2010-01-01から1年間の記事一覧

炎上('58)  市川崑 <「絶対美」を永遠の価値とする青年僧の、占有への睦みの愉悦>

屈折した心理で生きる青年の物語を、具体的に見ていこう。 青年の屈折した心理を見る際に重要なのは、彼が事件を起こす前に自殺を考えていたという事実である。 従って、青年を自殺に追い込む心理的風景の解析こそ、事件のバックボーンにあるものを説明し得…

愛の深さ(一)

愛とは「共存感情」であり、「援助感情」であると喝破したのは、現代アメリカの心理学者のルヴィン(注1)である。彼はそのことを、度重なる心理実験によって確信を得たのである。(絵画は グスタフ・クリムトの「接吻」) これは、心理学重要実験のデータ本…

愛される権利

人間には、人を愛する自由はあるが、人から愛されるという権利はない、と書いた人がいた。 しかし子供だけには、愛される権利というものがある。子供は愛されることがないと、健全なナルシズムが育たないのである。「母に愛される自己」を愛することができる…

サラバンド('03) イングマール・ベルイマン <圧倒的な女の包括力と強靭さ ―― ベルイマンの女性賛歌の最終的メッセージ>

序 肉塊の襞をも裂く人間の孤独の極相を抉り出して ハイビジョンデジタルビデオカメラ(HDカメラ)の技術を駆使して抉り出された世界は、体性感覚の微細な揺らぎの見えない刺激まで捕捉して、自我の支配域をファジーにした、人間の愛憎の闇の深い辺りで迷…

ハリーとトント('74) ポール・マザースキー <「関係の達人」としての「英知」溢れる「人生の達人」>

「私は苦痛が怖い。できれば、ぽっくり死にたい。苦しまずにな。アニーは苦しんだ。苦痛は死より酷い。見るのが怖かった。アニーは耐えた。愚痴も言わず・・・他人の苦痛を感じることはできん・・・」 これは、亡妻を悩ませた身体的苦痛について、猫のトントに語っ…

関係の破綻

関係は構築するのに難しく、破壊するのに造作はいらない。構築するのに要したあの厖大なエネルギーに比べて、破壊されていくときのあの余りの呆気なさに形容する言葉がない。 この目立ったアンバランスさこそ、関係の言い知れない妙であり、或いは、真骨頂で…

人格変容

人は死別による喪失感からの蘇生には、しばしばグリーフワーク(愛する者を失った悲嘆から回復するプロセス)を必要とせざるを得ないほどに記憶を解毒させるための時間を要するが、裏切り等による一時的な内部空洞感を埋める熱量は次々に澎湃(ほうはい)し…

父と暮らせば('04) 黒木和雄 <内側の澱みが噴き上げてきて>

本稿の評論のテーマとして選んだ、「父と暮らせば」という映画は、「見えない残酷」を存分に見せ付けられた者の自我が負った傷跡の、その贖罪と癒しと再生を描いた印象的な一篇である。 そこには、複雑で込み入った物語などない。 そこにあるのは、煩悶する…

エデンの東('54)  エリア・カザン <「自我のルーツを必死に求める者」の彷徨の果てに>

簡潔に言えばば、こういうことである。 「自我のルーツを必死に求める者」と、「その自我のルーツを、幻想の中で丸ごと受容してきた者」、そして、「自我のルーツへのアプローチを塞いでしまった者」。 約(つづ)めて言えば、この三人の物語である。 前二者…

英雄の戦後史

英雄を必要とする国は不幸である、と言った劇作家がいた。英雄を必要とするのは、国家が危機であるからだ。しかし国家が危機になっても、英雄が出現しない国はもっと不幸である。なぜなら、英雄が出現しないほどに国民が危機になっているからだ。 英雄を必要…

魔境への誘い

ハレとケ。 日常性の向うに、それを脅かすパワーを内包する、幾つかの尖った非日常的な世界がある。上手に駆使することで日常性を潤わせ、その日常性に区切りを付け、自我に自己完結感を届けさせてくれるような微毒な快楽がそこに含まれているので、それは人…

スケアクロウ('73) ジェリー・シャッツバーグ <逸脱し、無軌道に走った者たちのその後の人生>

では、「アメリカン・ニューシネマ」(以下、「ニューシネマ」とする)は何からの逸脱だったのか。 一つは、アメリカが「最も偉大で強大な国」であるという物語からの逸脱。もう一つは、驚くほど美貌なる男女が秩序を壊さない程度の恋愛ゲームを愉しんだり、…

ライアンの娘('70)  デヴィッド・リーン <ダイナミックな変容を見せる物語の劇的展開と睦み合う風景の変容>

本作の歴史的背景となったアイルランド独立戦争(1919年から1921年にかけて戦われた独立戦争)と、その後のアイルランド内戦を背景に、IRA(アイルランド共和軍)絡みの兄弟の対立を描いた、ケン・ローチ監督の「麦の穂をゆらす風」(2006年…

不眠という病理

近年、睡眠に関する研究は飛躍的に進んできて、多くの事柄が科学的に解明されてきているようだが、私たちに最も身近な、不眠に関する研究に関しては、ようやく緒についたらしい。(写真はヘリコプターから眺めた東京の夜景) 不眠を科学的に説明し、その解決…

恥じらいながら偽善に酔う

阪神大震災(写真)は、眼を覆わんばかりの悲惨の後に、無数の人々の善意が圧倒的な集合力を誇示して見せて、無念にも、そこに集合を果たせなかった人々のハートフルな胸を幾分撫(な)で下ろさせたようである。この国の戦後の、「心の荒廃」を本気で信じて…

