2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

黒いオルフェ('59) マルセル・カミュ <「死への誘い」という劇薬を内包する奇跡の愛の悲劇的な破綻>

この映画の成功は、ギリシア悲劇という自己完結的な神話的宇宙と、そこに住む人々の熱気がギラギラと照り返す太陽の下で弾ける、カーニバルという自己完結的な祭事が融合することで、一定の芸術表現の高みにまで映像を構築したことにある。 この両者を繋ぐキ…

大通りの店('65) ヤン・カダール エルマール・クロス <「服従と相対的秩序」から「強制と絶対的秩序」へ ―― 「風景の変容」の物語構成>

映像の冒頭は、大通りを長閑に歩く人々の平和の賑わいを映し出すシークエンス。 軽快なBGMに乗って、コメディの筆致で進行する映像の印象は、眩い陽光の下で呼吸を繋ぐ人々の日常性が切り取られていて、本作の風景の変容を想像させる何ものもなく、観る者…

地下水道('56) アンジェイ・ワイダ  <「深い情愛」と「強い使命感」という、「情感体系」の補完による「恐怖支配力」>

「1944年9月末、ワルシャワ蜂起の悲劇的な最期も間近だ。旧市街及び川沿いの地区は占領され、中央区、北区、南区も敵に包囲され燃えている。 悲劇の勇者たち ―― この中隊には43名がいる。3日前までは70名を数えたのだが・・・。中隊長のザドラ中尉で…

妻よ薔薇のやうに('35)  成瀬巳喜男   <「人は皆、心ごころ」の世界を泳ぎ抜く>

山本君子。 東京丸の内のオフィス街に勤める女性である。ネクタイを締め、斜めに帽子を被るその装いは、典型的なモダンガールのスタイルを髣髴させる。 時は昭和ひと桁代。 満州事変を経ても、未だ中国への本格的な侵略戦争を開始していないこの国の当時の世…

愛と喝采の日々('77) ハーバート・ロス <激しい炸裂の「直接対決」が生んだ和解の凄味 ―― 或いは、「人生の選択」の持つ固有の重量感>

1 ディーディー ディーディーが住むオクラホマ・シティに、アメリカン・バレエ団が公演のためやって来た。 ディーディーは、元アメリカン・バレエ団のダンサーであったが、恋人のウェイン・ロジャースとの結婚を選択することで、バレエ団を退団するという経…

危険な年('82)   ピーター・ウィアー <自死によって炸裂した「物語のライター」の痛ましき愛国心>

本作は、社会派ムービーの取っ付きにくさをラブロマンスで希釈することで、本来的な「主題が内包する問題解決の困難さ」を提示した作品である。 この手法が成功したか否かについては、観る者によって判断は分れるだろうが、少なくとも、異質な国家の異質な文…

ただいま('99)  チャン・ユアン <「贖罪意識の累加の17年」という内実の重さ>

1 これ以上削れないという、ミニマムな描写の提示のうちに鏤刻した構築的映像 ラスト9分間で勝負する、この90分にも満たない映像の完成度の高さに舌を巻いた。 内側から込み上げてきたものが、幾筋もの液状のラインを成して、相貌を崩すほどの感動を与え…

その土曜日、7時58分('07) シドニー・ルメット <「失敗は失敗のもと」という負のスパイラル――自壊する家族の構造性>

1 兄 「不動産業界の会計は実にはっきりしている。ページにある数字を全部足せばいい。毎日、それできちんと帳尻が合う。総額はいつもパーツの合計だ。明朗会計。絶対的な数字が出る。でも俺の人生は、そうはならない。パーツが積み重ならず、バラバラだ。…

コルチャック先生('90) アンジェイ・ワイダ <せめてもの安らかな死――人間の尊厳の究極的な到達点を求めて>

1939年9月、ドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が始まった。それでなくても辛い歴史を重ねてきた歴史は、呆気なくドイツの機甲戦団に制圧され、占領統治下に入っていく。 このとき、コルチャック61歳。 逼迫する孤児院の経営を運営するた…

チャドルと生きる('00)   ジャファル・パナヒ <危機感に関わる熱量自給を再生産する映像作家の気概>

1 西側諸国での公開を前提化する映像作家の状況性 ―― その1 西側諸国において、女性の人権蹂躙と指弾されるが故に、恐らく、西側での公開を前提にするような内容の物語があり、そんな物語をテーマにすることを使命にするかの如き映像作家がいて、その映像…

