2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「勝者」と「敗者」を作り出す飛び切りの娯楽 -------- その名は「風景としての近代スポーツ」

1 「勝利⇒興奮⇒歓喜」というラインを黄金律にする近代スポーツ 近代スポーツは大衆の熱狂を上手に仕立てて、熱狂のうちに含まれる毒性を脱色しながら、人々を健全な躁状態に誘(いざな)っていく。 この気分の流れは、「勝利⇒興奮⇒歓喜」というラインによっ…

「最高のルール」なるものと出会うまでの、最低のルールを通過する辛さ

ルールの設定は、敗者を救うためにあると同時に、勝者をも救うのだ。 戦いの場でのテン・カウントは勝敗の決着をつけると共に、スポーツの夜明けを告げる鐘でもあった。これは、坂井保之(プロ野球経営評論家)の名言である。 死体と出会うまで闘いつづける…

視覚の氾濫  文学的な、あまりにも文学的な

沈黙を失い、省察を失い、恥じらい含みの偽善を失い、内側を固めていくような継続的な感情も見えにくくなってきた。 多くのものが白日の下に晒されるから、取るに足らない引き込み線までもが値踏みされ、僅かに放たれた差異に面白いように反応してしまう。 …

11人の迷走する男たちの人間的なる振れ方  文学的な、あまりにも文学的な

「十二人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督)という有名な作品がある。 一人の強靭な意志と勇気と判断力を持った男がいて、その周りに11人の個性的だが、しかし、決定的判断力と確固たる信念による行動力に些か欠如した、言ってみれば、人並みの能力と…

尊厳死の問題の難しさと深淵さ  文学的な、あまりにも文学的な

「自我が精神的、身体的次元において、統御可能な範囲内にある様態」―― 私はそれを「人間らしさ」と呼ぶ。 例えば、耐え難いほどの肉体的苦痛が継続するとき、間違いなく自我は悲鳴を上げ、その苦痛の緩和を性急に求める。 しかし、その緩和が得られないとき…

太陽がいっぱい('60)  ルネ・クレマン <「卑屈」という「負のエネルギー」を、マキシマムの状態までストックした自我の歪み>

1 「越えられない距離にある者」に対する、普通の人間のスタンスを越えたとき 「越えられない距離にある者」に対する、普通の人間のスタンスは二つしかない。 一つは、相手を自分と異質の存在であると考え、相対化し切ること。 例えば、「越えられない距離…

エレファント・マン('80) デビット・リンチ <特定的に選択された、「無垢なる障害者」>

1 禍福に富んだ運命の時間が開かれて 時は19世紀末。場所は、英国ロンドンの見世物小屋。 そこに、「エレファント・マン」と呼ばれる容貌怪異な人間がいた。 警察の取締りで見世物小屋の小屋主が、厳重な注意を受けている現場に、そこを訪ねたトリーブスは…

チェイサー('08)  ナ・ホンジン <チェイサーと化した民間人を、凶暴な攻撃者に変容させしめる警察機構の脆弱さ>

1 物語の序盤から炸裂するシリアルキラーの不気味さ 本作の凄いところは、一貫して、犯人のヨンミンの犯罪動機に触れるに足るような、身分・地位・学歴などの履歴や政治社会的背景に、犯罪のルーツを安直に還元させないところにある。 いつの時代でも、どの…

スラムドッグ$ミリオネア('08)   ダニー・ボイル  <「長い旅の後の希望」、或いは、「夢と決意を捨てないスラムドッグの、〈状況突破〉の純愛譚」>

1 「長い旅の後の希望」、或いは、「夢と決意を捨てないスラムドッグの〈状況突破〉の純愛譚」 「世界不況で厳しい局面の中、人々はその長い旅の後に希望を求めています。そして、オバマ氏が大統領になったことに見られるように、人々が変化を望み、よりオ…

恋愛ゲームの手痛い挫折者  文学的な、あまりにも文学的な

アンデルセンは、片思いの恋人(ルイーゼ・コリン)に読んでもらうために自伝を執筆し、それを出版した。 その中で自分の数奇な遍歴を誇張し、努力家としての自分のイメージを必死に売り込んだ。 しかし、ルイーズから手紙を送り返されて、嘆くばかりだった…