キッズ・リターン('96) 北野武 <反転的なアファーメーション、或いは、若者たちへの直截なメッセージ>

殆どそこにしか辿り着かないと思えるような、アッパーで、脱規範的な流れ方があって、その流れを自覚的な防衛機構によって囲い込む機能を麻痺させた結果、そこにしか辿り着かない地平に最近接してしまったとき、その視界の見えない未知のゾーンにインボルブ…

二十日鼠と人間('92) ゲイリー・シニーズ <「深い親愛感情」をベースにした、「対象依存的な友情関係」の見えない重さ>

「二十日鼠と人間」における、「二人の登場人物の関係の本質」を考えるとき、その関係の偏頗(へんぱ)性を無視できないだろう。 聡明なジョージと、知的障害のあるレニーの関係の偏頗性である。 この二人の関係は「対等」ではなく、明らかに対象依存的な性…

失敗のリピーター

心理学者、岸田秀(写真)の言葉に、「失敗は失敗のもと」という卓見がある。 とても説得力のある言葉である。 失敗をするには失敗をするだけの理由があり、それをきちんと分析し、反省し、学習しなければ、かなりの確率で人は同じことを繰り返してしまうと…

何者かであること

人間は、自分が何者でもないことに耐えられない生き物であるらしい。 自分が何者かであるということを認知された者は、その認知を更に高く固め上げていかないと不安になり、自分が何者かであることを未だ充分に認知されていない者は、認知を得るために必要で…

善き人のためのソナタ('06) フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマル <スーパーマンもどきの密かな睦み―或いは、リアリズムとロマンチシズムの危うい均衡>

結論から言って、作品の出来栄えは決して悪くない。充分に抑制も効いている。テンポも良い。映像の導入も見事である。 そして何より、本作の背景となった社会の権力機構の描写については、相当のリアリティを感じさせる重量感を持っていて、一つの時代の、特…

4ヶ月、3週と2日('07) クリスティアン・ムンジウ <限界状況からの危うい突破への身体化現象>

人間の内面的振幅のその微妙な綾を直接的に映し出す手法として、ワンカット・ワンシーンという撮影技法は多分に有効であるであろう。意図的に揺れ動くハンディカメラが女子大生の走る後ろ姿を捕捉することで、少なくとも、彼女の不安や緊張感を再現すること…

反偉人論

民主主義や愛を語る人が、常に謙虚な博愛主義者であるとは限らない。 多弁なヒューマニストはまず怪しいが、寡黙なエピキュリアンというケースも大いにあるので、語らない人が必ずしも美徳の体現者であるとは、当然言い切れない。どだい、人間を特定の尺度で…

ストレスとの良き付き合い方

そもそも、ストレスとは何だろうか。 「大辞林」によれば、「精神緊張・心労・苦痛・寒冷・感染などごく普通にみられる刺激(ストレッサー)が原因で引き起こされる生体機能の変化。一般には、精神的・肉体的に負担となる刺激や状況をいう」と言うこと。 次…

仕立て屋の恋('89)  パトリス・ルコント <「パラダイスへの旅立ち」への大いなる危うさを内包する物語の、その完璧な終焉>

この映画は、自己完結的なゲームを愉悦する男の幻想の世界に、そのゲームのヒロインである女の身体が唐突に侵入することで、「非日常の日常化」を作り出していた寡黙な男の、そこだけは充分に特化した時間がゲーム‐オーバーしたばかりか、女の身体が誘(いざ…

黒い雨('89) 今村昌平 <「ピカで結ばれた運命共同体――「戦後」を手に入れられなかった苛酷なる状況性>

どこまでも長閑(のどか)で、穏やかな瀬戸内の海に、小さな島々が浮かんでいる。そこに、「黒い雨」というタイトルが映し出されていく。 昭和20年8月6日。晴れ上がった朝だった。 トラックの荷台に何人かの女性たちが乗っていて、一軒の屋敷の前で止ま…

虚栄の心理学

虚栄心とは、常に自己を等身大以上のものに見せようという感情ではない。自己を等身大以上のものに見せようとするほどに、自己の内側を他者に見透かされることを恐れる感情である。虚栄心とは、見透かされることへの恐れの感情なのである。 同時にそれは、自…

偏見という病理

偏見とは、過剰なる価値付与である。 一切の事象に境界を設け、そこに価値付与して生きるしか術がないのが、人間の性(さが)である。その人間が境界の内側に価値を与えることは、境界の外側に同質の価値を残さないためである。通常、この境界の内外の価値は…

靖国 YASUKUNI ('07) 李纓 <強引な映像の、強引な継ぎ接ぎによる、殆ど遣っ付け仕事の悲惨>

人の心は面白いものである。 自分の生活世界と無縁な辺りで、それが明瞭に日常性と切れた分だけ新鮮な情報的価値を持ち、且つ、そこに多分にアナクロ的な観劇的要素が含まれているのを感覚的に捕捉してしまうと、「よく分らないけど、面白かった」という気分…

最高の自由

人間にとって最大の不幸とは、自分の未来を自分の意志で決定できない状況に置かれることである。人間にとって最大の幸福とは、自分の未来を自分の意志で決定できる状況に置かれることである。最大の不幸と最大の幸福は、人々が手に入れる自由度の実感による…

JSA('00) パク・チャヌク <澎湃する想念、或いは、「乾いた森のリアリズム」>

「ヒットの理由は、タブーに対する挑戦だったからだと思います。北朝鮮の人々をどう考えるかについては、強要された思考方式と、植え付けられたイメージがあった。そこから抜け出して、彼らも私たちと同じ人間なんだと一度考えて見ると、あまりに当然であっ…