2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

マグダレンの祈り('02)  ピーター・ミュラン <システムとして保障された「箱庭の恐怖」>

1964年、アイルランド、ダブリン。 “一人の男が通りかかる。喉が渇いて、一杯の水を求めた。谷間の井戸で、野に咲くユリの花。辺りは茂みの中。カップはいっぱいで、屈むと零れる。谷間の井戸。野に咲くユリの花。辺りは茂みの中。娘さん、あなたは6人…

旅情('55) デヴィッド・リーン <「自己像」によって封印された情動系がバリアを穿って突き抜けていくとき>

本作の主人公のヒロインは、38歳の独身のキャリアウーマンである。 彼女の「自己像」は、恐らくこういうものだろう。 「結婚だけが全てではない。それよりも、社会的に自立している職業女性として、私は自分の人生の中で等身大の幸福を感受している」 これ…

石中先生行状記(「千草ぐるまの巻」)('50)  成瀬巳喜男 <共同体を繋ぐ天使―「ナチュラル・スマイラー」の底力>

青森県のとある田舎の長閑な一本道を、岩木山神社(注1)の村祭りの行列が練り歩いている。 その光景を満面の笑みで迎える少女、ヨシ子。 彼女はこの日、町の病院に姉のカツ子を見舞いに行くところである。 ヨシ子は、広々とした田舎道の一角にある茶屋の女…

おくりびと(‘08)  滝田洋二郎<差別の前線での紆余曲折 ―-「家族の復元力」という最高到達点>

1 情感系映像の軟着点 2007年の邦画界の不調を見る限り、邦画人気のバブル現象を指摘する論調があって、「邦画の再立ち上げは容易でなさそうだ」(「asahi com」2008年03月04日)と書かれる始末だった。 ところが、翌2008年の全国…

大阪物語('99)  市川準<「散文系のリアリズム」の鈍走劇に弾かれて>

1 「不思議空間」としての「大阪」 「大阪って可笑しいとこで、一遍…一旦、ここ大阪に生まれたら、大阪を離れんの、いやになるんねん。どうしても大阪に居ついてしまう。大阪が好きになんねんな。何でやろうな…ほんまにええとこや、大阪て」 この元女芸人の…

髪結いの亭主 ('90)  パトリス・ルコント <「死への誘(いざな)い」へと最近接する、「吸収するパワー」としての「愛のパワー」>

「結婚して下さい」 一見(いちげん)の客に過ぎない男は、理髪店を譲り受け、それなりに成功しているように見える女に対して、唐突にプロポーズした。 髪に触れる手触りに異常な執心を持つフェティシストの男にとって、「髪結いの亭主」になることだけが少…

羅生門('50)  黒澤 明 <杣売の愁嘆場とその乗り越え、或いは「弱さの中のエゴイズム」>

1 杣売の呟き 物語を追っていこう。 時は平安時代。場所は京の都の羅生門(注1)。 度々の戦乱で、その門の外観は大きく崩れている。その崩れかけた一角を狙い撃ちするかのように、弾丸の雨が激しく叩きつけていて、その門下には、二人の男が雨宿りをしてい…

ミッドナイト・エクスプレス('78)  アラン・パーカー <「絶対敵対者」を作らざるを得ない、社会派映画の過剰さ>

「1970年10月6日、トルコのイスタンブールで起きた」 この冒頭の字幕の背景に、イスタンブールのエキゾチックな風景が映し出された後、一人の青年が、その体に禁制の麻薬をアルミ箔に包んで、それを幾つもテープで体に巻きつけている。青年はイスタン…

生きてゐる小平次 怪異談('82)  中川信夫 <「追い詰められた鼠」が選択した自己防衛反応の究極の様態 ―― 或いは、恐怖感の本質>

ここに、3人の登場人物がいる。 一人は役者の小平次、もう一人は囃子方の太九郎である。 そして3人目は、かつて大店の女房に収まりながら、逃げて来たおちか。 そのおちかは、今は太九郎の女房に収まっているが、小平次からの熱い恋慕の対象になっている。…

4分間のピアニスト('06) クリス・クラウス  <「表現爆発」に至る物語加工の大いなる違和感>

ピアノ教師として女子刑務所に赴任して来た80歳のクリューガーは、新入りのジェニーが机を鍵盤代わりにして指を動かす姿を見て、一瞬にして抜きん出た才能を認知する。 「未来のモーツァルト」を目指してピアノの練習に励んでいたジェニーは、何度か国際コ…