人間をサイボーグにさせない自由の幅  文学的な、あまりにも文学的な

役割が人間を規定すると言われる。 役割が人間を規定することを否定しないということは、人間は役割によって決定されるという命題を肯定することと同義ではない。 そこに人間の、人間としての自由の幅がある。 この自由の幅が人間をサイボーグにさせないので…

苦悩することの可能なくしては、享楽することの可能は不可能である  文学的な、あまりにも文学的な

「苦悩を癒す方途は無意識を意識の衝撃にまでもたらすことであり、決して無意識の裡に沈潜させることではなくして、意識にまで自らを昂揚し、而もよりいっそう苦悩することである。(略)苦悩の悪は、より大なる苦悩によって、より高次の苦悩によって癒える…

禁断の愛の破壊力  文学的な、あまりにも文学的な

禁断の愛は、堅く封印された扉を抉(こ)じ開ける愛である。 その扉を抉じ開けるに足る剛腕を必須とする愛、それが禁断の愛である。 そして、その扉を抉じ開けた剛碗さが継続力を持ったとき、その愛は固有なる形をそこに残して自己完結する。 果たしてそこに…

ファーゴ('96)  コーエン兄弟  <確信的日常性によって相対化された者たちの、その大いなる愚かしさ>

1 女房誘拐計画 「これは実話の映画化である。実際の事件は、1987年ミネソタ州で起こった。生存者の希望で人名は変えてあるが、死者への敬意を込めて、事件のその他の部分は忠実な映画化を行っている」 これが冒頭の字幕である。 その次に映し出された…

ノーカントリー('07)  コーエン兄弟 <「世界の現在性」の爛れ方を集約する記号として>

1 恐怖ルールを持つ男 個人が帰属する当該社会に遍く支持されている規範(ルール)、それを「道徳」と呼ぶ。 この道徳的質の高さを「善」と定義しても間違いないだろう。 しかしそれらは、どこまでも「やって欲しいこと」と「やって欲しくないこと」を内的…

カポーティ('05)  ベネット・ミラー <「恐怖との不調和」によって砕かれた、「鈍感さ」という名の戦略>

1 野心 1959年11月15日 グレートプレーンズの中枢に位置する、小麦畑が広がるカンザス州西部のホルカムで、その事件は起きた。 平原の一角の高台にある、富裕なクラッター家の家族4人が、惨殺死体で発見されたのである。 「間違いは正直に認めなき…

ブレードランナー('82)  リドリー・スコット<人間とヒューマノイドの鑑別テストを必要とする、大いなる滑稽さ>

1 「人の心を読むロボット」開発の現実化の様相 オスカー・ピストリウスという名の、著明なアスリートがいる。 人呼んで、「ブレードランナー」。 1986年生まれの、南アフリカ共和国のパラリンピック陸上選手である。 「両足切断者クラスの100M、2…

十二人の怒れる男('57) シドニー・ルメット <「特定化された非日常の空間」として形成された【状況性】>

序 プロット展開の絶妙な映像構築 「17歳の少年が父親殺しで起訴された。死刑は決定的と見えたが、12人の陪審員のうち8番の男だけが無罪を主張する。彼は有罪の根拠がいかに偏見と先入観に満ちているかを説いていく。暑く狭い陪審員室での息苦しくなる…

パピヨン('73)   フランクリン・J・シャフナー <「人生を無駄にした罪」によって裁かれる男の物語>

1 「人生を無駄にした罪」によって裁かれる男の物語 この波乱万丈に満ちた、アンリ・シャリエールの実話をベースにした映画の中で、最も重要なメッセージは、以下の言葉に尽きるだろう。 「お前は、人間が犯し得る最も恐ろしい犯罪を犯したのだ。では、改め…

JSA('00) パク・チャヌク <澎湃する想念、或いは、「乾いた森のリアリズム」>

1 澎湃する想念 ―― 立ち上げられた反米のスーパーマン 「ヒットの理由は、タブーに対する挑戦だったからだと思います。北朝鮮の人々をどう考えるかについては、強要された思考方式と、植え付けられたイメージがあった。そこから抜け出して、彼らも私たちと…

