#その他人文科学

過剰なる営業者

過剰な営業者は、過剰なる自己像ホルダーか。 単に度外れた社交家なのか。或いは、他者から必要以上に見透かされることを恐れ過ぎる臆病心が、不必要な煙幕を張ることで、剥き出しの自我をガードするのか。また、自我を囲繞する視線にシャープに反応し、オー…

摂取性の原理

「我々は黒人を人間以下で見ている限り何の問題も生じないが、いったん人間として直面すると握手をしても手を洗いたくなる」 これは、昔読んだ本に載っていた、ジョージ・レオナードというアメリカ南部の白人の言葉である。 相手が自分と同じレベルに近づい…

他人の不幸は自分の幸福

私たちの大衆消費社会の中では、「他人の幸福は自分の不幸」であり、「他人の不幸は自分の幸福」である。 かつての地域共同体社会では、あらゆる面で人々の近接度が極めて高く、隣人の不幸が我が家の不幸になりやすかったから、そこに否応なく仲間意識が生ま…

「自前の表現世界」を繋ぐ覚悟

「わしは教わった通りに絵を描いてきた。伝統を重んじてきたが、度が過ぎたかも知れん。オリジナリティは他の画家に任せた。セザンヌの大展覧会が1896年頃にあった。面白かったが、わしの進む道とは違うと思った・・・・・勇気がなかったんだ。何年か前に絵の…

「察しによる曖昧さ」を「美徳」とする、この国の「病理」

1 「察しによる曖昧さ」を「美徳」とする、この国の「病理」 あれは何年前だったか、テレビ朝日の看板番組である「朝まで生テレビ」を観ているときだった。 そのときのテーマは忘れたが、その議論の中で、安全保障についてのトークバトルが開かれた。 パネ…

カルトの罠

「カルトの罠」は、「恐怖心」と「依存心」にある。 前者のコアは、ハルマゲドンがやって来るぞという恫喝であり、後者のコアは、この方(尊師)が全ての苦難から解き放つ救世主だから教えを乞いなさい、という安眠の誘(いざな)いである。 ともあれ、人が…

「陰謀論」の心理的風景

1 「完成形としての人間」の能力を前提とする認知の過誤 人間は不完全な存在体である。 目途にしたものを、最後まで、且つ、完璧に遂行し得るほどに完全形の存在体ではないと言い換えてもいいかも知れない。 そんな私は、「陰謀論」花盛りの文化の退廃性に…

人間の本来的な愚かさと、その学習の可能性

二人の医大生がいた。 彼らは心ならずも、彼らが所属した組織の中で由々しき犯罪にインボルブされ、恐らく、生涯苦しむことになった。彼らが手を染めることになった犯罪は、軍の命令で米兵捕虜を生体実験すること。 世に言う、「九州大学米軍捕虜生体解剖事…

それが日暮れの道であっても

ここに一冊の本がある。 今から40年以上前の雑誌だ。「キネマ旬報 第392号 昭和40年6月上旬号」というレア物の雑誌を、私は在住する清瀬市内の図書館を経由して、都立多摩図書館から取り寄せてもらった。そこに、とても興味深い一文が載っているから…

スモールステップの達人

ここに、一人のプロボクサーがいる。(写真) 現時点(2000年3月)で、前東洋太平洋某級のチャンピオンだから、彼は成功したボクサーと言っていい。 彼とは、彼が中学2年生以来の付き合いだから、その間、何年かのブランクがあったにせよ、早いもので…

崩されゆく『打たれ強さ』の免疫力

今井正監督の最高傑作とも思える、「キクとイサム」(1959年製作/写真)の映画評論を書き終わった後、本作の主要なテーマである、「差別」の問題と離れて言及したい由々しきテーマが、私の中で出来(しゅったい)してしまった。映像を通して、キクとい…

定着への揺らぎと憧憬―「寅さん」とは何だったのか

一切の近代的利器とは情感的に切れる生き方を徹底させ、渡し舟に乗り、月夜の晩に故郷を懐かしむリリシズムが全篇に漂う中、その男は純愛を貫くのである。 人々は映像の嘘と知りつつも、この架空のヒーローに深々と思いを込めていき、気がついたら、自分たち…

全身リアリストの悶絶

「“機銃を浴びせて手当てする”―― 欺瞞だ。見れば見るほど、欺瞞に胸がムカついた」 これは、「地獄の黙示録」の主人公、ウィラード大尉が放った言葉。最悪なる戦場に向かう哨戒艇の中で、彼はその否定的な感情を吐き出したのである。 「地獄の黙示録」は欺瞞…

生きること、必ずしも義務にあらず

「海を飛ぶ夢」(アレハンドロ・アメナーバル監督/写真)という映画がある。スペインの実在の人物、ラモン・サンペドロの「安楽死事件」をモデルにした有名な作品である。 本作への評価については、私の「人生論的映画評論」に詳しいので、ここではダイレク…

今日、この日を如何に生きるか

奇跡的傑作との評価も高い「幕末太陽傳」の評論を書き終ったとき、その作り手である川島雄三(写真)の宿痾(しゅくあ)について、私はしばし思いを巡らせていた。 作品の主人公の佐平次がそうであったように、川島雄三もまた、「生きるための薬」と縁が切れ…

