器が顔を覗かせている。その横にタオルが無造作に置かれていて、辺り一体を町の人々が取り囲んでいる。

 その県道はひどい渋滞になっていて、どうやらそれは、男が関与した交通事故が原因になっているらしい。
 
 「間違いねぇ。テレビで観たことある。絶対そうだ。何かね、こんな道路の鏡を一個一個拭いてるんだって・・・」
 
 野次馬のこの一言で、男は意識を取り戻した。
 
 ―― ここで、映像のタイトル名が浮かび上がってくる。

 タイトル名は、「ミラーを拭く男」。
 
 開かれた映像からは、男が入院した病棟にシフトしていた。
 
 そこには男の妻がいて、二人のテレビ関係者がいた。

 「こんなことになったのは、テレビのせいだと思うんですよ。ごめんなさい。決してあなた方だけが、悪いって言ってるわけじゃないんです。ただ、絶対に無理だと思うんですよ。全国なんて・・・」
 
 妻の苦情めいた言葉に、テレビのプロデューサーはやんわりと反応した。

 「いや、その全国回るってのは、皆川さんから言い出した目標ですし・・・な?」

 その言葉を受けて、隣に座るディレクターがフォローする。

 「正直言って、最初は面白半分で取材させてもらったんですよ。還暦を越えているのに、日本中のカーブミラーを全部磨くっていうのが、何か無茶していて、面白いかなって思いまして。しかも趣味でしょ?」
 「ボランティア」とプロデューサー。
 「ボランティア?」とディレクター。
 「ただ、全国っていうのは予想以上に時間かかるんですわ」とプロデューサー。
 「もう三年になります。主人が出て行って。居場所が分るって意味では、テレビに出てくれて助かりました。感謝してます。ただ・・・」
 
 そんな妻の変わらぬ態度に、プロデューサーは丁寧な態度で弁明に努めた。
 
 「勿論、奥さんのおっしゃると通り、こっちがプレシャーを与えてた部分はあるかとは思うんです。まあ、皆川さんもテレビに出て宣言してしまった以上、意地にならざるを得ないとは思うんです。ただまぁ、こっちも何度か妥協案は提示したんですよ。中途半端に撮影を中断する訳にもいきませんから。例えばまあ、車で回ってみたらどうかとか、県庁所在地だけでいいんじゃないんですかとか。まぁ、皆川さんが車の運転ができないとか、まあ色々問題がありましてね・・・」

 相手のプロデューサーの弁明を聞きながら、皆川の妻は、三年前のことを回想していた。
 


 2  異様な構図



 全ては、三年前に始まったのである。

 皆川勤。

 彼は定年を間近にするサラリーマンだった。

 そのサラリーマンがある日、急に飛び出して来た自転車をよけ損なって、一人の少女を撥ねてしまったのである。幸い、少女の怪我はかすり傷で済んだが、その事故は皆川の心に相当の外傷を残してしまった。

 彼はしばしば事故現場に自ら足を運んで、自らの起した事故を彼なりに引き受けようとした。しかし彼の脳裏に事故の生々しい記憶が蘇り、カーブミラーのポールに激突した恐怖と、少女の悲痛な表情が彼の心を執拗に甚振って止まないようだった。彼は明らかに軽鬱症の症状を呈していて、かつて味わったことがないような種類の人生の危機を迎えていた。
 
 その構図は、あまりに異様だった。
 
 一軒の普通の家屋の内部が、見るからに、吹き抜けのような構図で映し出されていた。映像を観る側から向って左側に玄関があり、その右に六畳ほどの和室があって、共に手前の居間に繋がっている。
 
 玄関には皆川の妻の紀子と、その娘の真由美がいて、事故の被害者の祖父の剣幕に押されまくっていた。
 
 「来てねえじゃないか!お宅、舐めてんの?こっちにとっちゃね、大事な孫なんだよ。女の子だぞ。菓子折り一つで済みませんでした?ふざけるなよ!」
 「あの・・・治療費は、お支払い致します」
 「当たり前だろ!」
 「誠に、申し訳ございません」
 「下手すりゃ、死んでたんだぞ!とにかく旦那が帰って来たら、言っておいてよ。被害者に、もう少し誠意を見せろって」
 
 玄関先で、平身低頭する妻。母を助けられない娘。そんな非力な女たちを前にすると、なぜか男は強がって見せる。その強がりの中に、当然打算が含まれるが、それでも男は、そんなときに限って必要以上の感情を乗せてくるのだ。

 しかし、その感情を本来乗せていくべき相手は、同じ空間内に居たのである。当家の主は、隣の和室で、テレビを相手に将棋を指していた。当家の主こそ、皆川勤その人である。玄関から戻って来た娘の真由美は、和室を覗いて辛辣に問いかけた。
 
 「何で出ないの?自分のことでしょ?何なの・・・ねぇ、落ち込んでる振り?」
 「真由美、止めなさいって。お父さんだってそりゃ、ショックよ。事故したの、初めてなんだから」
 「だって、ただのかすり傷でしょ。お母さんも、謝りすぎなんだよ。向こうが勝手に飛び出してきたんだから・・・パチンコやってたんだよ。子供放ったらかしでさ。何でこっちが悪くなるわけ?結局、金なんでしょ、あいつは」
 
 この間、父の勤は終始無言だった。

 それは、まるでそのような会話に全く関心を示さない者の態度であったと言っていい。彼は今、自分だけにしか了解できない、極めて狭隘な世界の中に閉じこもっているようであった。それが軽鬱症者の、それ以外にない自己防衛の方法論であったとも言えなくもない。

 始めに書いておくが、この主人公は映像の中で、一貫して寡黙な態度を通していくのである。と言うより、彼は全く自らを語らないのだ。この作品は、自らを語ろうとしない者が、その身体表現によってのみ自らを語ろうとした、その究極的な映像化でもあった。
 
 ともあれ、自宅におけるこの異様なカットが、本作の重要な主題性に重なっていることは明瞭である。そしてこのカットこそが、この映像の実質的なファーストシーンであったのだ。


(人生論的映画評論/ミラーを拭く男('03)  梶田征則  <カーブミラーの光沢が放ったもの>」)より抜粋http://zilge.blogspot.com/2008/12/03.html