殺人の追憶('03) ボン・ジュノ <追い詰めゆく者が追い詰められて――状況心理の差異が炙り出したもの>

1 長閑な農村の連続殺人事件 「この映画は、1986年から1991年の間、軍事政権の下、民主化運動に揺れる韓国において、実際に起きた未解決連続殺人事件をもとにしたフィクションです」 この字幕から開かれた映像の内実の厳しさは、映像の展開の中で少…

シン・レッド・ライン('98)  テレンス・マリック<「一本の細く赤い線」――状況が曝け出した人間の孤独性についての哲学的考察>

序 「戦争神経症」という名のPTSD 太平洋戦争末期の沖縄戦に、「シュガーローフの戦い」(注1)という名の激戦があった。その壮絶なる戦闘の中で、決して少なくない数の若き米兵たちが、戦争に対する恐怖感から次々に精神を病んで、その治療を専門とする…

シンドラーのリスト('94)  スティーブン・スピルバーグ <英雄、そして権力の闇>

1 歴史の重いテーマの映像化の中で不要な、「大感動」のカタルシス効果 ポーランドで軍用工場を経営していたオスカー・シンドラーは、ユダヤ人会計士の協力を得て、ゲットーのユダヤ人を工場労働者として集め、好業績を挙げた。 複数の愛人と関係し、放恣…

第9地区('09)  ニール・ブロンカンプ <突貫精神の屈託のなさを全開させた、視覚情報効果のアナーキーな「初頭効果」のインパクト>

1 視覚情報のみを掻き立てる訴求力の高いコンテンツを供与した、「初頭効果」の戦略性が見事に嵌った映画 手を変え品を変え、より刺激的に視覚情報を与え続けることによってしか成立しなくなったハリウッドムービーが、遂に、このような形によってしか需要…

地獄の黙示録('79) フランシス・F・コッポラ   <「ベトナム」という妖怪に打ち砕かれて>

1 ニューシネマの最終到達点 アメリカは厄介な国である。 自分の国を最も偉大で、強大な国であると、皆、素朴に信じて疑わないところがあるように見える。敢えて辛辣な言辞を弄すれば、その内実は、食いっぱぐれた無数のヨーロッパ系移民がインディアンを、…

ハート・ロッカー('08)  キャスリン・ビグロー <「戦場のリアリズム」の映像的提示のみに収斂される物語への偏頗な拘泥>

1 「ヒューマンドラマ」としての不全性を削り取った「戦争映画」のリアルな様態 テロの脅威に怯えながらも、その「非日常」の日常下に日々の呼吸を繋ぎ、なお本来の秩序が保証されない混沌のバグダッドの町の一角。 そこに、男たちがいる。 米陸軍の爆発物…

「確信は嘘より危険な真理の敵である」 文学的な、あまりにも文学的な

「確信は嘘より危険な真理の敵である」―― これは、「人間的なあまりに人間的な」の中のニーチェの言葉である。 「確信は絶対的な真実を所有しているという信仰である」とも彼は書いているが、それが信仰であるが故に、確信という幻想が快楽になるのだ。 例え…

「自虐のナルシズム」というイメージの氾濫  文学的な、あまりにも文学的な

私たちの内側では、常にイメージだけが勝手に動き回っている。 しかし、事態は全く変わっていない。 事態に向うイメージの差異によって、不安の測定値が揺れ動 くのだ。 イメージを変えるのは、事態から受け取る選択的情報の重量感の落差にある。 不安であれ…

眼の前に手に入りそうな快楽が近接してきたとき  文学的な、あまりにも文学的な

比べることは、比べられることである。 比べられることによって、人は目的的に動き、より高いレベルを目指していく。 これらは人の生活領域のいずれかで、大なり小なり見られるものである。 比べ、比べられることなくして、人の進化は具現しなかった。 共同…

幸福の選択に博打はいらない  文学的な、あまりにも文学的な

一度手に入れた価値より劣るものに下降する感覚の、その心地悪さを必要以上に学習してしまうと、人は上昇のみを目指すゲームを簡単に捨てられなくなる。 このゲームは強迫的になり、エンドレスにもなるのである。 自己完結感が簡単に手に入り難くなるのだ。…