花様年華('00)  ウォン・カーウァイ <最近接点に達した男と女の、沸騰し切った〈状況〉のうちに>

物理的距離を近接させた、男と女がいる。 右手にポットを下げて、麺や惣菜等を買いに行く、チャイナドレスが眩い女と、キャリアウーマンの妻を持つが故に、夕飯を食べに行く男が出会う屋台での、日常的な交叉がリピートされ、物理的距離を近接させていくのだ…

妻('53)  成瀬巳喜男 <覚悟を決めた女、覚悟できない男>

1950年代初めのこの国の、とある木造家屋が、朝の外光を浴びた裏通りに融合した絵画のようにして、比較的明るい長調の旋律に乗って映し出されてくる。 今度は、その家屋に住む中年夫婦が、いつでもそうであるような日常の継続性の中で、それぞれの作業に…

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン('07)  松岡錠司 <語り過ぎる映画の危うさ ―― 諸刃の剣の自家撞着>

本作ほど、長所と欠点が判然とする映画も珍しい。 長所については一点のみ。 近年の他の邦画がそうであるように、いや恐らくそれ以上に、本作の長所は際立っていた。登場する役者の抜きん出た演技力、これに尽きる。 オカンを演じた樹木希林、オトンを演じた…

告発の行方('88)  ジョナサン・カプラン  <「当事者熱量」と「第三者熱量」が無化されたとき>

自らが被害者となった、酒場におけるレイプ事件を告発した些かヤンキーな女性が、剛腕な女性検事補の助けを借りて、暴行犯・教唆犯の6名を刑務所に送り込むという話で、詳細なプロット説明は省く。 ここでは、映像後半のレイプ裁判に焦点を当てていきたい。…

ジンジャーとフレッド('85) フェデリコ・フェリーニ  <「祭り」の後の「寂寞感」が映し出す人生模様>

1 「この俺を舞台に出してみろ。思い知るぞ。何もかもぶちまけてやる」 如何にも、視聴者参加のテレビ向きのコンテンツが詰まった特別番組があった。 その名は、「トピック・テレビ」。 クリスマスの特別企画である、この「トピック・テレビ」への出演のた…

証人の椅子('65)  山本薩夫 <「僕もう、絶対転ばんさかい」――それを語る者、語らせる者>

「それはありきたりで、平凡な、曲のない(注1)事件のように見えた・・・」 この冒頭のナレーションから、その後の世論を沸騰させるような冤罪事件と目される、際立って陰湿で、忌まわしい事件の幕が開かれた。 1953年11月5日、徳島市の小さなラジオ店…

ウルガ('91)  ニキータ・ミハルコフ <「全身遊牧民」としてのアイデンティティのルーツを確認する拠り所>

1 「内モンゴル自治区」という縛りの中で ―― プロット紹介 プロットを簡潔にまとめてておこう。 「内モンゴル自治区」 ―― そこは、中国の北方に位置する自治区である。 近年、豊富な石炭と天然ガス等の産出によって顕著な経済発展を遂げている「内モンゴル…

この道は母へとつづく('05) アンドレイ・クラフチューク <幼児の「英雄譚」を本質にする、非現実的な「状況突破のアクション譚」>

1 燃料切れの車に蝟集する子供たち 印象的なファーストシーン。 凍てつくような酷寒の雪原を降り頻る雪が、幻想的な靄の風景を作り出して、そこに一台の車が走っているが、燃料切れのため、些か肥満気味の女が携帯で連絡を取って、サポートを要請した。 そ…

煙突の見える場所('53)  五所平之助<特定的状況が開いた特定的人格の、特定的切り取り>

1 こうのとりのゆりかご そのストーリーラインを追っていく。 その家は、大雨が降ると浸水する危険性と隣り合わせの古い家屋だった。 主人公の名は、緒方隆吉。日本橋の足袋問屋に勤める中年のサラシーマンである。その妻、弘子は戦災未亡人で、緒方とは再…

人生は、時々晴れ('02) マイク・リー   <空洞化された共同体が復元するとき>

序 空洞化された共同体 ―― その復元の可能性 これは、空洞化された共同体のその復元の可能性についての映画である。 人の心が最も安らぐミニ共同体、今やそれは、私たちが「家族」と呼ぶものが占有するはずの強力な価値空間だった。しかしそこに亀裂が生じ、…

