2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

家族ゲーム('83) 森田芳光 <「全身委託主義」の不埒さを野放図に放置してきた「家族ゲーム」への、「家族教師」の破壊的暴走>

1 「委託主義」に象徴される、「幸福家族」の幻想の劣化を特徴づける「家族力」の脆弱さ この映画は、「委託主義」によってしか家族を維持できない脆弱性が、「破壊による再生の可能性の提示」という「役割」のうちに、リアリティを蹴飛ばして記号化された…

(ハル)('96) 森田芳光 <「異性身体」を視覚的に捕捉していく緩やかなステップの心地良さ>

1 緩やかなステップを上り詰めていく男と女の物語 ―― プロット紹介 恋人を交通事故で喪ったトラウマを持つ(ほし)と、アメフトの選手としての挫折経験を引き摺る(ハル)が、パソコン通信によるメール交換を介して急速に関係を構築していく。 同時に、(ハ…

エレニの旅('04)  テオ・アンゲロプロス <極点まで炙り出す悲哀の旅の深い冥闇のスティグマ>

1 「生涯難民」という懊悩を刻む呻き アンゲロプロスの映像世界の本質が、20世紀という、人類史上にあって、そこだけは繰り返し語り継がれていくであろう特段の、しかし際立って尖った奔流が、脆弱なる抑制系を突き抜けて垂れ流した爛れの様態の中枢に、…

シテール島への船出('83)   テオ・アンゲロプロス <「戻るべき場所」を削り取られた者の「内的亡命」という実存への希求>

1 「決定的構図」を構築できる「イメージ喚起力」の豊潤さ 些か面倒臭いカテゴリー分類だが、本作は、「こうのとり、たちずさんで」(1991年製作)、「ユリシーズの瞳」(1996年製作)へと続く「国境三部作」の第一作であると同時に、「蜂の旅人」…

霧の中の風景('88) テオ・アンゲロプロス  <始めに混沌があった>

1 まだ見ぬ父への旅が開かれて 始めに混沌があった それから光がきた そして光と闇が分かれ 大地と海が分かれ 川と湖と山が表われた その後で 花や木が出てきた それに動物と鳥も・・・ 闇が支配する部屋の小さなベッドに身を埋めて、11歳の姉が5歳の弟に、…

永遠と一日('98) テオ・アンゲロプロス <「人生最後の日」―― 軟着点の喪失と千切れかかった魂の呻吟、或いは「自分という人間を見つめる、そのまなざし」>

1 「そのとき、全てが、時が止まる」―― 海辺の家の記憶 -― その映像の粗筋を、原本となったシナリオを参照にして詳細に追っていこう。 イタリア様式の外観を見せる海辺の家。 「アレクサンドレ、島へ行こう」 「どこへ?」とアレクサンドレ少年。 「島だよ…

冬の小鳥('09) ウニー・ルコント<「反転の発想」によって駆動してい  く少女の、極めてポジティブな身体疾駆>

1 開放された門扉の向こうへの遥かなるディスタンス 少女が大人たちの止めるのも聞かず、施設の門柱の上に乗った。 寮母が少女の脚を捕捉しようとしたが、身軽な少女にかわされてしまったのだ。 不安げに事態を見詰める施設の子供たち。 「子供たちを中に。…

この道は母へとつづく('05)  アンドレイ・クラフチューク <幼児の「英雄譚」を本質にする、非現実的な「状況突破のアクション譚」>

1 燃料切れの車に蝟集する子供たち 印象的なファーストシーン。 凍てつくような酷寒の雪原を降り頻る雪が、幻想的な靄の風景を作り出して、そこに一台の車が走っているが、燃料切れのため、些か肥満気味の女が携帯で連絡を取って、サポートを要請した。 そ…

春爛漫(その3)

神代植物公園。 有料の都立公園の中で、新宿御苑と共に、私が最も通った花と樹木の植物公園である。 晩秋の新宿御苑には、日本庭園の紅葉の魅力も手伝って何度か通ったが、神代植物公園への撮影行は殆ど春季限定と言っていい。 3月のウメから5月のツツジ、…

風景への旅(冬紀行)

私の好きな富士山への最近接というイメージこそ、「冬紀行」という言葉に相応しい何かである。 その優美な山容において、成層火山特有の円錐形に近い、美しい稜線を持つ富士山は、私にとって「登る山」ではなく、一貫して「仰ぎ見る山」である。 この「仰ぎ…

