2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「絶対孤独」の闇に呑まれた叫び  文学的な、あまりにも文学的な

「君の現実が悪夢以上のものなら、誰かが君を救える振りをする方が残酷だ」 この言葉は、「ジョニーは戦場へ行った」(ドルトン・トランボ監督)の中で、一切の自由を奪われた主人公が、その残酷極まる悪夢で語られた、イエス・キリストの決定的な一言。 映…

「手に入れたものの小ささ」と「失ったものの大きさ」との損益分岐点の攻防戦

1 「競馬の醍醐味」への「スノッブ効果」的侵入 「ギャンブル依存症」と言ったら大袈裟になるが、私はかつて競馬三昧の生活を送っていたことがあった。 遥か成人に届く前の青臭い頃だ。 アルバイトで知り合った年長の先輩たちから、「競馬の醍醐味」を教え…

「目立たない程度に愚かなる者」の厄介さ

私たちは「「程ほどに愚かなる者」であるか、殆んど「丸ごと愚かなる者」であるか、そして稀に、その愚かさが僅かなために「目立たない程度に愚かなる者」であるか、極端に言えば、この三つの、しかしそこだけを特化した人格像のいずれかに、誰もが収まって…

「脆弱性」―― 心の風景の深奥 或いは、「虚偽自白」の心理学

1 極限的な苦痛の終りの見えない恐怖 こんな状況を仮定してみよう。 まだ眠気が残る早朝、寝床の中に体が埋まっていて、およそ覚醒とは無縁な半睡気分下に、突然、見たこともない男たちが乱入して来て、何某かの事件の容疑事実を告げるや、殆ど着の身着のま…

自己満足感

人は仕事を果たすために、この世界に在る。これは私にしかできないし、私がそれを果たすことで、私の内側で価値が生じるような何か、私はそれを「仕事」と呼ぶ。 この「仕事」が、私を世界と繋いでいく。「仕事」は私によって確信された何かであり、私自身に…

耐性獲得の恐怖

アラン・パーカー監督の「ミッドナイト・エクスプレス」(1978年製作/写真)についての映画評論を書き終えた際に、その【余稿】のつもりで言及したテーマがある。「ハシシの有害性」についての小論である。 私なりの見解を、そこで簡単に触れた一文を、…

病識からの自己解放

「病気」とは何だろうか。 38度の熱があっても普通に生活するなら、恐らく、その人は「病気」ではない。 微熱が気になって仕事に集中できない人がいるなら、その人は「病気」であると言っていい。 「病人」とは、自らを「病気」であると認識する人である。…

志野の小宇宙

志野茶碗は、何故、かくも日本人の心を打つのか。 温かい白い釉(うわぐすり)に柔らかい土。その釉を汚すことを拒むように、遠慮げに加えられた簡素な絵柄。ナイーブで、自在なラインとその形。特別に奇を衒(てら)って、個性をセールスする愚を拒み、静か…

フォーレの小顕示

私は元々、交響曲が好きではない。 私の狭量な音楽的感性の中では、その騒々しさにどうしても馴染めないのである。敢えて挑発的に言ってしまえば、空間を仕切ったつもりの、その「大顕示」が苦手なのかもしれない。だからワグナーも、マーラーも、ベートーベ…

過分な優越感情に浸る新たな愚かしさ

「集団にとっても個人にとっても、人生というものは風解と再構成、状況と形態の変化、及び死と再生の絶え間ない連続である。人生はまた行動と休止、待つことの休むこと、そして再び、しかし今度はちがうやり方で行動を開始することである。そして、いつも超…

日常性の危ういリアリズム

この国でベストワンの映像作家を選べと言われたら、私は躊躇なく「成瀬巳喜男」の名を挙げる。 確かにこの国には、成瀬より名の知られた巨匠級の映像作家がいる。溝口健二、黒澤明、小津安二郎の三氏である。三氏とも極めて個性的な映像世界を構築し、世界で…

騙し予言のテクニック

確信の形成は、特定的なイメージが内側に束ねられることで可能となる。 それが他者の中のイメージに架橋できれば、確信はいよいよ動かないものになっていく。 他者を確信に導く仕掛けも、これと全く同じものであると言っていい。 その一つに、「騙し予言のテ…

相対経験

経験には、「良い経験」と「悪い経験」、その間に極めて日常的な、その時点では評価の対象に浮き上がって来ない、厖大な量のどちらとも言えない経験がある。 この経験が結果的に自分を良くしてくれたと思われる経験が「良い経験」で、その逆のパターンを示す…

過剰なる営業者

過剰な営業者は、過剰なる自己像ホルダーか。 単に度外れた社交家なのか。或いは、他者から必要以上に見透かされることを恐れ過ぎる臆病心が、不必要な煙幕を張ることで、剥き出しの自我をガードするのか。また、自我を囲繞する視線にシャープに反応し、オー…

摂取性の原理

「我々は黒人を人間以下で見ている限り何の問題も生じないが、いったん人間として直面すると握手をしても手を洗いたくなる」 これは、昔読んだ本に載っていた、ジョージ・レオナードというアメリカ南部の白人の言葉である。 相手が自分と同じレベルに近づい…