パサジェルカ('63)  アンジェイ・ムンク <「敬服」を手に入れようとする、「権力関係」の構築という戦略の内に>

映像は、その製作の複雑な事情を説明していく。 「ムンク監督は、この作品を未完成のまま、自動車事故で死んだ。61年9月20日、31歳。我々は物語に空白を残したまま、ここに提供する。ムンクの死によって、話の結末も不明である。その結末もあえて求め…

ウィスキー('04)  フアン・パブロ・レベージャ <偽夫婦」の絶対記号が剥がれるとき>

1 オフビート感漂う人間ドラマの挑発的な問題提示 南米で二番目に面積が小さい共和国である、ウルグアイのとある町で、父親から譲り受けた零細工場を経営している男がいる。 かなりの中古車で通勤して来るこの男を待って、一人の中年女性が工場入り口のシャ…

ボスニア('96) スルジャン・ドラゴエヴィッチ <憎悪の共同体の爛れ方―― 挑発的なる映像の破壊力>

1 “友愛と団結”トンネル(1) ―― そのストーリーを、映像の展開に合わせて詳細に追っていこう。 1971年6月27日。その日、“友愛と団結”トンネルの開通式が行われた。 「“自然には抗い難し”とは、誰の言葉か。またもや我が建設者の技術が岩に勝ち、我…

深呼吸の必要('04)  篠原哲雄 <「なんくるないさー」――予定調和の「青春爽快篇」が削りとったもの>

特別に主役のいない作品ながら、一応冒頭のシーンで紹介された少女が物語の中心にいて、そこに八人の主要登場人物が絡んでいく。その内二人は、「きび刈り隊」を受け入れる沖縄のとある離島の老夫婦。彼らは名を平良(たいら)と言い、皆からそれぞれ、「お…

わが命つきるとも('66) フレッド・ジンネマン <「肝心な局面で状況逃避できない自己像」が溶け切れない男>

本作は、スーパーマン映画のように見えるが、「真昼の決闘」がそうであったように、窮地に陥った状況弱者を救済するための闘いではなく、自らの人格の内に固められた自己像を守るための闘いを自己完結させた男の物語である。 従って本作が、英国国教会の成立…

レスラー('08)   ダーレン・アロノフスキー <「何者か」であり続けることを捨てられない男の究極の選択肢>

「俺は一世を風靡した栄光のプロレスラーだ」 このような「肯定的自己像」を抱懐する男がいる。 それから20年、男はその自己像を未だ捨てられない。 映像の冒頭で映し出された、「栄光の80年代」の絶頂期に象徴される「肯定的自己像」によって、継続的に…

ストレイト・ストーリー('99) デヴィッド・リンチ  <満天の星を共有する至福への「自立歩行」の決定力>

東にミシシッピー川、西にミズリー川という大河に挟まれたアイオワ州は、米大統領選の伝統的な予備選の序盤州として有名だが(とりわけ民主党にとって)、それ以上に、この両河の恩恵を受けた肥沃な大地として、全米一のコーンベルト地帯を作り上げているこ…

殯の森('07) 河瀬直美 <「モーニングワーク」を同時遂行させた者たちの着地点>

1 「森」以前と、「森」以後の映像世界の乖離感を惹起させたもの 「体系性」を生命とする思想に対して、芸術表現は「完成度」を生命とすると言っていい。 芸術表現の代表格である映像表現の「完成度」は、「映像構築力」を根幹とするだろう。 その「映像構…

大いなる幻影('37) ジャン・ルノワール  <「騎士道精神」という「滅びの美学」の不必要なまでの叙情性>

2 第一次世界大戦の戦場合理主義の爛れを希釈化させた、「滅びの美学」をなぞる貴族階級のペシミズム 大体、戦闘シーンを欠落させることで「反戦」という理念系を表現するとき、そこでは物語の中枢を担う登場人物たちへの表現的造形性に肉薄する描写で勝負…

鶴八鶴次郎('38)  成瀬巳喜男  <「自己基準」に崩された愛、砕かれた芸道への夢>

「ねえ、お豊ちゃん、あんた本当に帝劇に出るつもり?」 「ええ出ます。あたしはもう一度高座へ出て、昔の人気を取り戻してみたくなったの」 「それは願ったり叶ったりだけれど、ご主人が何て言うかな」 「大丈夫。許してくれるに決まってます。もしもいけな…