鉄道員(ぽっぽや/'99)  降幡康雄  <聖者の大行進>

「鉄道員」は、感動を意識させた原作と、同じく感動を意識させた映像が結合し、私には些か厭味な映画になった。 映画はとても良くできている。 完成度もそれなりに高いので、日本アカデミー賞を総舐めにした理由も納得できなくはない。 しかし、それらが却っ…

エイトメン・アウト('88) ジョン・セイルズ  <「強き良きアメリカ人」という物語の重さ>

1919年、第一次世界大戦に参戦したアメリカが自国の勝利に沸いていた時代、大衆の娯楽と言えば、ベースボールに尽きた。ベーブルースが活躍していた頃の熱気ムンムンのメジャーベースボール・シーンでは、ベースボールの勝敗が賭博の対象になる位の活況…

それでもボクはやっていない('07)  周防正行 <警察・検察・司法の構造的瑕疵への根源的な問題提示>

1 警察・検察・司法の構造的瑕疵を根源的に問題提示した、秀逸な社会派の一篇 本作は、人に言えないほどの辛い経験の混乱の中で、相当程度、曖昧となった少女の記憶が、刑事の情報誘導によって補完されることで、矛盾なく固まったと信じる主観の稜線上に、…

ゆれる('06)   西川美和<微塵の邪意も含まない確信的証言者の決定的な心の振れ具合>

1 完全拒絶によって開かれた「事件」の闇 本作は、ある「事件」を契機に、雁字搦めに縛りあげていた「圧力的な日常規範」から、自我を一気に解放していく心的過程を辿っていく者と、自在に解放された世界で自己運動を繋いでいた自我が、その解放への起動点…

グラン・トリノ('08) クリント・イーストウッド <「贖罪の自己完結」としての「弱者救済のナルシシズム」に酩酊するスーパーマン活劇>

頑固とは、自己像への過剰な拘泥である。 そのために、自分の行動傾向や価値観が環境に適応しにくい態度形成を常態化させていて、且つ、その態度形成のうちに特段の矛盾を感受しない人格を肯定化することによって、自分の行動傾向や価値観と背馳(はいち)す…

雲が出るまで('04)   イエスィム・ウスタオウル <「ネガティブな自己像」を溶かした一枚の古い写真>

「ネガティブな自己像」を自我の奥深くに隠し込んで、安定的な物語を構築した姉弟がいた。 しかし、唯一の身内の死によって、安定的な物語を根柢から破綻させられた姉が、内側に封印していた「ネガティブな自己像」の本質的清算を、内的に要請されるに至った…

真実の瞬間(とき/'91) アーウィン・ウィンクラー  <自己像を稀薄化できなかった男が炸裂して>

「真実の瞬間」という重苦しい映画のファーストシーンは、元共産党員だった一人の映画人が、圧力に屈していくさまを映し出している。 カリフォルニア 1951年9月 非米活動委員会 最高喚問会 「協力するのだ。共産党員を野放しにしたいのか?党員がバッ…

リラの門('57)  ルネ・クレール <内在する「児戯性」――その「快・不快」という行動原理のアポリア>

「皆は俺をろくでなしというが、全くその通りだ」 これは、親友のシャンソンの名手である「芸術家」に、隣家に住むジュジュが捨てた言葉。 「俺は何で生きてると思う?首を吊って死にたいからだ」 これも、ジュジュの口癖だ。 その口癖を聞かされるのも、親…

オアシス('02) イ・チャンドン   <「オアシス」という名の削られた日常性>

イ・チャンドン監督自身のメッセージ。 「『オアシス』は境界線についての映画ともいえます。自分と他人との間の境界、自分たちと忌むべき相手との間にある境界、あるいは『普通の』人たちと『障害をもった』人たちとの間の境界。あるいはまた、『愛』と呼ば…

ルイス・ブニュエルの黄金時代('30) ルイス・ブニュエル  <確信的涜神者の挑発的信管投入>

映像の冒頭に、サソリの生態のシーンが描かれて、説明書きまで加わっていた。 「魚の浮袋に似た6連の尾を丸め、対象物を刺して、液状の毒を放つ。孤独を好み、侵入者は断固として排除する。その芸術的とも言える素早い攻撃は、鼠さえ仕留める」 その直後の…