終わりなき、姿態の見えない悪ガキたちとの戦争

序 学習塾 見かけは、単に古いだけの木造平屋建ての小さな家屋だった。 しかし、些か塗料が錆び落ちた玄関を開けて、その中に踏み入ってみたら驚いた。天井の白い木枠は相当くすんでいて、そこからぶら下がる豆電球は如何にも頼りない照明光として、小さく揺…

氾濫する『情感系映画』の背景にあるもの ― 邦画ブームの陥穽

成瀬巳喜男の「流れる」についての評論を擱筆(かくひつ)したとき、どうしても言及したいテーマが内側から沸き起こってきた。 「邦画ブーム」と言われる、この国の現在の有りようの社会学的背景について、些か大袈裟だが、年来の思いを記述してみたいと思っ…

優しい文化

一体、この国の人たちは、いつ頃から、このように、「感動」への渇望感を意識し、それを常に埋めようと騒ぎ出すようになったのだろうか。(写真はスローフードのロゴマーク) 思えば、「一児豪華主義」の社会的定着の中で、生まれついたときから、「この眼に…

この国の「闘争心」の形

1 序 ―― その場凌ぎのリアリズム この国では、しばしば、結果よりもモチーフの純度こそ評価される傾向があるという指摘は多い。 極端に言えば、この国では「何をしたか」によってではなく、「何をしようとしたか」によって人間の価値が決まるのであり、その…

イデオロギーは人間をダメにする

イム・グォンテクという、シネフィルにはよく知られた映画監督がいる(写真)。 「韓国映画の良心」とも評価し得るような、一代の巨匠である。 「1936年5月2日、全羅南道長城生まれ。第二次世界大戦直後の左右抗争の時代、イム・グォンテク一族の多く…

「脆弱性」―― 心の風景の深奥 或いは、「虚偽自白」の心理学

こんな状況を仮定してみよう。 まだ眠気が残る早朝、寝床の中に体が埋まっていて、およそ覚醒とは無縁な半睡気分下に、突然、見たこともない男たちが乱入して来て、何某かの事件の容疑事実を告げるや、殆ど着の身着のままの状態で、有無を言わさず、そのまま…

魔境に入る者

かつて私は、練馬区西大泉町の住宅街の一角で長きに及んで学習塾を運営してきたが、その時代に出来した一つの事件について書いてみる。(写真は西武鉄道池袋線・大泉学園駅) 平穏な日常性で安定的に推移していたが、一つだけ近隣に起こった事件で、今なお気…

赦しの心理学

人が人を赦そうとするとき、それは人を赦そうという過程を開くということである。(画像は、「赦し」をテーマにした映画・「息子のまなざし」より) 人を赦そうという過程を開くということは、人を赦そうという過程を開かねばならないほどの思いが、人を赦そ…

遅れてきた「反抗的なエロス青年」 ―― その情感系の暴走

「卒業して いったい何解ると言うのか 想い出のほかに 何が残るというのか 人は誰も縛られた かよわき子羊ならば 先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか 俺達の怒り どこへ向うべきなのか これからは 何が俺を縛りつけるだろう あと何度自分自身 卒業すれ…

豊かさは共同体を破壊する

15~16世紀のヨーロッパ経済の出現は、他の文明を圧倒し、ひとり資本主義的発展のコースに踏み出してしまった。ここから、あらゆるものが変貌を遂げていく。 16世紀から18世紀にかけて展開された、手工業生産中心のプロト工業化を経て、18世紀後半…

ゲームの強迫

高度成長以降、この国は大きく変わってしまった。(写真は集団就職の風景) 固形石鹸で髪を洗っていた時代は、永遠に戻らない。あの頃私たちは、近隣から洩れ聞こえてくるピアノの音色に、何の反応も示さなかった。 思えば、終戦から間もない1949年に制…

怨みの連鎖

占領軍がやって来た。 あっという間に、空気が変色した。先遣隊(注1)を送り出して、敗戦日本の実情をリサーチするほどに入念だったマッカーサー(写真)の警戒心は、敗戦国民のあまりの従順さにあっさりと氷解したのである。 この国の人々は、要求もしない…

男の虚栄、女の虚栄

この国の男たちは、自分たちの非決断を簡単に認めないように見える。 女に渡したヘゲモニーを奪い返すつもりもない。権威に依拠する覚悟にも欠ける。権威を継続させるには相当のエネルギーがいるからだ。そこまで疲れたくないのである。 家庭は癒しの場所で…

規範の崩れ

規範意識の衰弱化という現象が、今、最も集中的に見られる場所は学校空間である。 常に学齢期に達したというだけで、義務教育という名の下で、地域の子供たちが地域の学校に通学するという近代公教育百年余の歴史がなお続いている。 何より、規範意識の衰弱…

神の如き親心

子供たちの外界への適応許容ラインは、身体のレベルに決してとどまるものではない。それは私が、「寒暖差5℃の世界」(注)と呼ぶところのものである 幼少時より注目され、抱えられ、様々なる抗菌グッズにより庇護されてきた、この国の子供たちの自我は、彼…