2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

シン・レッド・ライン('98)  テレンス・マリック <「一本の細く赤い線」――状況が曝け出した人間の孤独性についての哲学的考察>

1 「人間は眼を瞑り、必死で自分を守る。それしかできん・・・・」 ―― 「シン・レッド・ライン」という、あらゆる意味で鮮烈で根源的な映像の背景となった、「ガダルカナル戦」についての言及は後述するとして、まず映像の中に入っていこう。 「戦場」という、不…

稲妻('53) 成瀬巳喜男  <離れて知る母の思い>

映画の舞台は東京下町、葛飾区金町。 それぞれ父親が違う子供たち。その母親おせいが浦辺粂子。 彼女は彼女なりに一生懸命夫に尽くしてきて、厳しい生活を切り盛りしてきた。四人の子供たちへの愛情も特段変わらず、彼女なりに懸命に育ててきた。それにも拘…

エレファント('03)  ガス・バン・サント  <日常性と非日常性の、激突の瞬間に解き放たれた肉声>

1 黒ずんだ雲が染め抜かれて ミルク色の柔和な雲がゆったりとしたリズムで流れていき、次第にそれがブルーに染められて、最後には濃紺に変色し、そして闇の黒を映し出した後、そこに突然、闇とは対極の眩い黄色が映像を支配した。それは、晩秋のシグナルと…

レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ('89)  アキ・カウリスマキ <「変ったバンド」による「変った音楽映画」、「変ったロードムービー」>

本作のコメディは、ウィットやユーモアというより滑稽感を基調としている。 このコメディの滑稽感を支えているのは、「イメージギャップによる不均衡感」と、殆ど台詞のない映像を、様々に個性的な絵柄(構図)が醸し出す「間」である。 シンプルなストーリ…

鬼畜('78)  野村芳太郎   <ネグレクトから子殺しへの地続きなる構造性>

原作とは異なって、その印刷屋の主人公の名は、竹下宗吉(そうきち)。その住まいは、埼玉県川越市にあった。ところが最近、印刷工場が火災に遭って、子供のいない竹下夫婦は、今や細々と印刷屋を経営していた。 ある日、その竹下宗吉の元を、一人の女が三人…

第三の男('49) キャロル・リード  <「戦勝国」という記号によって相対化された者たちとの、異なる世界の対立の構図>

1 「闇の住人」の視線を相対化する映像構成 時代の大きな変遷下では、秩序が空白になる。 空白になった秩序の中に、それまで目立たなかったような「闇」が不気味な広がりを見せていく。 「闇」は不安定な秩序を食い潰して、いつしか秩序のうちに収斂し切れ…

イゴールの約束('96)  ダルデンヌ兄弟   <「暗黙の約束」が削られて>

不法移民の斡旋と売買によって生計を立てているロジェは、彼らを襤褸(ぼろ)アパートに住まわせて不当に高い家賃を取り立てて、悪銭を稼ぐ日々に明け暮れている。 あろうことか、息子イゴールにその仕事を手伝わせているから、自動車修理工場で職業技術を身…

太陽の年('84) クシシュトフ・ザヌーシ <お伽話を突き抜けて―「純愛ドラマ」の究極なる括り>

第二次世界大戦直後のポーランド。 疎開先から戻る列車の中で、一人の女が母と思しき者の手当てをしている。怪我した脚から黴菌が入ることを心配した女が、懸命に老婆の足を洗浄する。 「放っといて」 「ダメよ、ママ。化膿しそうだわ」 「いいから構わない…

フィラデルフィア('93)  ジョナサン・デミ  <偏見を削っていく条件についての映像的考察>

「血液検査の結果が出たわ。後でお話を」 全ては、この一言から始まった。 フィラデルフィアで有能な弁護士として鳴らしたアンドリュー・ベケットは、突然、エイズの発症を宣告された。本人は既に、自分の体の異変に気づいていた。額や首筋にはカボジ肉腫(…

殺人の追憶('03) ボン・ジュノ  <追い詰めゆく者が追い詰められて――状況心理の差異が炙り出したもの>

「この映画は、1986年から1991年の間、軍事政権の下、民主化運動に揺れる韓国において、実際に起きた未解決連続殺人事件をもとにしたフィクションです」 この字幕から開かれた映像の内実の厳しさは、映像の展開の中で少しずつ明らかにされていく。 …