他人の不幸は自分の幸福

私たちの大衆消費社会の中では、「他人の幸福は自分の不幸」であり、「他人の不幸は自分の幸福」である。 かつての地域共同体社会では、あらゆる面で人々の近接度が極めて高く、隣人の不幸が我が家の不幸になりやすかったから、そこに否応なく仲間意識が生ま…

「自前の表現世界」を繋ぐ覚悟

「わしは教わった通りに絵を描いてきた。伝統を重んじてきたが、度が過ぎたかも知れん。オリジナリティは他の画家に任せた。セザンヌの大展覧会が1896年頃にあった。面白かったが、わしの進む道とは違うと思った・・・・・勇気がなかったんだ。何年か前に絵の…

「察しによる曖昧さ」を「美徳」とする、この国の「病理」

1 「察しによる曖昧さ」を「美徳」とする、この国の「病理」 あれは何年前だったか、テレビ朝日の看板番組である「朝まで生テレビ」を観ているときだった。 そのときのテーマは忘れたが、その議論の中で、安全保障についてのトークバトルが開かれた。 パネ…

カルトの罠

「カルトの罠」は、「恐怖心」と「依存心」にある。 前者のコアは、ハルマゲドンがやって来るぞという恫喝であり、後者のコアは、この方(尊師)が全ての苦難から解き放つ救世主だから教えを乞いなさい、という安眠の誘(いざな)いである。 ともあれ、人が…

「陰謀論」の心理的風景

1 「完成形としての人間」の能力を前提とする認知の過誤 人間は不完全な存在体である。 目途にしたものを、最後まで、且つ、完璧に遂行し得るほどに完全形の存在体ではないと言い換えてもいいかも知れない。 そんな私は、「陰謀論」花盛りの文化の退廃性に…

人間の本来的な愚かさと、その学習の可能性

二人の医大生がいた。 彼らは心ならずも、彼らが所属した組織の中で由々しき犯罪にインボルブされ、恐らく、生涯苦しむことになった。彼らが手を染めることになった犯罪は、軍の命令で米兵捕虜を生体実験すること。 世に言う、「九州大学米軍捕虜生体解剖事…

それが日暮れの道であっても

ここに一冊の本がある。 今から40年以上前の雑誌だ。「キネマ旬報 第392号 昭和40年6月上旬号」というレア物の雑誌を、私は在住する清瀬市内の図書館を経由して、都立多摩図書館から取り寄せてもらった。そこに、とても興味深い一文が載っているから…

スモールステップの達人

ここに、一人のプロボクサーがいる。(写真) 現時点(2000年3月)で、前東洋太平洋某級のチャンピオンだから、彼は成功したボクサーと言っていい。 彼とは、彼が中学2年生以来の付き合いだから、その間、何年かのブランクがあったにせよ、早いもので…

崩されゆく『打たれ強さ』の免疫力

今井正監督の最高傑作とも思える、「キクとイサム」(1959年製作/写真)の映画評論を書き終わった後、本作の主要なテーマである、「差別」の問題と離れて言及したい由々しきテーマが、私の中で出来(しゅったい)してしまった。映像を通して、キクとい…

定着への揺らぎと憧憬―「寅さん」とは何だったのか

一切の近代的利器とは情感的に切れる生き方を徹底させ、渡し舟に乗り、月夜の晩に故郷を懐かしむリリシズムが全篇に漂う中、その男は純愛を貫くのである。 人々は映像の嘘と知りつつも、この架空のヒーローに深々と思いを込めていき、気がついたら、自分たち…

全身リアリストの悶絶

「“機銃を浴びせて手当てする”―― 欺瞞だ。見れば見るほど、欺瞞に胸がムカついた」 これは、「地獄の黙示録」の主人公、ウィラード大尉が放った言葉。最悪なる戦場に向かう哨戒艇の中で、彼はその否定的な感情を吐き出したのである。 「地獄の黙示録」は欺瞞…

生きること、必ずしも義務にあらず

「海を飛ぶ夢」(アレハンドロ・アメナーバル監督/写真)という映画がある。スペインの実在の人物、ラモン・サンペドロの「安楽死事件」をモデルにした有名な作品である。 本作への評価については、私の「人生論的映画評論」に詳しいので、ここではダイレク…

今日、この日を如何に生きるか

奇跡的傑作との評価も高い「幕末太陽傳」の評論を書き終ったとき、その作り手である川島雄三(写真)の宿痾(しゅくあ)について、私はしばし思いを巡らせていた。 作品の主人公の佐平次がそうであったように、川島雄三もまた、「生きるための薬」と縁が切れ…

終わりなき、姿態の見えない悪ガキたちとの戦争

序 学習塾 見かけは、単に古いだけの木造平屋建ての小さな家屋だった。 しかし、些か塗料が錆び落ちた玄関を開けて、その中に踏み入ってみたら驚いた。天井の白い木枠は相当くすんでいて、そこからぶら下がる豆電球は如何にも頼りない照明光として、小さく揺…

氾濫する『情感系映画』の背景にあるもの ― 邦画ブームの陥穽

成瀬巳喜男の「流れる」についての評論を擱筆(かくひつ)したとき、どうしても言及したいテーマが内側から沸き起こってきた。 「邦画ブーム」と言われる、この国の現在の有りようの社会学的背景について、些か大袈裟だが、年来の思いを記述してみたいと思っ…