インビクタス/負けざる者たち('09) クリント・イーストウッド<「偉大なる黒人大統領」の視線を追い続けることで、間断なく提示していく「主題提起力」の一気の快走>

1 「英雄」という名の未知のゾーンに搦め捕られる心理の鮮度の持つ、「初頭効果」の訴求力 作品が持つ直截な政治的メッセージの濃度の高さを限りなく相対化するためなのか、ほんの少し加工するだけで、もっと面白くなる物語を比較的淡々と構成化することで…

ミリオンダラー・ベイビー('04)  クリント・イーストウッド  <孤独な魂と魂が、その奥深い辺りで求め合う自我の睦みの映画>

1 「想像力の戦争」を巡る知的過程を開く映像 様々な想像力を駆り立てる映画である。 説明的な映像になっていないからだ。 遠慮げなナレーションの挿入も、映像の均衡性を壊していない。 観る者に、本作の余情を決定付けた、ラストナレーションに違和感なく…

市民ケーン('41) オーソン・ウェルズ <幻想を膨張させていった果ての、虚構の物語の最終到達点>

1 負の感情として根深く横臥する受難の歴史の実相への弾劾 「私は市民の人権を守るため、容赦なく不正と戦う」 これは、本作の主人公ケーンが最初に発行した新聞、「インクワイアラー」社の編集方針声明の一文。 この編集方針声明の際に、心にない笑みを零…

第三の男('49)  キャロル・リード <「戦勝国」という記号によって相対化された者たちとの、異なる世界の対立の構図>

1 「闇の住人」の視線を相対化する映像構成 時代の大きな変遷下では、秩序が空白になる。 空白になった秩序の中に、それまで目立たなかったような「闇」が不気味な広がりを見せていく。 「闇」は不安定な秩序を食い潰して、いつしか秩序のうちに収斂し切れ…

マイ・バック・ページ('11) 山下敦弘 <相対化思考をギリギリの所で支え切った、表現主体としての武装解除に流れない冷徹な視線の肝>

1 「革命」という甘美なロマンによって語られる、それ以外にない最強の「大義名分」を得て 「革命」という言葉が死語と化していなかった時代を、「幸運な時代」と呼んでいいかどうか分らないが、そんな時代状況下にあって、「世界の動乱」を鋭敏に感受し得…

破戒('62) 市川崑 <自己ののサイズに見合った〈生〉に反転させつつ、選択的に掴み取ろうとする男の痛切な物語>

1 「差別的原作」を屠る印象づけによって構築された物語の、感動譚の連射の瑕疵 この映画の最大の瑕疵は、物語を感動的に描き過ぎたことだ。 監修者として本作に参画した「部落解放の父」・松本治一郎(初代部落解放同盟執行委員長)への過剰な配慮が災いし…

炎上('58)  市川崑 <「絶対美」を永遠の価値とする青年僧の、占有への睦みの愉悦>

1 「汚泥した世俗」の現実を無化する自己防衛戦略への潜入 「正義」や「善」が、「不正義」や「悪」の存在によって成立する対立概念であるように、「美」もまた、その対極にある「醜」の概念によって成立する相対的概念である。 ここに、二人の青年がいる。…

山里陽春

「山里陽春」というイメージから連想されるビュースポットは、私の中で殆ど限定されていると言っていい。 ここで紹介する、あまりに有名な山梨県一宮の「桃の里」は、平日に訪れることが可能ならば、最高の「山里陽春」のビュースポットであるに違いないが、…

Shall we ダンス?('96)  周防正行 <「喪失したアイデンティティの奪回」=「アイデンティティの再構築」についての物語>

電車の中から見た「物憂げの美人」への関心を契機に、ダンス教室に通う杉山の世俗的な振舞いは、何より彼自身が、中年期のステージにあって、「生き甲斐」探しの旅を必要とするに足る、未知なる「人生の転換点」の迷妄に搦(から)め捕られていて、この迷妄…

それでもボクはやっていない('07)  周防正行 <警察・検察・司法の構造的瑕疵への根源的な問題提示>

1 警察・検察・司法の構造的瑕疵を根源的に問題提示した、秀逸な社会派の一篇 本作は、人に言えないほどの辛い経験の混乱の中で、相当程度、曖昧となった少女の記憶が、刑事の情報誘導によって補完されることで、矛盾なく固まったと信じる主観の稜線上に、…