日曜日のピュ('92)  ダニエル・ベルイマン <「視線の二重性」―― そこに拾われた「絶対時間」>

1920年代のスウェーデンの夏。 8歳の少年イングマールは、ピュという愛称で呼ばれていた。 4歳年上の兄のダーグから、「こいつ、女みたいだ」とからかわれ、兄の仲間と遊ぶときも、まるで子供扱いされていて、「いつか殺してやる」などと強がって見せ…

キューポラのある街('62)  浦山桐郎 <「風景の映画」としての「青春前向き映画」>

鋳物工業の町として著名な荒川北岸の町、埼玉県川口市。 キューポラとは、鋳物製造で銑鉄(鉄鉱石を溶鉱炉で還元して取り出した鉄)を溶かす溶銑炉のこと。 京浜工業地帯の大企業の下請生産のための中小企業であるという、構造的な脆弱性を持つ鋳物業者は、…

キャラクター/孤独な人の肖像('96) マイケ・ファン・ディム <宿命的な「似た者性」が自己完結するとき>

1 青年の足が止まったとき 一人の青年が、急ぎ足でとある建物の中に入って行った。彼が辿り着いた大きなデスクの前に、男が座っていた。その男のデスクに、青年はナイフを突き立てた。 「今日来たのは、私の弁護士就任の報告だ。悔しいだろうが、ここに来る…

息子のまなざし('02) ダルデンヌ兄弟 <男の哀切な表情を凝視して―― 或いは、くすんだ天井の広がり>

職業訓練所で木工を指導する中年男がいる。名はオリヴィエ。 彼のもとに新人が入所して来ることになった。勿論、少年たちばかり。彼はその名簿を見て、「もう4人いる。こっちは無理だ」と断った。手持ちのカメラは、彼の後姿か横顔を映すのみで、その表情を…

愛と追憶の日々('83)  ジェームズ・L・ブルックス  <個性の顕示を捨てない文化的風景を見せる母娘の絆の物語>

「スーパーマン」や「スーパーウーマン」が登場せず、「善悪二元論」による人物造形を押し付けることなく、且つ、特段に洒落た会話も、映像を決定付ける感動譚のエピソードを全く拾うことをせず、更に、俳優目当ての映画鑑賞のモチベーションも殆ど感じられ…

女が階段を上る時('60)  成瀬巳喜男   <女が手に入れたもの、失ったもの>

「秋も深い、ある午後のことだった。昼のバーは、化粧をしない女の素顔だ」 銀座のバー、「ライラック」の雇われマダムである圭子のモノローグから始まる映像は、化粧をしない女たちの昼の饒舌から開かれる。マダムの不在なその店で、ホステスの一人が店の客…

ライフ・イズ・ビューティフル('98)  ロベルト・ベニーニ  <究極なる給仕の美学>

1 軽快な映像の色調の変容 一人の陽気なユダヤ人給仕が恋をして、一人の姫を白馬に乗せて連れ去った。映画の前半は、それ以外にない大人のお伽話だった。 お伽話だから映像の彩りは華やかであり、そこに時代の翳(かげ)りは殆ど見られない。 姫を求める男…

トゥルーマン・ショー('98)  ピーター・ウィアー <コメディラインの範疇を越える心地悪さ ―― ラストカットの決定力>

「他の番組を。テレビガイドは?」 ラストカットにおける視聴者の、この言葉の中に収斂される文脈こそ、この映画の全てである。 テレビ好きな二人の警備員によるこの台詞は、本作がテレビの虚構性を極限まで描き切った映画であることへの、それ以外にない決…

大地の子守歌('76)  増村保造 <大地に耳をそばだてて>

大地の声を子守にして生きてきた十三歳の少女の人生が、祖母の死によって激変する。 「人を信じるな」という祖母の戒めは、自分が亡き後の孫娘の将来を案じての教えだったが、「海を見せてやる」という人買いの狡猾な口車に乗せられて、少女は瀬戸内の小島に…

ソフィーの選択('82) アラン・パクラ  <もう選択したくない人生>

1 闇の奥に封印された過去 ―― 本作のストーリーラインを簡単に追っていこう。 アウシュヴィッツ(オシフィエンチム)を体験した、ソフィーという名の一人のポーランド女性がいて、彼女と同棲する、ネイサンというユダヤ人の妄想性分裂病(統合失調症)者が…