タクシーブルース('90)  パーヴェル・ルンギン <「緩やかな権力関係」の形成と自壊の構造 ―― 「ペレストロイカ」という名の文化革命の振れ方の中で>

1 選択肢の幅を広げてしまう当惑と恐怖 ―― 私権と自由の幅の拡大的定着のアポリア 自由を大幅に制限する特殊な国家に呼吸を繋ぐ人々にとって、その状況を特段に疑問視することがない時代の海と睦み合うとき、そこに住む人々にとって、それはごく普通の社会…

コンフィデンス 信頼('79) イシュトヴァーン・サボー  <時間を特定的に切り取れる女、切り取れない男>

第二次世界大戦末期の、ハンガリーのブタペスト。 厳冬のその日、一人の女が空席だらけの映画館で、ニュース映画を観終わって、外に出た。ブルーの映像の画面に映し出されたその町には、人っ子一人いない。異様とも思える風景だ。そんな風景の中で、突然、一…

嘆きのテレーズ('52) マルセル・カルネ  <リアリズムによって貫流する、「人間ドラマ」の本質を拡散させたサスペンス性の陥穽>

男と女の運命的な出会いが、そこにあった。 男の名は、ローラン。女の名は、テレーズ。 イタリア人であるトラックドライバーのローランが、殆ど間髪を容れず、人妻のテレーズ言い寄った。 「君と会うのは2度目だ。男と女の出会いは、これで充分だ。俺の財産…

伊豆の踊子('74) 西河克己 <「孤児根性」という寂寥感・劣等感を越える旅路 ―― 本作で削られた原作の本質性>

本作の「伊豆の踊子」は、「アイドル映画」としては、取り敢えず不合格ではなかったと言えるだろう。 「憧憬・熱狂・スター・清純・偶像・愛玩」等々と言った、「アイドル性」を保有する映画としての「アイドル映画」の要件を満たしていると思えるからだ。 …

ドレッサー('83)   ピーター・イエーツ <「宮廷道化師」としてのアイデンティティと誇りを賭けて>

本作は、第2次大戦下のドイツ軍の空襲の中で、有数のシェイクスピア劇団の老座長であり、自己中の名優である男に一貫して仕え、件の名優にとって唯一の「前線」である絢爛たるステージにおいて、名優に100%のパフォーマンスを表現してもらうために影と…

カナリア('04) 塩田明彦 <そこのけ、そこのけ、「子供十字軍」が罷り通る>

子供が、大人または大人社会によって、自分の意思とは無縁な辺りで遺棄されるような苛烈な環境に置かれていて、その子供の現在的なキャパシティを遥かに越える適応を、彼らを囲繞する環境から強いられたとき、その子供が自分を理不尽な状況下に置かれた現実…

女はそれを待っている('58) イングマール・ベルイマン <凛として、新しい人生を切り開く希望に繋がって>

序 無機質のドアの向こうと、此方の空間を明確に仕切る世界の内側で 産科院という、特殊でありながらも、人間の営為の最も根源的な問題を包括する、非日常の限定空間での、「産む」ことの尊厳性と本質に迫る、ベルイマン的な厳しいヒューマニズムの一篇。 そ…

おかあさん('52)  成瀬巳喜男 <喪って、喪って、なお失いゆく時代の家族力>

映像は叙情的な旋律がなお繋がって、そこに家事に勤(いそ)しむ一人の母の日常的な振る舞いを映し出していた。 そこに、明朗闊達な長女のナレーションが追い駆けていく。 「私のお母さんは、よそのお母さんに比べると、少し小っちゃくて、小ぶりなので、長…

フォーン・ブース('02) ジョエル・シューマッカー  <匿名性社会、その闇のテロリズム>

タイムズ・スクウェアを一人の男が、部下を連れて歩いている。 左手に携帯電話を持って、次々に相手を替えて話し込んでいる。男の名はスチュワート・シェパード。通称スチュ。パブリシスト(注1)である。宣伝マンであるスチュは、携帯一つでタレントなどの売…

間違えられた男('56)  アルフレッド・ヒッチコック <非日常の時間の未知のゾーンに拉致されていく心的圧力による不安と恐怖>

「私はアルフレッド・ヒッチコック。今まで多くのサスペンス映画をお送りしてきた。だが、今回は少し違う。異は事実にあり。これは実際にあった物語である。私が今まで作ったどの恐怖の映画より、奇なることがあるのだ」 映画の冒頭でヒッチコックが語るよう…