あにいもうと('53)  成瀬巳喜男 <「見過ぎ世過ぎを立てていく女たち」と、「甲斐性、意気地のない男たち」の現在性>

「あにいもうと」の人格を相対化させた、さんの存在が何より重要だが、この劣化した家族の人格的ストレッサーとも言うべき、もんの存在の尖り方から書いていく。 彼女の存在の尖り方は、ラスト30分の中で展開されている。 「あにいもうと」の大立ち回りの…

ミシシッピー・バーニング('88) アラン・パーカー   <「近接してくる者たちへの恐怖」が暴走するとき>

「フリーダム・サマー」と呼ばれる、1964年夏の公民権運動家たちの熱心な活動がアメリカ南部で展開された。その中に、北部から来た若い三人の活動家がいた。二人はユダヤ人で、一人は黒人だった。 ミシシッピー州に入った彼らは、スピード違反の容疑で拘…

ナチュラル・ボーン・キラーズ('94) オリバー・ストーン <アナーキーに暴れ捲る映像を支配し切れない粗雑さ>

この映画は、思考停止の「本格社会派」のオリバー・ストーンらしい本領を発揮した究極の愚作。 その特徴は、以下の2点に集約される。 その1。 人間の問題を押し並べて「社会」、「制度」、「システム」の問題とする強引な思考様式。 本作では、メディアの…

シンドラーのリスト('94) スティーブン・スピルバーグ  <英雄、そして権力の闇>

ポーランドで軍用工場を経営していたオスカー・シンドラーは、ユダヤ人会計士の協力を得て、ゲットーのユダヤ人を工場労働者として集め、好業績を挙げた。 複数の愛人と関係し、放恣な生活を送っていたシンドラーが、ゲットー解体によって強制収容所に送られ…

暴力脱獄('67) スチュワート・ローゼンバーグ <理念系の称号を付与するための作り手の想念の内的風景>

本作は、そんな私の個人的評価を言えば、それなりに面白い娯楽作品以上のものではなく、恐らく、それ以下でもない。 作品の内容は、私が最も嫌う「スーパーマン映画」のジャンルに入るもの。 人物造形が極端なまでに類型的であるという内実も、全く馴染めな…

真昼の決闘('52) フレッド・ジンネマン  <男が覚悟を括るとき>

灼熱の荒野に、かつて保安官の手によって監獄送りにされたアウトロー、ミラーが戻って来る。リベンジのためだ。 そんな厄介な男を、彼の舎弟たちが駅に迎えに行く。男たちには、何もかも予定の行動だったのである。駅に迎えに行く舎弟たちを目撃した町の住民…

雁('53)  豊田四郎 <約束されない物語の、約束された着地点>

1 特定的に選択された女性 「これは、東京の空にまだ雁が渡っていたときの物語です」 これが本作の冒頭の説明。言わずと知れた、森鴎外の著名な原作の映画化である。 ―― ともあれ、そのストーリーラインをなぞっていく。 ここに一人の男がいる。その名は末…

クイズ・ショウ('94) ロバート・レッドフォード <社会派映画の最高到達点 ―― フィフティーズの光と影>

1 「家族主義の時代」の物理的目玉商品 優れた社会派ドラマは優れた人間ドラマに補完されることによって、最強の社会派ドラマであることを典型的に検証した映像―― それが「クイズ・ショウ」だった。 以上の視点で批評していくが、この章では、映像の文化的…

告白('10)  中島哲也 <ミステリー性に富み、比較的面白く仕上がったエンターテインメント>

1 「女性教諭」の衝撃的な告白 欺瞞的な「愛」と「癒し」で塗り固められた「お涙頂戴」の情感系映画が、もうこれ以上描くものがないという沸点に達したとき、その目先を変えるニーズをあざとく嗅ぎ取って、この国の社会が抱える様々なダークサイドの〈状況…

ウンベルトD('51)  ヴィットリオ・デ・シーカ  <物を乞う老人の右手が裏返されて>

アレッサンドロ・チコニーニの叙情的な音楽に乗せて、陽光照りつけるローマの大通りを、力強い行進が突き進んでいく。 「年金支給額を上げろ!」 「公務員として勤め上げた!大臣に会わせろ!大臣にこの苦境を訴えたいんだ!」 「納税者の権利だ!」 彼らは…